大喜利を見まくっても大喜利ができるようにはならない。

突然ですが、ひょんなきっかけで笑点の大喜利にはまってしまい、せっせと観る日々が続いています。笑

みなさんご認識だとは思いますが、もう大喜利はいろいろすごすぎてですね・・・

■まず、発想の瞬発力がすごすぎる
■特にチームワークで畳み掛けて笑いを取るのがさすが
■(落語家なので当たり前ですが)お話が上手。女性や子どもの役など演じ分けもすごい
■温度感がちょうどよくリラックスして観ていられる(漫才やコントは最近の私には刺激が強いのです・・・)

私は落語には全く詳しくないので、大喜利を通じて落語家のプロフェッショナルとしての仕事の一端に触れて、感動しているわけです。

(ちなみに、出演メンバーそれぞれの笑いの取り方どれも好きなのですが、特に林家たい平さんのものまねネタと声ネタ(主に花火)が好きです。くっそこんなのでwwwという笑いが好きでして。笑)


そんなわけで大喜利を観まくっていたら、なんと先日、私が大喜利の回答者になっている夢を見ました。爆笑

落語家を尊敬しすぎて、深層心理で落語家および笑点メンバーになりたいと思ってたんでしょうねぇ・・・


で、その夢がどんなだったかというと、びっくりするくらい悪夢でした(笑)

お題に対して全く回答が思いつかないんですね。
それをうんうん唸っている夢で、まじで悪夢でした。起きたら汗びっしょりだった・・・


何回も見ていると確かに回答の予想がつくことはあって、ダジャレが来そうとか、ラーメンネタが入りそうとか、霊柩車が登場しそうとか、そういうのがわかるときはあります。

でも、自分オリジナルのいい回答を思いつけるかは全く別の話です。


なので、大喜利をたくさん観ていい回答をインプットしまくっても、それだけではいい回答を生み出す力はつかない。

大喜利の回答者として自分の頭を悩ませることが何より重要なのだと、悪夢から覚めて汗びっしょりの状態でまさに体感したわけです。


これはたぶん多くのことに通じます。

■いい文章をたくさん読んでも、それだけで書けるようにはならない。自分でいい文章を書こうとしなければならない。

■いいプレゼンテーション資料をたくさん見ても、それだけでいい資料を作れるようにはならない。自分でいい資料を作ろうとしなければならない。

■ヨガのポーズがうまくできても、それだけでいいインストラクターにはなれない。相手に教えよう・伝えようとしなければならない。


つまり今日のメッセージは「ステージに立ちましょう」ってことなのです。


日曜の午後にこれを読んだみなさん、日曜5時半は、、、わかりますよね??
(ちなみに日テレさんの回し者ではありません 笑)

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