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ごめん、アメリカ。 誤解していたかも・・・

代表&広報のアキバヨウジです!
今日は読書会の事を発信したいと思います。

SUGOIでは月に一度のペースで読書会をしているのですが、読んだ本の中から今回は自分の担当だった章だけをかいつまみ、noteに書いてみたいなと思っています。

「担当」という言葉を使いましたが、これはSUGOIの読書会の システムによるものです。

私たちの読書会は、

・予習なし、事前に読む必要なし
・その場で、メンバー全員で一冊を読む


というスタイルを取っています。

これは、SUGOIのクリエイティブスタイルをも体現しているなと思っているのですが、ややこしい話は今回省きたいので、ご興味ある方はこちらの記事も是非読んでみてください!

一人がおおよそ一章分を担当し、読んだら要約をしてメンバーの前で説明するので、かなりしっかりと頭の中にインプットできますし、一冊の内容が「体験」として一日でインプットされる読書会、それが「本で遊ぶじかん」なのです。


さて、今月の読書会で扱ったのは『アメリカ大分断 危機の地政学』という本でした。

身近な存在ではありつつも、案外とアメリカ史にしっかり触れる機会って、特に大人になってからはなかなか無いと思うんですよね。

普通に暮らしていれば、ニュースや話題で触れる国ですし、わかったつもりになってる部分もとても多いと思う。

それを一からおさらいできる、有意義な本のチョイスでした。その中で自分が担当したのは、「アメリカ人って何?」という章。

おおよそ40ページくらいあったでしょうか。 その説明をしていきたいと思います。この章では、アメリカ人を象徴する3つのシンボルというものを挙げています。 

それは、

1 . カウボーイ
2 . 発明家
3 . 戦士

だと言うんです。かなり興味深い内容ですね。

上から順に、どんな象徴なのかを解説してみます。

まずは、「カウボーイ」。
カウボーイというのは、ウェスタンブーツにカウボーイハットという典型的なイメージが私達の中にはありますが、要は牛飼いのことなんですよね。

よくある西部劇では、主人公でありヒーロー像として描かれていたりしますが、実際のところは当時の貧困層が担う仕事で、メキシコからの移民やインディアンが多かったという。

クリント・イーストウッドのような白人がカウボーイをやる、ということはなかったと言うんですね。よく思い返せば、西部劇の白人が演じるヒーローは大体、保安官役などでしたね。実際のカウボーイ=牛飼いではない。

そういった訳で、私たちが抱いているカウボーイ像というの は、どうやら実際と食い違っているようなのです。 しかも、カウボーイが活躍した歴史は短く、鉄道が普及するまでのたかだか30年程度であったそう。

それなのにこんなに明確にカウボーイの姿が連想されるのだから、映画のイメージってすごいですね。

では、このカウボーイがなぜ、アメリカを象徴する重要な要素の一つなのかというと、その象徴するところは「正義感」であり、正義のためには命もかける、という「強さ」そのものであるというんです。

アメリカ人の、どこまでも正しく強くあるべきだ、というマッチョ思考の根を問うて行くと、実はカウボーイにある、ということなのですね。

男たる者そうであるべき、臆病さを持っていちゃいけない、という呪縛が、アメリカのスピリットの中にあるということ。

この、後ろを振り返るな、的なマッチョさは、他の文化圏とは一線を画すものではありますね。

よくヨーロッパがアメリカを非難するときに「カウボーイ的」と揶揄するのは、そういう部分であったりするようです。

では次に、「発明家」について見ていきましょうか。アメリカの生み出した最初の発明家は、やはりトーマス・エジソンです。
エジソンといえば「電気を作った人」という印象がありますが、これがまた、実は間違いなのだという。
どういうことかと言いますと、エジソンは電気を「最初に作った人」ではなく、他の人が作ったそれを応用して「システム化」し、大衆が使えるものにした人ということなんです。

エジソンはそれによって財を成したという、非常にビジネスに長けていた人物だったんですね。

発明の父、なんて呼称もあるほどなので、研究一直線の人物のように思い描いてしまいますが、「発明」という言葉の解釈が、これほどまで広いとは驚きました。

エジソンだけでなく、その後もアメリカでは多くの発明家が誕生しますが、エジソンの歩んだ道に習った人物が非常に多いのだという。
例えばスティーブ・ジョブズの功績を見てみても、実際にパソコンを作ったのはスティーブ・ウォズニャックであったように、発明をしたというよりもそれをベースにシステム化し、大衆の手に届けたことの方が評価されています。

アメリカにおいて発明の目的は、新しい物を大衆の手に届けるシステムを作り、結果としてお金を稼ぐことなんですよね。

人々の中にある欲求をキャッチし、まだ人々の手にないものをシステム化し、消費できる物として大衆に届ける。

そういった事に長けた発明家が連綿とつながっているのが、今現在に至るアメリカの姿、ということなのだそうです。

これもなかなか、目から鱗の解説でした。

では3つ目、「戦士」について見ていきましょう。 これは先に挙げた「カウボーイ」にも近く、それが象徴するものはやはり、「命懸けの強さ」です。

アメリカという国は建国以来、ずっとどこかで戦争をしている国なんだそうです。
他国との戦争に加え、内乱などのドメスティックなものも含めると、歴史上ずっと戦争していると言って過言でないそうなんですね。
年表で調べてみてください、驚きました。

その状態って、結構辛いと思うんです。
そこで、その状態を下支えしているのが、「戦ったこと自体が ステータス」という価値観だという。 これがあるからこそ、ずっと戦争をし続けていられるということらしいのです。

戦争があるからこの価値観が生まれたのか、この価値観を元に戦争を続けるのか、一体どちらなのでしょう。

簡単には紐解けない部分ですね。

以上、このように「カウボーイ」「発明家」「戦士」という3つ の象徴について見ていったわけですが、このように「強さ」を価値とし、「市場」を見据えることに重きを置く価値観というものが、アメリカの強大なパワーの源となっていることが、 よくわかってきたかと思います。

ヨーロッパやアジアの国々というのは、アメリカに比べてかなり長い歴史を持っている。
これはつまり、後ろを振り返ることができるということなのでしょう。

自国の歩んできた歴史や価値観、文化というものを振り返ることで、立ち止まったり癒しを感じたりすることができる。

けれど、アメリカという国には振り返るための過去が無い。先の未来しかない、というシビアなベースが、アメリカ独自の背景ということなんです。

このような事情だからこそ、未来に進むための発明や、強さを求めていく。

アメリカというのはとにかく前向きで強い、ナンバーワン志向の国だ、という認識が世の中にはあると思うのですが、その理由として実は、「それ以外の道が無い」という苦しさの裏返し
である、という捉え方の方が真実に近いのかもしれない。

やたらめったらパワー志向の国、という理解で思考停止するより、よっぽど核を捉えた視点であると思った次第です!

この本では何度もアメリカのことを、「複雑さと繊細さを持ち合わせた、矛盾した国」という表現をしています。

読んでみれば、本当にそうだよな、という共感が生まれてきましたし、そもそも一つの章を読むだけで、これほどまでにアメ リカへの捉え方が変わった。 非常に豊かな読書体験だったな、というのが今回の実感です。