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EX/PLATINUM NIGHT「白夜に踊る」~隠れ名曲、名演コレクション。

 加藤和彦さんと内田裕也さんのレコード会社(かなり無茶な組み合わせ!)にカメリア・レコードというのがありまして、大ヒットしたBOROさんの「大阪で生まれた女」はそこから出ているんですよね。
私の大好きなバンド、EXもカメリア・レコードからデビューしていたのです。
メンバーは映画音楽で活躍中(「それから」や「ふたりっ子」など多岐に渡ります)でギターの梅林茂さん、現在はビリヤードで活躍しているドラムスの羽山伸也さん、少し後に加入したシーナ&ロケッツ、サンハウスで活動しているベースの奈良俊博さんの3人がメインで、松田優作さんのサポートやレコーディングをする時期にキーボードの小滝満さんやサックスの矢口博康さん、ギターの原田末秋さんが加わったりしています。

 デビューのきっかけは博多に内田裕也さんが来た時、梅林さんが裕也さんにデモテープを渡した結果、一緒にやりましょうとなったのでした。
裕也さんを通じてデモテープを聴いた加藤和彦さんが自分にやらせてくれと名乗り出たというわけですよ。

・EX『EXHIBITION』(PSCR-5853/ポリスター)
「PLATINUM NIGHT」収録。
画像をタップすると、「PLATINUM NIGHT」のP.V.を見ることができます。

 その結果、1980年3月21日に発売されたのが、彼らのファースト・アルバム『EXHIBITION』とアルバムと同時発売のシングル「PLATINUM NIGHT」だったのでした。
梅林さんと羽山さんはサンハウスと同時期に活動していたブロークダウン・エンジンのメンバーでしたが、ライヴを重ねるうちに音楽性の違いが生じて解散。
その後、梅林さんはコマーシャル制作会社に入り、CM音楽を作ったり、テレビ番組の音楽演出を学んだとか。
ちなみに『EXHIBITION』のレコーディングでは梅林さんと羽山さんがほとんど全ての楽器を担当し、数曲で小原礼さんがベースを弾いたそうです。

 エリック・クラプトンのオープニング・アクトを担当することが決まって、ギターのオーディション(梅林さんはブロークダウン・エンジンではベースを担当していたので、当初はギタリストを探していたのでした)でメンバー探しをしたものの、なかなかフィットする人がいなかったというわけです。
その時、思い浮かんだのはベースの奈良俊博さんで、それからは梅林さんがギターを担当することになったわけですよ。

 ツアーが始まると、クラプトン側から「このバンド、音がうるさい」とクレームがついたらしいのですが、ツアー・プロデューサーがサディスティック・ミカ・バンドを知っていて、「(加藤和彦さんが)プロデュースしてるバンドなら仕方ないか」となったとのことです。

・「ロック・ステディ 1980年5月号」(インターナショナル音楽産業)
加藤和彦さんインタビュー掲載。カメリア・レコードやEXのP.V.について語る。
画像をタップすると、松田優作 with EX「PLATINUM NIGHT」を聴くことができます。

 加藤さんはプロデューサーとして、当時としては非常に珍しい「PLATINUM NIGHT」のプロモーション・ビデオを制作しましたが、何と1000万円を使ってしまったそうです(「ロック・ステディ 1980年5月号」の加藤和彦さんインタビューより)。
機材の関係で仕上がりは今の視点で見ると、上出来とは言えませんが、後のゴドレイ&クレームの「Cry」に通じるセンスが伺えます。

 その後、EXは『スネークマンショー』に参加する予定があって、細野晴臣さんプロデュースでロキシー・ミュージックの「RE-MAKE/RE-MODEL」を録音するも、権利関係で未発売に(2000年9月20日発売の『EX2』でお蔵だしされました)。

 「ミュージック・ステディ 3号」にはEXが渡英し、レコーディングの準備に入ったニュース記事(この時点では梅林さん、羽山さん、奈良さんに小滝さんが入った4人編成)が掲載されましたが、正式なレコーディングには発展しなかったのでした。

 帰国後、松田優作さんのアルバムに梅林さんが曲を提供することになり、梅林さんの作品を気に入った優作さんから呼び出され、アルバムの全曲を梅林さんの作品でと依頼されたのでした。
結果としてはアルバム半分の演奏をEXが担当した『インテリア』が1982年11月21日に発売され、ライヴの演奏もEXが担当するようになったのです。
ちなみに梅林さんに資料となるレコードを打ち合わせの際持参させて、その結果として優作さんの音楽性がそれまでのブルースからロキシー・ミュージックにインスパイアされたものへ変化したのでした。

 1983-84年のニューイヤーロックフェスにEXは出演していて、3人編成(梅林さん、奈良さんに羽山さん)で「夢・誘惑」を演奏しているのが放送されました。
白いシャツに黒ズボン姿というステージやテレビ出演時の衣装でしたね(これは活動初期から)。
同じ年の松田優作さんと内田裕也さんの「赤い風」のセッションには梅林さんが参加してます。

 松田優作さんとのコラボは続きまして、1985年3月21日発売のアルバム『DEJA-VU』ではアーティスト名が松田優作 with EXとなりました。
『EXHIBITION』収録曲の「PLATINUM NIGHT」と「DUSKY TOWN」が松田優作 with EXで録音~披露されています。
  
 その前後には土曜ワイド劇場「断線」(松田優作さん、木村理恵さん主演)の音楽を梅林さんが担当し、その後映画音楽で活躍する伏線があったのでした。

 1985年にはバンドとしてのEXは解散しましたが、松田優作さんとのコラボレーションは梅林さんが「断線」や「ア・ホーマンス」の音楽を担当したり、奈良さんと羽山さんがD.F. NUANCE BAND に参加することで続きました。

・「ストレンジ・デイズ 2000年10月号」
梅林茂&奈良俊博インタビュー掲載。『EX 2』関連。
画像をタップすると、松田優作 with EXの「オールナイト・フジ」出演時の映像を見ることができます。

 「PLATINUM NIGHT」にはEXと松田優作 with EX以外にもLONG VACATIONのカヴァー・ヴァージョンも存在するのです。
ケラさんがヴォーカルのバンドで1995年3月25日に発売されたミニ・アルバムのタイトルにもなっていますね。

 EXや梅林茂さんのソロなど、関連するほぼ全てのアルバムは入手困難になっている模様なので、是非再発してほしいものです。
CDの小暮秀夫さんによるライナーは日本のテクノ・ニューウェイヴの歴史を振り返る上でもかなり重要ですから。

 長くなってしまったので、この辺にしますね。明日も隠れ名曲、名演コレクションをやりたいと考えておりますが、予定は未定です。

 ではまたー。

 

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