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「誇り」を失った日


戦え山雅 この街の誇り 気持ち見せろ勇者たち
ゆけ山雅 どんな時でも 俺たちがついてるぜ

ゆけよ ゆけよ ゆけよ山雅
俺の 俺の 俺の誇り
ゆけよ ゆけよ ゆけよ山雅 俺たちの声を受け

ゆけ ゆけ ゆけ

戦え山雅 この街の誇り 気持ち見せろ勇者たち
ゆけ山雅 どんな時でも 俺たちがついてるぜ


“この街の誇り”とはいったい何だったろう。

蹂躙されたのでもなく、力ずくで奪われたのでもなく、ただ「失った」。
いっそ相手が穢かったら。嘲笑されでもしたら。そのほうがましだったのだろうか。
そうしたら怒れたのだろうか。そんなふうに「相手のせいにしたい」気持ちが情けない。

「俺らが信州」のチャントはなかった。


「勝ってほしかった」「負けないでほしかった」、言葉にすればひどく薄っぺらだ。

「勝つべきだった」。何のために?
私たちは何と戦っていたのだろう。
ぽっかり空いたこの心の内は何だろう。
怒りすら湧かない、悲しみさえも遠い、悔しいとか無念だとかよく分からない。

「負けた」んだ。それも完膚なきまでに。

それってさ、そんなに大事なこと?


別に死ぬわけじゃない。
いつかは負ける日が来る。
負けたって多分、もうクラブは無くならない。
松本が長野市に統合されるわけでもない。

「ダービー」なんて囃し立てても、ただリーグ戦のひとつが終わっただけのこと。
まだまだ序盤で、10月にリベンジマッチも残している。
最後に優勝して笑うための糧にすればいい。

ポジティブに捉えましょう、なんて。
ああ、

「たかがサッカーに何を本気になっているんだろう」。


人生を賭けたような気分になっちゃって、馬鹿らしい。






『だが私たちにとって、悲しいまでに特別で唯一無二の存在が松本山雅なのだ。』


好きとか、推しとか、そんな綺麗な感情じゃない。
これは執着で、執念で、もはや怨念だ。


空虚な言葉で言い訳を並べないでくれ。
「悔しい」だなんて口にしないでくれ。
同じ口で「ポジティブに捉えたい」なんて言わないでくれ。

頑張っているなんて、努力しているなんて、分かっている。そんなのはプロなら当たり前のことで、そんなことを責めたいんじゃない。

私たちの無念のどれほどが届いている?
私たちにとってこのクラブがどんな存在なのか、どれだけ響いている?
どれだけの想いが集まってあの声援ができると思っている?

「本気になっちゃって恥ずかしい」なんて、頼むから思わせないでくれ。



ただ強いチームが欲しいわけじゃない。
上手なサッカーを極めてくれなんて思っていない。
川崎やマリノスや浦和レッズになりたいわけじゃない。

私たちは“松本”だ。

数あるJクラブのひとつで、決して強いほうじゃなくて、田畑だらけの泥くさい田舎で、立地も交通の便も悪くて、「サポだけはJ1クラス」「他に娯楽がないから」なんて馬鹿にされて、

それでも。そんな松本が私たちの誇りだった。
泥くさくて、根性だけは一人前で、相手が誰であろうと真正面から食らいついていく執念。
それって松本の土地柄なのかもしれない。立場が弱いからとか、劣っているからとか、そう思って諦めていたら今、「松本」なんて存在しないのかもしれない。
だから、「強くないけど根性は人一倍なチーム」が、こんなに胸を打つのかもしれない。


誰よりも泥くさく走った“松本の誇り”はもうピッチにいない。誰がそれを受け継いでくれる?

「山雅の流儀」とは、いったい何なんだろうか。
それは途絶えさせても良いものだろうか。

チーム消滅の危機感は失われ、J1昇格を二度も果たし、全国へと名を知らしめた。最上とは言わずとも、地位を、安定した地盤を確立させた。

突き動かされるような焦燥感も、喉から手が出るほど渇望した昇格への意地もなくなってしまった今、「途絶えてしまっても、しかたない」。
そう諦めたほうが楽になれるのだろうか。

隼磨さんが、ヒロさんが、いくら口を酸っぱくしたって、いくら声をかけてくれたって、彼らはもうピッチにはいない。

それを選択したのは松本山雅FC自身で、その先にあるのが今で、これからいったいどこへ向かおうって言うんだろう。
これからの山雅に、いったい何を期待できるんだろう。


こんなにはっきり松本山雅FCは弱い。

「それでも」と今までは胸を張れたのに、今はいったい何があるんだろう。


私たちの誇りを、今まで走ってきた皆のプライドを、いとも容易く、地に堕としてしまいやがって!




+++




私事だが、結婚式を控えている。
7月1日愛媛戦前のアルウィンウェディングだ。


「聖地アルウィン」で挙式をすることに、実はさほど感慨はない。
大型ビジョンに映るのは正直言って恥ずかしい。

でも。住所も本名も知らないサポーター仲間たちに、幸せな姿を見てほしいと思って腹を括った。

松本山雅FCに生かされた私だから、松本山雅FCに誓いを立てる気持ちで式を挙げられたら、どんなにいいだろうと思った。
私は一生、山雅を観ながら生きていく。

「アルウィンウェディングに応募しよう」と言ったのは夫のほうである。

「せっかく松本に来たんだから、松本でしかできないことをやりたい。こんなにいい機会はない」。頑なに大型ビジョンを拒む私のほうが、なんだか意気地なしに思えた。

関西から出て暮らしたことのない彼が松本へ来ることを決めたのは、私が足繁くゴール裏に通っているからだ。
初めて一緒に“爆心地”へ来て、なりふり構わず拳を振り回す私を見て、「これを取り上げてはいけない」と思ったそうだ。


篠ノ井で魂を落としてきてしまった私に、夫は何も言わなかった。

街灯のない田んぼ道。口をひらけば呪いの言葉をつぶやいてしまいそうで、ちいさくチャントを歌いながら歩いた。
「喫茶店の勇者達」「立ち上がれ」「緑の勇者」「山雅が好きだから」。
暗がりでもよく目立つ橙色のポンチョに追い越される。聞こえていたとしたら相当不気味だったろう。
傘を支える右腕が重い。90分間もペンライトを振り回せばそうなる。魂の抜けた身体に、雨は冷える。

左肩を強く支える夫の手が熱かった。記憶にあるのはそれだけだ。


この人は、わざわざここへ来てくれたのに。
私の好きなものを大事にしたいと言ってくれたのに。

いま、私は、胸を張ってこの人をアルウィンに連れていけない。




「僕が松本に来た意味がなくなる。だから、サポーター辞めるとか言うな」

抜け殻になったまま、どす黒い胸の内を呪詛のごとくぶちまける私に、夫はそう言った。

辞めない。辞められるわけがない。
辞められるものならとっくに辞めている。

ちょっと魂を置いてきてしまって、弱音がこぼれただけだ。



馬鹿にされても、叩かれても、嫌われても、揶揄されても、それでも、それでも私たちは応援をやめない。

浦和サポーターさんに「俺らをアウェーにできる数少ないクラブ」と言われて嬉しかった。中村憲剛選手に「アルウィンの雰囲気はやりにくい」と言われて胸がすっとした。
いろんな人から「J3にいるべきサポーターじゃない」と言われて、嫌味かもしれないけれど真に受けてしまう。

「ぬるい」って言われたって、好きなんだ。楽しいんだ、アルウィンが。
愛するクラブを追いかけてどこまでも行くのが、どこへ行ってもワクワクさせてくれるあの頃が、楽しくてたまらなかったんだ。

そんなふうにして積み上げてきたものに、自ら土をつけないでくれ。

どんなに負けても、降格しても、勝てなくても、たとえ嵐でも、どんなに遠くのアウェーでも、「どんなときでも俺たちはここにいる」って叫び続ける私たちを、こんなにも馬鹿みたいに松本山雅FCから離れられないサポーターを、少しくらいは誇ってくれよ!


負けたから悔しいんじゃない。どれだけ応援しても届いている気がしない。それが悔しくて涙が止まらない。馬鹿みたいだ。


ふた晩を数えても未だに立ち直れないまま、何をしていても、ふっと心が持っていかれてしまう。
だから筆をとることにした。何を書いても棘だらけになってしまう。誰かを傷つけるかもしれない言葉は本当は好きじゃない。

でも、もう、飲み込み過ぎて私の内側がズタズタだ。こんなヘドロみたいな呪いはとても消化できない。


「好きなものに全力を注げばええよ。なんで馬鹿にすると思うの」
「僕はそこまで夢中になれるものがないから、羨ましいよ」


夫は笑わない。馬鹿かもしれないけど、松本山雅FCは私の生き甲斐で、日々の糧で、希望で、そう胸を張っていいと言ってくれる。

どんなに弱くなったって、どれだけ昔と変わってしまったって、私たちがやっていることはきっと間違いじゃないし、恥じる必要もない。

それくらいは顔を上げたっていいはずだ。


パルセイロに負けたから許せないんじゃない。
「パルセイロに負けて当然」と納得してしまったことがつらくて、不甲斐なくて、情けない。
私の愛していたものはもう姿を変えてしまって、二度と存在しないのかもしれないことが、たまらなくつらい。

“松本の誇り”ってものが、とてつもなく大切で、それを体現している松本山雅FCを、ずっと追いかけていたかった。


どんなに切望したって相手を変えることはできない。これは自分の問題だ。
応援するもしないも決めるのは自分自身で、これからの山雅を「変えていく」ことはきっとできない。

それでも私は山雅が「変わる」のを待ちたい。
そのためにできることは何だろうかと日々考え、それを行動で示すのみだ。

かつての煌びやかな山雅ではなく、今のままの情けない山雅でもなく、まったく別の姿で頂に手を掛ける光景を、ここからまた見られるのだと信じている。
期待はしない。何度滑落するか分からない。それでも、ただ、信じている。




戦え山雅 この街の誇り 気持ち見せろ勇者たち
ゆけ山雅 どんな時でも 俺たちがついてるぜ


千尋の谷を駆け上がった獅子より高く、より強く。ふたたび頂へと登る日を、今はまだ信じている。


[了.]

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