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妄想軍事評論「ロンドン軍縮条約制限外の艦艇(日米英−戦力差)=考察」〜 杉岡宗春

  ロンドン軍縮条約下に於いて「戦艦・空母=対米・英6割、重巡洋艦7割弱=米国重巡建造完了迄の比率  以下同様」という不利な条件を突きつけられた日本が、如何に戦力差を穴埋めすべきであったか=僕の考え(妄想)はコレ→制限外の艦艇・民間船舶を最大限利用(中小民間造船所の活用、技術移転)し、合わせて経済活性化を図る事=制限外の基準排水量600トン以下の小型艦&500トン以下の潜水艦&1万トン以下の特務艦&民間豪華客船(戦時空母化計画)建造補助&平時標準船計画 −− に関して考察をしてみる。

 先ずは「590トン型−汎用小型艦」= 史実では、友鶴事件で、過度の重武装によるトップヘビーで復原性が問題提起された”千鳥型水雷艇"が有名です。僕の妄想は、可能な限り互換性を持たせたー水雷艇・駆潜艇・海防艇・警備艇ほかーを(出来得れば、大量)建造する事。日本近海や東シナ海等で、船団護衛・警戒警備を蜜に出来る体制を築いて置く事は重要と考える。また、民間貨物船・漁船など−としても建造する事で低コスト化が図れるハズ。

 「水雷艇」について、特に考察してみる。僕の考えは、米国海軍の魚雷艇PTボート(固定式単裝魚雷発射管4基)の様に、"片舷4基で、両舷8基”を装備(史実の旋回式2連装発射管2基では無く)する=出来れば九〇式61cm魚雷を。砲は−防盾のみ、八九式40口径12.7cm単装高角砲2門(史実は、砲塔式45口径12cm砲−G砲−3門)が妥当。これでも重武装だが、トップヘビーは避けられるのでは。機関は“史実の千鳥型=1万1千馬力” では ”30ノット程“ なので、“35ノット以上” を望むなら、3万馬力級を新規開発する。

 「490トン型=波号潜水艦」考察。これは「故 小室直樹氏」も指摘した「独Uボート」の技術者を日本に招致(もちろん秘密裏に)して、研究・技術指導を行わせるのが”最善"だろう。潜水艦の要目は=53cm魚雷発射管−前部3門・後部1門、搭載魚雷−前部6本・後部2本 安全潜航深度80m は技術的に可能に成るだろう。Uボートは、もっと重武装だが 日本の潜水艦は航続距離を重視する必要が有る為=このレベルに。※実は、日本が "こうする事” で歴史が変わる可能性が有る。史実の独海軍潜水艦勢力は "開発装備” が戦争開始に間に合わなかった。それが間に合ってしまう可能性大という事に。閑話休題。

 「1万トン以下の特務艦」考察。史実は、給油艦・潜水母艦として−空母改装を前提−建造された"剣崎(後に改装=祥鳳)・高崎(建造途中改装=瑞鳳)・大鯨(後に改装=龍鳳)”の3隻が有る。しかし、たった3隻では戦力差を埋めようも無い。そこで僕の妄想は−−小型空母だけで無く、重巡洋艦改装を前提に=同一船体を”1万トン級特務艦"として、出来るだけ多く建造して置く。現実的には=小型空母用4隻・重巡洋艦用4隻を準備が精一杯か。艦種は改造が容易な「給油艦=タンカー、補給艦=貨物船」として、構造も簡易(特に上部構造物)な形に。船体規模は「水線長190m、水線幅21m程」に。この艦型では高速を発揮しにくいが、”30ノット”出れば良いと考える。防御甲鈑や浮力&水雷防御用バルジは、もちろん改装時後付。機関は、建造時は「水雷艇千鳥型」の機関(缶室×2、主機×2=1万1千馬力)を2セット=2万2千馬力−4軸推進で誕生させ。改装時(小型空母用)=「4万2千馬力=白露型駆逐艦搭載機関」を(重巡洋艦用)「5万馬力=朝潮型駆逐艦搭載機関(or陽炎型駆逐艦用5万2千馬力)」を2セット搭載する。缶室・主機室等は、建造時にあらかじめ=それ用に造って置く。改装に必要な部材も事前準備。※"33ノット以上”を望むなら、14万馬力級機関を新規開発して搭載という手も有る(中型空母や重巡洋艦あるいは金剛型高速戦艦等の機関、半分=7万馬力=にして高速駆逐艦用としても流用出来る)。

 「民間豪華客船(=戦時空母改造用)」考察。戦時空母改装を条件に=日本海軍が建造費を補助して、日本郵船が建造した「客船 新田丸級3隻=小型空母 大鷹型」と改装される事な無く、戦没した「客船 浅間丸級3隻」や「大型豪華客船 橿原丸・出雲丸=(建造途中で改装)中型空母 隼鷹・飛鷹 」が有る。しかし、改装工程の数が多くなる為=建造途中ならともかく、完成後は「兵員輸送船」として使用するのが妥当と考える。空母としては ”大きさ(飛行甲板長)・速力“ が乏しい。当時、飛行甲板長は “230m以上” が必要だとする意見もあった様で=米国の様に、油圧カタパルトを実用化出来なかった日本海軍では自明の理か。で有れば、せめて橿原丸級は ”水線長230m級以上“ で設計(建造)すべきだった。また、民間会社では ”船舶規模・形状“ 等の自由が効かないので=国営(or半官半民)会社を設立し、客船等の建造(空母など改装目的にあった)を進める手も有る。

 「平時標準船計画」=史実は “戦時標準船計画” つまり、僕の考察は=戦時では無く、平時から民間船舶を ”軍・産・官・学“ 協同で “基本設計・部材” 統一を計っておく=という事。例えば(僕の妄想)○甲型=水線長160~170m級 水線幅21m前後−−豪華客船・水上機母艦・潜水母艦・護衛空母(or航空機運搬船) 他  ○乙型=水線長140m前後 水線幅18m前後−−簡易(練習)巡洋艦・客船・貨物船・タンカー  他  ○丙型=水線長120m前後 水線幅15~16m程−−貨物船・客船・タンカー  他  ○丁型=水線長100m前後 水線幅13~14m程−−同上 等々 ←この様に、数クラスに分けて「平時」から民間造船所に技術移転し、設計者・工員の技術レベルを向上させて置く。昭和10(1935)年頃からスタート出来る様に準備する。そして昭和15(1940)年頃を目処に ”ブロック工法・電気溶接技術“ の全面的導入を目指す。これが正解だったと考える。

 「最後に」当時の日本が、アメリカとの戦争に「完膚無き敗戦」を喫したのは、(当時の=今も)経済超大国=米国に無謀な戦いを挑んだからでは無く。(当時の)軍・産・官・学が一部を除き=協力する事無く、個々に勝手に行動していたから。そうで無ければ、少なくとも “あれだけ多くの犠牲者” を出さずに済んだ=これが間違いの無い真実=と確信する。これは、現代日本の経済敗戦(衰退)にも通じる。

               杉岡宗春 

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