カジュアル希死念慮
※ 今回は繊細な話題なので、今は大丈夫!という元気のある時に読んでほしいです。
希死念慮って重たいものだと思っていた。
苦しみの末に「つらい現実から逃れたい」という気持ちで起こるものだと。
ところが、最近出てくる希死念慮がとても軽いのだ。
「コンビニにアイスでも買いに行こっかな」と思うくらいのテンションで
「死んでみよっかな」という思考が出てくる。
高い建物から地面を見下ろしたとき、電車がホームに来る直前、踏切で電車の通過を待つときに、アイディアが湧きあがってくるように希死念慮がむくむく顔を出す。
重い希死念慮には、
「死んだら、家族や友達が悲しむ」
「死んだら迷惑がかかる」
という葛藤があって、ストッパーになってくれている。
でも軽い希死念慮には葛藤がない。
こちらの方が危ない、と思う。
対処法として、なるべく死を連想する場所には近づかない、希死念慮が湧いたらその場からなるべく早く離れて気を逸らすようにしている。
そもそも本当に元気な人は、死んでみようかなどとは考えないわけで
軽い希死念慮も、病気だという自覚を持つようにしている。
カジュアルでもヘビーでも、希死念慮を持つということは、自分のことを大切に思えていないということだから。
「大切に思えないのがダメ」ではなくて、大切に思えるようになるといいな、と考えることでなるべく自分を大切に取り扱っている。
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