亡き人との会話から学ぶ「今」
祖父が亡くなった日、
私は祖父の遺体を前に泣いてたら
後ろから遺体を去った祖父が話しかけてきた。
「え、今?!」
と、びっくりしながら、
いっぱいいっぱいな私は、
祖父を無視した(笑)
「今あなたの遺体を目の前に悲しいので、
それどころじゃないから、話しかけないでください。」
すっごいシュールというか
地球っぽすぎるコントのようだった。
こうやって人は、
”この瞬間"を取りこぼしていくんだと思った。
完全に”今に在る"と死と悲しみのドラマから抜けざるを得ない。
どこまでも”今に在る”って
時に残酷に思えるほどの領域に踏み込んでいくことなんだと
おじいちゃんは教えてくれたような気がする。
”「今」ってこういうことだよ”
と、突きつけられたような。
同時に、
私は今回安心して悲しみを感じることができた。
誰かの死を体験した時にたまに聞く
「死は幻想で、魂は死んでないんだよ。」
「祝福してあげて」
みたいな励ましの言葉が好みじゃない。
そんなこと、知らん。
悲しいものは悲しい。
思考で感情を整えようとするのは、
準備ができたらやりますので。
とは言え、
実は、スピリチュアルなことを学び出した時に自分もそう思っていた頃があったから
「死は幻想で、魂は死なない」を思想だけでインプットして
肚に落ちてない昔の自分に言われているようで、嫌なんだと思う(笑)
感情を感じるのが怖いから、あの世を信じたい。というような頃。それも大事な時期なんだけどね。
私は、
死は無いとか
魂は生きているとか
そういうことは、置いておいて
大好きな人を亡くして
悲しみを感じられるという幸せ
を感じた。
この悲しみを一緒に感じられる人がいることもすごく幸せだと思った。
傷心しながら、ヘロヘロになりながら
なんだかその心地よさにほっとしたようなところがあった
ような気がちょっとだけする。
これも後付けの解釈かもしれないけど
でも、葬式の前日に
「ふと、思い切り落ち込んで泣けるようになったな」と思ったことは確かだった。
何を感じても
どれだけ悲しみに打ちひしがれても
いいよって思えるって、幸せな人間になったなと思う。
だから、みんなにもそう思う。
必ず日常に戻って来れる生命力を信頼したい。
おじいちゃんを無視した話しは、
天国で笑い話として盛り上がると思う。
YouTubeでも話しました。
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