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悪魔は誰だったのか

台風が温帯低気圧に変わり、ずっと雨予報だった先週末から今週にかけて東京はとても良い秋晴れとなった。少し開けた窓から入る涼しい風を感じながらいつものように缶チューハイをプシュッとやると『初恋の悪魔』の最終回が始まった。土曜の夜の事である。興奮が冷めないうちに、そして子供がお昼寝から起きてこないうちに、この感動を綴っておこう。

中盤から劇的に面白くなってきた『初恋の悪魔』を勝手に考察した記事を8月の終わりに書いた。

この記事を林遣都さんのファンの方が見てくれて広めてくださったのだが、あの記事をいいねしてくれた林遣都ファンの方と手を繋いで踊りたいほど、最終回の林遣都さんは凄まじかった。次の日の夜までTwitterのトレンドから“♯初恋の悪魔”は消えず、私が見る限りその殆どが林遣都さんを称賛するものだった。

作品としてではなく、ひとりの俳優のひとつの演技がこんなに心に刻まれたのはいつ振りだろう。数多くテレビドラマを観てきたけれど中々ない体験である。映画ではあるが1つだけはっきりと覚えている演技があるのだが、それが事もあろうに裏番組で放送されていたのである。作品を知っている方ならもう察してくれると思うが、『容疑者Xの献身』、堤真一さんが泣き崩れるシーンである。この作品の松雪泰子さんもとても素敵だが、どこか1つとなるとやはりあのシーンを選ばざるを得ない。土曜日は『初恋の悪魔』を観ていたし、もう5年以上観ていないけれど、あのシーンはいつでもはっきりと思い出せる。しかし、林遣都さんの演技はそれに匹敵するものだった。この2作品が同時に放送されていたなんて、何という巡り合わせだろう。実に面白い。

ストーリーとしては、正直予想の範囲を超えなかった。ドラマとして、まぁそうなるよね、というところに落ち着いた印象である。
しかし林遣都がよかった(敬意を表して呼び捨てにさせて頂く)。それだけで最高の最終回となったと言っても過言ではない。勝ち負けではないことはわかっているけど、これは坂元裕二に林遣都が勝利した瞬間なのでは?とさえ思った。しかしこの役が当て書きだと知って、林遣都の魅力を、演技力をここまで引き出した坂元裕二はやはり凄いというとこに結局行き着く。

満島ひかりさんも良かった。年齢的には主人公4人の方が近いはずなのに、どちらかというと伊藤英明さん、田中裕子さん、安田顕さんのようなベテラン俳優の風格が漂っていた。若手で言えば菅生新樹くんも良かった。8話の終わりにちょこっと出てきて一瞬で「この子うまー!だれ?」と思ったら菅田将暉さんの弟と知り妙に納得してしまった。これからが楽しみな俳優さんだ。

さて、これは『初恋の悪魔』というドラマの話なのだが、結局“悪魔”とは何だったのだろう。最初からテーマの1つであったシリアルキラーのことだろうか。初恋、いや恋心そのもののことだろうか。世の中にはびこる悪や罪のことだろうか。

ここから少しネタバレになるのだが、元に戻ったように見えた星砂が、もう1つの人格である蛇女として最後に鈴之介に会いに来る。人格が消えてしまうことをわかっていながら「これからも、あなたを思っています。」と告白するのだ。鈴之助は涙を流し、過去の他愛のない話をしたり夢を語ったりして最後の時間を過ごし、鈴之介は「ありがとう。僕はもう大丈夫です。」と言って星砂の背中を見送る。なんて切なくて、残酷なシーンだろう。もう会えないだけならまだしも、同じ顔の、しかも最初に好きになった虎星砂とはこれからも顔を合わせるのだ。その中のもう1つの人格に「これからも」なんて言われたら、鈴之介は新しく恋をするのは当分難しいだろう。それとも、もう恋をしないことをあのとき決めたのだろうか。自覚のない悪ほど罪深いものはない。あれは無自覚な呪いの言葉だ。まさに初恋の悪魔だと、私は納得している。

やや話が逸れるが、もう1人とんでもない悪魔がいる。ダブル主演の相棒である仲野太賀さん演じる馬淵悠日、こいつはとんでもない悪魔だ。人畜無害な顔をし、気が弱く正義感が強くて一見とても良い人そうなのに、鈴之介の恋心を知って応援していたのにも関わらず、自分が彼女に振られた時に優しくしてくれた星砂にコロッと惚れて一緒に住み始め、鈴之介に何の報告もしない上に2人の関係を隠しもしない。蛇星砂と鈴之介のただならぬ雰囲気に傷ついたくせに、戻ったと思ったら鈴之介の心中をおもんぱかるどころか星砂と一緒に鈴之介の家に住み着いて平気でイチャコラするのだ。それでいて「僕らバディみたいですね」とか「友達」などと口にする。シリアルキラーに匹敵するサイコパスと言ってもいい。

坂元裕二作品には度々このような好きなれない人物や、カオスな空間が登場する。例えば『大豆田とわ子と三人の元夫』ではとわ子が危ない目に合っているときに、父親に誘われたとはいえ、3人の元夫がそれぞれと良い感じになっている女を連れてとわ子の部屋で餃子パーティーをしていたあのシーン。しかも女たちは面識のない元妻の家で、男たちの悪口なんかを言ったりしている。すごい神経だ。あの3人とも好きになれなかったし、あのシーンは何だったのか。パーティーがきっかけで6人がそれぞれの道に歩みだすから大事なシーンであることは間違いないのだが、それがとわ子の部屋であることの意味は何だったのだろうといまだに考えてしまう。

前の記事で坂元裕二作品における食についての考察をあげた。今回も緊迫したシーンでのおにぎりや、満島ひかりさんとナポリタンとの関係などが気になったが、もうひとつ見逃せないことがあった。靴下である。

虎星砂が戻ってきた後、星砂と馬淵が鈴之介の家に住み着く謎空間の中で、2人が靴下を脱ぎ散らかして注意される。3人での生活に耐えられなくなった鈴之介が「出て行ってくれ」と告げると「明日から靴下片付けるから」と星砂が許しを請うが結局追い出される事になる(その時に2人の新居の住所を渡して「遊びに来てください」という馬淵の神経も知れない)。ところが急に静かになった家に孤独感が襲ってきて自分の靴下を大量にばらまくのだ。

『カルテット』でも、松たか子さん演じる真紀が、夫が出て行ってしまったことが受け入れられず、夫の脱ぎ散らかしたままの靴下を片付けられずにいた。“脱ぎ散らかした靴下”というのは、どうしょうもなくその人の存在を主張するものなのだろう。靴下に限らず、洋服もそうだ。匂いや体温、その人の性格まで思い起こさせる。当然、自分の撒いたきれいな靴下ではその代わりにはならない。

最初イマイチかも…と思っていたのに、結局『初恋の悪魔』の事ばかり考えて、記事も2つも書いてしまっている。やはり坂元裕二作品は奥深くて面白いし、林遣都という素敵な俳優とも出会えた。誰かの考察で、「最後の事件が野球絡みだったのは主演の2人の初共演作が『バッテリー』だったからではないか」と書いてあって、「粋〜!」とぶっとんだ。

最後になるが、警察官として悪や罪を語る鈴之介や、元弁護士として語る森園のシーンも印象的だった。このドラマを観た人の多くは、殺人や暴力はおかしいと思う普通の人でいようと思っただろう。耳かき一杯の正義を持って生きようと思っただろう。そうやってみんなの耳かき一杯を持ち寄って、平和な世界になることを切に祈っている。何も考えずに、酒を飲みながらドラマを楽しむ程度のささやかな幸せでいい。隣ですやすや眠っている子供の笑顔が奪われることのない世の中であるよう願うばかりだ。

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