【まいにち短編】#8 生きていく場所

嫁に入った家から逃げ出した。
36歳にもなって、人生で初めての家出だ。

もうとにかく我慢ならなかった。
毎日毎日義理の母と独身の義姉に嫌味を言われながら
食事を作り、洗濯をして、掃除をして、また食事を作って、洗濯を取り込んで、買いもにに出かけて、食事を作って、寝る生活に。

愛があれば生きていけると思っていた。
旦那のためなら、どんなことでも我慢できるつもりだった。
けれど、歪みは歪なのだ。
見ないようにしていても、気にしないふりをしていても少しずつ少しずつ私を蝕んでいく。
旦那は、私が二人にいびられていることを知らない。旦那の前では二人は結託して「いい子ちゃん」になるのだ。
一度だけ思い切って相談したことがあったけれど、冗談だと言われて信じてもらうことができなかった。

でも、そんな生活も今日でおしまいだ。
完璧な三行半を置いてきた。もうあの家に帰る気は毛頭ない。

「ただいまー」
「あれ?あんた、なんでこんなところにいるの」

とりあえず行くあても他になかったので、実家に帰ってきた。
母がごろごろとしながらテレビを見ていた。

母は毎日自分だけの時間を持てていたのかと思うと嫉妬心が湧いてくる。
けれどもちゃんとしなくていいんだという例を見ると、安心する。

「家出してきた」
「はあ?家出?またなんで」
「もう、なんだっていいでしょ。とにかく、しばらくここに住むからね」

荷物を降ろして、自分のためだけにお茶を入れる。
いつもは「お茶っぱが多い。この嫁はお茶すら満足に入れられない」などとの罵倒が飛んでくるところだ。
一挙手一投足に文句を言われる恐怖から解放されたんだと思うと、涙が流れた。
しばらく、ゆっくりしよう。自分だけの時間を過ごすんだ。
自分でも今までよくやってきた方だと思う、これくらいなら許されるだろう。

「何があったか知らないけれど、気が済んだら帰るんだよ。あんたの家はもうここじゃないんだからね」
夕食の時に、突然母から告げられた。
「そうだな、あんまり向こうの家に迷惑をかけるのも悪いし、明日くらいに帰りなさい」
続けて父にも言われた。

迷惑?あの人たちにとっての迷惑は私の存在だろう。
でもそうか、もうこの家は私の家ではなくて、今私がここにいることは彼らにとってもイレギュラーなのか。

じゃあ、私の居場所って、一体どこになるのだろう…。

両親に反論する気力も湧かず、翌朝実家を出た。

ふらふらと駅に向かって歩く。
私が知らない間に、見慣れたはずのこの街も再開発が進んでいた。

時間も、人も、街も変化して流れているのだ。私だけがどこかに取り残されてしまった。

もうしんどい。無理だ。
あの家に帰るのは、絶対に嫌だった。
もっとひどい家庭があるとか、そのくらい根性つけて耐えろとかいう人もきっといるだろう。
でも私にとっての限界はとっくに超えていたのだ。

両親は、私の味方だと思っていた。
でも居場所が違うと言われてしまったら、もう何も言えなかった。

これからどうしようか。
どこに行けばいいのだろう。どこが私の居場所なのだろう。
この世に私が存在する場所なんて、もしかしたらないのではないだろうか。

「もう、死んじゃおっかなー」
そんなことを呟いたとき、後ろからよく知った、暖かい声が聞こえた

「百合!!!!よかった!!!!はあ……はあ……、やっと……見つけた」

旦那は、ずっと走り回って私を探していたのだろうか、汗の匂いがする。

「今まで気づかなくって、ごめん…。とりあえず今日は近くのホテルを取るよ。あとのことは二人でゆっくり考えよう」

そうか。ここにあったじゃないか。
小さな光だったかもしれないけれどもあなたの隣が私の唯一の居場所だった。
このために、頑張ってきたんじゃないか。

思いっきり彼にハグをする。ああ、どうして忘れられたんだろう。
この温もりを私は一生手放さない。

「ありがとう…、ほんとうに、ありがとう」

私は、久々に、自分の気持ちを伝えることができた。

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