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「妊娠中も/産後すぐに仕事してる人は偉い!」の呪いを解きたい

「産む前日まで原稿を書いていた」「産後1ヶ月で取材復帰した」みたいな話をすると、しばしば「妊娠中もずっと働いてたなんてすごい」「産後すぐ復帰したなんて偉いね、私なんかめっちゃ育休とってたよ」などと言われます。褒めてもらえるのはありがたいことだけど、じつは偉くもないし、すごくもありません。

そういうこと言われて嫌な気持ちになっている、とかじゃないんですよ。私自身も人のことを「えらいね! すごいね!」って軽率に褒めるし。シンプルにすこやかに褒めてもらえているのなら、うれしいんです。

でも、産前産後の女性はホルモンの影響で、情緒が不安定になりがち。そんな女性たちからの賛辞には、言葉の裏に「私は寝込んでばかりで何もできない……」「子どもの世話だけでこんなに大変なのに、私は仕事と両立できる気がしない」「妊娠してから私ダメダメだ……」みたいな気持ちを感じてしまうときがあって、すごく心配になります。弱っていると、周りの人のことがすごく偉く見えて、つらくなっちゃいますよね。「友がみな われよりえらく見ゆる日よ」です。

でも、産前産後は弱っていて当然です。そして、私が超人なわけでもありません。

産前産後の状況は人それぞれ、全然違う

なぜかというと、産前産後の心身の状況は、本当に千差万別だからです。

私みたいに「おおよそ順調で、マイナートラブルはあるけれどまぁなんとか臨月まで動けるし、産後も元気」なパターンもあれば「産むまでずっと吐き気があり、なかなか食べられない」とか「6ヶ月から切迫早産で長期入院せざるをえない」とか「産後の貧血がひどくて、デスクワークも厳しい」とか、症状は人によってばらばら。

体だけでなく、心のほうも「子どもを産むことが怖くてハラハラ」とか「わけもなく悲しかったりイラついたりする」とか、反対にマタニティハイになってるとか、いろんなパターンが聞こえてきます。

程度の差こそあれ、体にも心にも、自分にしかわからないうえにコントロールできないつらさがあるわけです。そこで「あの人より楽なはずなのに私は……」「あの人はできているのに」なんて、誰かと比べて落ち込む必要はありません。

さらに仕事においては「その状態で、どれくらい仕事がしたいか/しなくちゃいけないか」という要素が加わってきます。もちろん、その度合いも人それぞれ。

私の場合は運よく心身の負担が軽くて、かつ仕事が好きだから、働きたくて働いていただけ。働きたくても働けない人や、そんなに働きたくない人もいるなかで、私はたまたま働きたくて働ける状態で幸運だったね、というだけの話です。だから、偉くもすごくもないんです。

「子育てしながら働く=偉い/すごい」でもない

もうひとつ引っかかっているのは、これです。
専業主婦や育休中の友達は「働きながら子育てしていてすごい」と言ってくれるけれど、私からすれば、子育てに集中しているほうがよっぽどすごいと思います。私にとって、仕事をしている時間は育児の息抜きでもあるから。

つまり、フィールドが違うだけで、それぞれに(誰かから見れば)大変な時間を過ごしているわけだから、どっちかが偉いわけじゃない。仮に働いている私がすごいというならば、子育てしている相手のほうもすごいわけです。どっちもすごい。

この感覚って、子どもの有無も関係ないと思っています。子どもがいても働いていて偉い、子どもがいなくて働きまくっていて偉い……みたいに、属性と状況と「偉い・偉くない」「すごい・すごくない」を結びつけるのではなくて、それぞれの状況のなかで自分のしたい選択ができていれば、それでいいはず。

ただ、子ども3人をワンオペしながらフルタイムで働き、趣味のヨガも毎日やってる……みたいな話を聞くと、それはさすがに超人では? と思います。全部やりきれるエネルギーと、時間をやりくりする能力があることがすごい。でも、それが偉いかというと、やっぱり違う気がするなぁ。

そもそも、偉くなくても すごくなくてもいい

ポジティブな文脈でつい「みんな偉い!」「みんなすごい!」とか言っちゃうけど、よく考えたらそれもけっこう乱暴な話ですよね。自己肯定感が下がりがちだから、自分たちのすごさや偉さを見つけて、褒め合う。それでテンションを上げていくのは、褒めが足りない今の社会において、とてもすばらしいことだと思います。

でも本当のところ、私たちは偉くある必要も、すごくある必要も、ないような気がする。

「偉い」「すごい」は、その裏にある「頑張り」と強烈に紐づいていて、「そうなるためにもっと頑張れ~~~」というプレッシャーをかけてくるのが厄介です。

私はたまたま仕事が好きで、それなりに頑張ることがわりと心地よかったりするタイプなんですね。だから、私は私のために頑張る必要があるし、頑張ったからすごい結果を出したいと願うこともあります。でも、こうやって自分の好きな状態になるために納得ずくで頑張ってるならいいけれど、つらくて仕方ないのに頑張っちゃってるみたいな話だったら、あんまりいいことだとは思いません。

すごくなくても、偉くなくても、頑張らなくてもいいけど、自分が好きな自分になって、自分の好きな人を幸せにしてあげられたら、それめっちゃいいよねとは思います。そのためには結局そこそこ頑張る必要が出てきたりはするんだけど……。でも、やみくもに気負うことと正しく力を尽くすことは、ちょっと違う気がしています。

とはいえ、産前産後にどこまでやれるかなんて、完全に運です。できなくても自分のせいじゃないし、できる人より頑張っていないわけではありません。いずれ納得いくようにやれるタイミングもくるだろうから、ぜひ思いつめないで……! 啄木みたいに「花を買ひ来て」、好きな人たちと「したしみ」ながら、ゆるゆるやっていきましょう。

【おまけ】なんでわざわざ、産前産後の自分がどれだけやれたか言うの?

ずいぶん前に「そもそも、あなたが『私は産む日まで原稿書けました!』とか言うからダメなのでは? プレッシャーになる」みたいに言われたことがありました。
私がそういうことを話すのは、状況が見えないうちから「妊娠/出産したらもう仕事はできない!」と思い込んでしまい、子どもがほしいのに妊娠に踏み切れないでいる人の、背中を押したいからです。超人マウンティングではありません。ましてや「やればできるんだから全員やるべき」「仕事続けたいなら根性出せ」みたいなことを言いたいわけでは、決してありません。
産前産後の体調や赤ちゃんの手のかかり具合は運なんだけど、前もっての心構えはできる。コミュニケーションを尽くして、周りの協力体制を整えておくこともできます。知っていればできる準備も少なくないわけです。私の「(いろいろ準備したうえで)案外なんとかなったパターン」を伝えることで、誰かの役に立てたらいいなと思っています。

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