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【#2】Wilkins

運が悪かった



今ならそう思うことも出来るが、気付いたときにはそれでは片付けられないほど事態は大きくなっていた。


昨年の1月頃、どうやら海外で謎の感染症が流行っているらしいという噂がニュースで報じられ始めていた。

最初は海の向こうの話だと思っていたが少しずつ日本でも同じような症状が報告されてきた頃、一気にその事を有名にさせたのがあるライブ会場での集団感染だった。当時はまだどこか他人事であり、対策もどのようにすべきか、どの程度すべきかなど知れ渡っておらず『嫌だな、怖ないな』程度だった。




2月の頭にWilkins(ウィルキンス)というロックバンドが4年ぶりに地元の埼玉の馴染みのライブハウスに帰ってくるという事で、インディーズ時代からのファンは勿論、全国から入り切らない程の人が駆けつけた。ライブはもちろん大盛況だった。しかしその後、ライブの2日前にイギリスから帰ってきたばかりであったギタリストの感染が発覚し、関係者、観客全てを検査したところ全部で13人の感染が認められ、ニュースやワイドショーで大々的に報じられた。




その会場に私もいたのだ。



学生時代、まだインディーズだった彼らのライブに友人に無理やり連れて行かれたのがきっかけだった。それ程興味はなかったのに、演奏が始まった瞬間に彼らの奏でる激しい音楽が全身を貫き、驚きと感動で涙が止まらなくなった。そんな体験は初めてで、あの衝撃は今でも鮮明に思い出せる。そこからはWilkinsのライブは殆ど通うほどにドハマりしていた。


その後Wilkinsがメジャーデビューし、私も社会人になってライブへ行く頻度は少しだけ減ってしまったが、変わらず応援し続けた。実家を出て心細かった時も教員免許を取るために必死で勉強していた時も、恋人と別れた時もいつも私の心を支えてくれていたのはWilkinsの音楽だった。



そんな大切なバンドの凱旋ライブだ。
友達にも頼んで応募してもらってやっと手に入ったチケットだった。外国で流行っている感染症の事など気にする余裕もなく、浮かれてライブに出掛けた。本当に素晴らしいライブだった。沢山力を貰い、これからも生きていける、なんて余韻に浸っている時にいきなり地獄に落とされた気分だった。



検査の結果私は陰性だったが、約2週間の隔離生活を命じられた。勿論学校に全てを説明しなくてはいけない。ライブは金曜の夜、勿論月曜には出勤していたので学校も休校となり私と接した教師とクラスの児童は全員検査を受けるよう、保健所から指示があった。そこから陽性者は出なかったが、暫く学校中がパニックになった。



1年経った今では症状の詳細も知れ渡り、マスクや換気、手洗い消毒をしていればある程度は安心して暮らせることがが分かってきたが、当時は何も分からずとにかく不安でいっぱいだった。ライブハウスの話などすぐに世間では忘れられる程あっという間に全国で感染が拡大し死者も出る中、Wilkinsのギタリストは暫く療養した後に復帰することが出来た。その報道を見た時には胸を撫で下ろしたものの、私は大非難の嵐の真っ只中にいた。




最初に学校に電話をかけてきたのは工藤勇気くんのお母さんだった。


以前工藤くんと幼稚園から親しいという中川蒼くんがが失くしたタオルが工藤くんのランドセルが見つかったことがあり、報告をしたときから工藤くんのお母さんは私を気に入らない様子だった。




更に、工藤くんと仲の良い関くんと山口くんの3人は中学受験を控えていた。ただでさえ不安と緊張の1年となるであろう時にパンデミック、そしてよりによって息子の担任の感染騒動だ。休校中も再開してからも毎日の様に電話をかけてきていた。



「担任を変えてくれ」「自覚が足りな過ぎる」「教師が聴く音楽か」「前から危ないと思っていた」



工藤くんのお母さん程ではなくとも、他のクラスや学年の児童の保護者からも抗議の電話が殺到した。


得体のしれない感染症への不安は不祥事を起こした教師への不満としてぶつけられた。


「仲村先生が悪い訳じゃ無いのはわかってるんだけど、中々困っちゃってね。」校長と副校長も対応に追われ、チクチクと言われる事も増えていた。同情して励ましてくれる同僚もいたが、残念ながら敵の方が多かった。




学校や生徒達、その家族を不安にさせてしまったこと、休校による迷惑を掛けてしまったことは本当に申し訳ないと思っている。でも私はただ休日を送っていたただけなのにいう思いも消えず、もやもやを誰にも吐き出せずにいた。




職場に復帰してからというもの、日本中で感染が拡大してしまった中で学校を継続していく為の仕事が膨大になった。政府の方針で6月まで全国で休校となったが、家で今後の方針に関する連日の会議、休校が明けた後には学校にいる間の換気、児童が触れる場所の掃除消毒、感染対策を守らない児童の対応、授業が遅れた分のプリント作成…数え上げればキリがない。『お前のせいだ』という空気が漂うなか、その重圧と目に見えない感染症への不安と信じられないほどの業務量に押しつぶされてしまいそうだった。






子供の頃好きだった漫画の影響を受け軽率に教師に憧れた。離婚して出ていった父が高校の教師だったので母はいい顔をしなかったが、反対されればされるほど私は意地になって勉強をした。



教師になってからも自分では向いていると思っていた。学校や児童達にも恵まれて比較的楽しんで仕事が出来ていた。教師としても若いほうなので何かあれば他の先生が助けてくれたし、児童達のウケも良かった。工藤くんのタオルの件の様なささやかなトラブルはあっても大事件は起こらない。私の受け持つクラスはいつも平和だった。



それでも疲れてしまった時はいつもWilkinsの音楽が助けてくれた。多少の嫌な事はCDを聞いたりライブに行けば全てどうでも良くなる。


でも今回はそのライブがきっかけとなってしまった。もしかしたら人生で1番辛いかもしれない今、彼らの音楽を聴くこともまた、辛いことの1つとなった。

Wilkinsは悪くない。感染していたギタリストだって被害者なのだ。ライブハウスもスタッフもそこに集まった誰も悪くない。なのに、ギタリストの復帰を心から喜びながらも私はWilkinsの音楽が聴けなくなってしまった。




酒も煙草もギャンブルもせず、我ながら真面目に教師という仕事を全うして来た。やりがいも感じていた。でもそれはWilkinsの音楽にいつでも逃げることが出来たからだ。



私はどんどん追い詰められて行った。反対を押し切って教師になった為に母にも相談できず、友達にもこのことを話せずにいた。私自身も感染症の不安に晒されつつ騒動の責任を感じながらもこなさなければならない膨大な業務。そして支えていてくれた音楽に頼ることも出来なくなった今、自分の中で何かがプツリと切れる音が聞こえた。




            【#3】へ続く


【#1】はこちら↓


 


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