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「自由」と「希望」の紡ぐ圧倒的カタルシス。『ショーシャンクの空に』【映画感想文】

※ネタバレ注意

あらすじ

 有能な銀行員であったアンドリュー・デュフレーン(アンディ)は、無実の罪でショーシャンク刑務所に投獄される。罪状は妻とその愛人の殺害で、刑期は終身刑。
 刑務所は劣悪な環境だったが、囚人・看守との交流や苦難を経験しながら、自分の信念と希望を失わずに生きていく。アンディは刑務所内で財務や図書館の仕事を担当し、知性と機転で多くの人々から尊敬されるようになる。一方、彼の親友で刑務所の『調達屋』レッドは、刑務所の中で生きるしかない人生に不安を抱えていた。
 ある日、アンディは新人の服役囚トミーが自身の冤罪(殺人)の真犯人の情報を得る。そこで所長に自身の再審請求をしたいと訴えるが、自身の不正蓄財を知るアンディの解放を望まない所長は、彼を懲罰房送りにする。
 しかし、1ヶ月経っても折れないアンディに業を煮やした所長は、冤罪証明の鍵を握るトミーを脱走を企てたとして射殺してしまう。
 それを知ったアンディは………。

感想

巧みなカタルシス描写

 なんで今更こんなド定番作品?とツッコミたくなるかもしれない。仕方ないじゃん。今日初めて見たんだから。
スティーヴン・キングの小説『刑務所のリタ・ヘイワース』を原作にした、1994年公開の映画。小説の方は読んでいないが、映画の方が有名なんじゃないかなと思う。

 さて、映画の内容に移ろう。あらすじは先に書いたとおりだが、この映画のめっちゃええポイントはなんといっても圧倒的なカタルシス(解放感)描写だ。 
 印象的なシーンを挙げてみよう。

  • 刑務所の屋上でビールを飲むシーン

  • 『フィガロの結婚』(モーツァルトのオペラ)が刑務所中に流れるシーン

  • 雨の中で両手を広げ天を仰ぐあの有名なシーン(きっとたくさんの人が真似したに違いない)

  • アンディとレッドが美しい砂浜で抱き合うラストシーン

 これらのシーンはどれも印象的だ。視聴する時、心地よい安らぎや快感が胸の中に広がるのを感じることだろう。
 作劇上でのカタルシスとは抑圧から解放された際に生じる感情だ(と私は理解している)。そして、抑圧が強いほど得られる快感も強くなる。『ショーシャンクの空に』はその描写が非常に巧みだ。

 「刑務所の屋上でビールを飲むシーン」を例にとって説明してみよう。 
 アンディが投獄された刑務所は、新人を「フィッシュ」と罵倒し、誰が最初の夜に泣き出すか賭けるのが習わしになっている。看守は高圧的で、ことあるごとに暴力を振るう。その日は泣き出した囚人を見せしめに暴行、結果として殺害してしまう。しかしそれも事故として処理され、お咎めはなし。囚人も看守も見事なまでに腐り切っている
 アンディの存在はショーシャンク刑務所にとってまったく似つかわしくない。ハンサムだが線が細く、常にむっつりして何を考えているのかわからない。タバコも酒もやらず、趣味と言えるのは石細工くらいのもの。なんというか、いかにもエリートという雰囲気を隠そうとしない。
 まさに異質な存在であるアンディは、悪質な囚人グループに目をつけられることになる。ことあるごとに彼らから暴行を受け、刑務所の先輩であるレッドはそのうち廃人になってしまうのではないかと心配する。そうして少数の囚人たちと交流しはじめるものの、問題の根本的な解決にはならなかった。アンディは暴行を受け続け、生傷の絶えない2年間を過ごす。

 転機が訪れるのはある年の5月、刑務所の屋根を塗り替える作業に就いたときだ。作業中、看守の1人(例の極悪看守だ)が同僚たちと遺産相続の問題を話しているところにアンディは割って入り、銀行員の経験を活かして解決策を提示する。対価としてアンディが求めたのは、仲間たちにビールを与えることだった。
 作業グループの一団はうららかな5月の空の下、屋上でビールを楽しむ。まるで自由の身になったような、神さまにでもなったかような心地よさ。しかし、アンディは遠巻きに眺めているだけで仲間に加わろうとはしない。グループの1人が彼にビールを勧めても、「酒はやめたんだ」と言って笑うだけだった。
 アンディがなぜそんなことをしたのか、囚人たちには分からない。しかし、もしかしたら彼はなにか安らぎみたいなものを求めていたのかもしれない。そんな思いを抱くとともに、彼に対する囚人たちの視線には尊敬の念が混じるようになっていった。
 それからすぐ、アンディを暴行していた囚人グループのリーダーは看守から折檻を受け病院送りになり、能力を認められたアンディは刑務所の「財務担当者」の立場に置かれるようになる。

 この場面が意味するものは二つある。一つは囚人たちがアンディを認めるようになるという点。そしてもう一つは刑務所の支配層(看守や所長)に対してアンディの有用性を示したという点だ。アンディの敵であった囚人社会と看守たち(=支配層)の両方がアンディを認め、敵から味方に転じる、つまり二重の意味で抑圧から解放されるシーンなのであり、だからこそ視聴者の印象に残るのだ。

もう一人の主人公・レッド

 『ショーシャンクの空に』はこういった巧みな描写が節々に配置されているだけでなく、物語全体を通してもカタルシスを生じるギミックが仕込まれている。もう一人の登場人物、刑務所の先輩・レッドに着目してストーリーを追ってみよう。

 レッドはアンディと同じく殺人の罪による終身刑で投獄されていたが、冤罪ではない。そして自分が刑務所で一生を終えることを受け入れている。つまり、刑務所という閉じたエコシステムに完全に適応してしまっている人物だ。
 彼が仮釈放の審査を受ける場面が何度かある。そのたび、査問に対して彼はお決まりの文句を並べるだけで、更生委員の判断はいつも仮釈放不受理。しかし彼はこれを当たり前のことと捉え、希望を持ってはいけない。そして、自分はシャバで生きていける人間ではないと繰り返す。

 図書係のブルックリンという囚人がいた。彼は50年以上ショーシャンク刑務所に服役していたのだが、ある時仮釈放が決まる。すると彼は取り乱し、仲間の1人の首にナイフを突き立てて「刑務所から出たくない!」と涙ながらに絶叫する。
 その事件はなんとか看守から隠し通すことができ、ブルックリンは無事仮釈放されたのだが、後から来た手紙により、出所した彼が自殺したことを囚人たちは知る。
 困惑する囚人たちをよそに、レッドだけはブルックリンが取り乱した理由も、自殺に至った理由もわかっていた。ブルックリンの獄中生活はあまりにも長すぎ、完全に獄中社会に適応してしまった彼は一般社会に適応することができなかった。彼が取り乱したのは、自分がそうなることを誰よりもよく知っていたから。
 そしてレッドは、もし自分が仮釈放されてもブルックリンと同じ運命を辿るのだろうと予感していた。彼も適応した側なのだから。

 「希望を持つな」レッドは口癖のように繰り返した。獄中において希望はに他ならない。なぜなら、叶わないから。
 その諦念に真っ向から反対したのがアンディだった。

 レッドはアンディの親友といってもよい立場にあった。刑務所で浮いていたアンディを心配してコミュニケーションを取り始めたのも彼だし、『調達屋』として色々と便宜を図ってやったのも彼だ。しかし、めきめきと頭角を表し、刑務所内の環境を次々に変えていくアンディを一番すぐそばで眺めていながらも、レッドは常に傍観者であり続けた。だが、心のどこかは動かされていた。決して「希望」を否定しなかったアンディの言葉と、振る舞いに。
 アンディは「自由」という夢をずっと抱き続け、最後には脱獄という形で見事に実現させた。アンディの成し遂げたことを満足げに振り返りながらレッドは思う。「彼は自由に飛ぶべき鳥だった」。しかし彼のいない生活に対して空虚さを感じる自分にも気づく。これは友への感傷か、それとも……。

 レッドは再び仮釈放の審査を受ける。しかし彼の態度はそれまでと全く違っていた。彼は更生委員の前で自身の胸中を赤裸々に述懐する。

罪を犯したことを後悔しなかった日など一日もない。ただただ、殺してしまった彼ともう一度でいいから話をしたいと思うばかりだ。更生したかどうかや仮釈放の是非など、もはやどうでもいい。
映画『ショーシャンクの空に』レッドのセリフより要約

 この正直な告白を前に、更生委員はレッドの仮釈放を許可する。しかし40年ぶりに刑務所を出たレッドは以前危惧していたように社会への不適応に悩まされることになる。このまま彼もブルックリンと同じ運命をたどってしまうのだろうか。やはり、希望は毒だったのだろうか。

 明暗を分けたのはアンディの存在だった。レッドはアンディとの最後の、そして謎めいた会話を思い出す。バクストンの農場。樹の根元の黒曜石の下。そこでレッドはアンディからの手紙と旅費を見つける。同時に新たな人生の希望、かつてアンディが語った夢をも受け取るのだ。
 『ショーシャンクの空に』のラストはアンディとレッドが再会するシーンで締めくくられる。このシーンがあまりにも美しいのは、まさに人生に抱くべき希望というものが凝縮されたシーンだからだ。そしてそれはアンディにとってだけでなく、レッドが諦念という抑圧から完全に解放され、その先にある輝かしい希望をつかみ取った瞬間を描いているからでもある。

 ロシアの文学者ユーリ・ロトマンは、物語における主人公を「越境する者」と定義した。この場合の「越境」とは単に地理的な意味合いではなく、物語の物理的あるいは観念的な空間を「」と「」に分け、その境界を乗り越えること(難しくいうと「位相的な越境」。ちなみに物語論エアプなので間違ってるかもしれないです)。
 『ショーシャンクの空に』に置き換えてみれば、アンディは「束縛(監獄)」と「自由」との間をたしかに越境している。同時に、レッドもまた「諦念」と「希望」との境を越えているという点で、まさしく「もう一人の主人公」と呼ぶべきなのだ。

総評

 『ショーシャンクの空に』は、二人の主人公を通して「自由と希望の紡ぐ圧倒的カタルシス」を巧みな筆致で描き出している作品だ。そりゃ名作だよ。めっちゃ面白いもん。
 もう見たことのある方は、また見てみてはどうでしょうか。まだ見たことのない方は、ぜひ見てみてください。

基本情報

題名:ショーシャンクの空に/The Shawshank Redemption(原題)
原作:スティーヴン・キング刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』1982.8.27
監督:フランク・ダラモン
主演:ティム・ロビンス(アンディ)/モーガン・フリーマン(レッド)
公開:1994
視聴の時期:2023/03/19~2023/03/19

ショーシャンクの空に(Prime Video)

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