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短編小説「青春のおじさん」

 この社会に37歳フリーターおじさんの居場所はない。
 若くもないし、シニアでもない。
 中途半端な年齢、それがアラフォー。
 何か成し遂げたいと思い続け、読書と労働ばかりの若かりし時代。
 気付けば、楽しい思い出は何もなく、真性の童貞になってしまった。
 ニートをしていたわけではない。引きこもっていたわけでもない。
 しっかり労働していたのに、誰かと恋愛に発展したことがない。
 誰かと遊んだ思い出もなく、家に帰って、ひたすら読書していた。
 2年前、身体を壊して退職。少しばかり体調が戻ったことをいいことに、すぐにアルバイトを始めた俺。
 そして、大学生アルバイトたちのキラキラぶりに圧倒されて、自分の存在意義をなくしてしまった。
「俺の人生はなんだったんだろ」
 アパートに戻って、自問する。
 答えはすぐに出た。

 人生、そんなもんさ。

 自分を殺しかねないほどの悲しい答え。
 じゃあ、あの大学生たちを見てみろ。俺みたいな人生を歩んでいるわけじゃないだろ。
 日本酒が入ったグラス。それを握っている手に力がこもる。
 このまま割ってしまいそうだ。そして、手の皮膚が切れて、血が大量に流れ出て、タオルを手に巻きながら床を掃除しないといけなくなるから、手の力を緩めた。
 情けないおじさんだ、俺は。
 嘆く暇ももったいないので、求人サイトで職探しをすることにした。
 パソコンを立ち上げ、「求人 高給 簡単」とググる。
「ふ~ん。いろいろあるんだな」
 闇バイトだけかと思ったが、案外、しっかりした求人が載っている。
 俺はパソコンを閉じた。
 やる気がない。働く気がない。ただそれだけで、大して調べもせず、もちろん応募なんてのもしない。
「俺の人生、なんだったんだろうなぁ」
 翌日。夜勤アルバイトを、俺と同じフリーターだが、20歳というぴちぴちの若者である小岩と一緒に従事していた。
 不意に小岩が、
「あの、自分の人生ってなんなんだろって考えませんか?」
 と訊いてきた。
「小岩くん、俺の悩み、それだから。若い子がどんどん入ってきて、夜勤のシフトが削られて、今、なけなしの貯金で食ってるから。俺、どうしたらいいの?」
「僕ね、いろいろ考えるんです」
 俺の質問をフルで無視するんだな、この後輩は。
「もし、パラレルワールドが本当にあるんだったら、違う世界に行きたいなって」
「五次元の世界に行く方法なら知ってるよ、俺」
 小岩は眼を見開いた。
「本当ですか?」
「前に本で読んだ。でも、具体的なことは忘れた。1つだけ覚えているのは、淡々とこなす、こと」
「どういうことっすか」
「五次元の世界は、自分の望みがいとも簡単に叶う世界なんだとさ。だから、俺らの三次元の世界で淡々と夢に向かって行動すると叶うみたいな。つまり、自分の周りだけ領域展開みたいな? 自分の周りの空間を五次元展開!」
 俺は両手で印を結ぶ。
 それを思い切り無視した小岩は、ため息に似た息を思い切り吐いた。
「そういうことか」
「え? 何が?」
 小岩の目がキラキラしている。
「先輩、ありがとうございます。やっと僕、分かったような気がします」
「だから、何が?」
 それから小岩はぶっ通しで仕事をし続けた。微笑みをたたえながら。

 俺だって、やりたいことさえ分かれば、淡々と行動するさ。
 でも、何かを成し遂げたいって、何をだよ。
 帰宅した俺は、日本酒片手に湯豆腐をつまんでいた。
「俺も別次元の世界に行きたいよ」
 俺の夢、望み、叶えたいもの。
「俺は、大好きな嫁と可愛い子どもが欲しいな。そんなごく普通の幸せが」
 それには金がいる。
 そして、もう働く気がない。
 淡々と何をこなしていけばいいんだ。
 どうして働く気がないんだよ。
「どの仕事も楽しくねえし」
 楽しい仕事。自分の夢の仕事。それだったら働いてやってもいい。
「夢か……」
 俺はもう自問自答する気がなくなってしまった。
 日本酒を飲むペースが早い。
「そろそろ仕舞いにするか」
 俺はテーブルの上を片付けた。
 求人アプリでもう一つアルバイトを探し始める俺。
 早く見つけないと貯金が底をついてしまう。
 結局、自分の夢の仕事は分からずじまいだった。

 小岩とはよく一緒にシフトに入る。
 明け方になると、暇な時間が増えて会話が弾む。
「僕は、子どもの頃からずっと絵を描く仕事をしたくて、今は淡々と絵を描いています」
 仕事や将来の会話をしていると、小岩がそう言ってきた。
「そうだな。子どもの頃に抱いた夢が本物だな。金、名声、利益といったものを一切考慮に入れることができない子ども時代。ただただ純粋な夢。本当のマジの夢」
「それも本で読んだんですか?」
「いや、自分の思考した結果。と言っても、俺自身が何をやりたいのか意味不明なんだけど。俺って何したいんだろうな」
 小岩はどこか遠くに視点を定めている。
「絵を描くの、楽しいっす。先輩は嫌いですか? 絵を描くのは」
 そういえば、小学生のころ、自由帳に絵をたくさん描いていた。ガンダムやゲームキャラクターの絵。
「イラストか……」
「先輩も心当たりがあるんじゃないんですか?」
 なぜか小岩が誘導しているような気がする。
 でも、本当に絵を描くのは好きだった。
 俺の通っていた小学校の卒業式の習わしで、卒業生は将来の夢を宣言する、というものがある。

 俺は画家になります!

 そうだった。俺はそう宣言した。
「先輩、どうしたんですか……」
 俺は泣くのを堪えきれなかった。
 どうして、今まで忘れていたんだろう。
 苦しいほどに涙が溢れてくる。
 そして、やっと落ち着いた俺は、
「俺も絵を描くよ。もう歳だから時遅しかもしれないけど」
「そんなことないっすよ」
「小岩くん、ありがとうな。おかげで救われた思いだよ」
 それから俺はぶっ通しで仕事をした。微笑みをたたえながら。

 あれから、半年ほど経ったが、俺の人生には何の変化もない。
 いや、ないことはない。
 描いた絵をSNSに投稿している。そして、新たなアルバイトも始めて、ダブルワークしている。
 絵の収入はない。ダブルワークを始めて、やっと収支が黒字になっただけ。
 小岩はすでに、絵の仕事の依頼が来たらしい。やっぱりできる子だ、あいつは。
 絵の収入がないと言っても、今は毎日が楽しい。
 楽しいと思う心が、楽しい現実を生み出す。
 喜びの心が、さらなる喜びを生み出す。
 幸せな心が、幸福を運んできて、人生絶好調になれる。
 でも、絵を描いているのは、結果を期待しているからじゃない。
 求めているんだ。絵を描くことを。
 俺にとって、絵は必要不可欠であり、生きる糧。
 だから、毎日描く。
 それだけで救われるのだ。



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