沼があったらハマってみる。彼とバイクと私の推し活
はじめて結婚の話をしたとき、彼がバイクを手放すと言い出した。
やめてくれ、と私が説得した。
立場が逆じゃなかろうか。
私の住む信州はツーリングの聖地である。
旅行に来るなら最高だ。しかし暮らすとなると話は変わる。
下手をすれば、年に四ヶ月以上も乗れない期間がくるだろう。
降雪に、凍結。ここ数年で、マイナス10℃という気温も見慣れた。
ならば県外脱出、と思っても、どこへ出るにも峠を越えて行かねばならない。
加えて、田舎ゆえのインフラの悪さ。一家に一台どころか、一人一台が当たり前の車社会では、四輪との併用が大前提。駐輪場を探すにも一苦労だ。
ついでに、結婚資金の工面がつかなくて悩んでいることも、よーく知っている。
はっきり言って、バイクは手に余る。維持するのは贅沢ってもんだろう。
それでも。それでもだ。私はバイクを愛している彼が好きなのだ。彼の相棒である真っ赤なぺけさん(と、彼は呼んでいる。HONDA 400Xの愛称)のことも、私は大好きなのだ。
どんな気持ちで乗っているのか、松本山雅FCを愛してやまない私には分かる。
彼が信州に来る理由はそこにある。私が松本から離れられないことを、ちゃんと分かってくれているのだ。
なのに、その愛車を犠牲になんてできるわけがない!
松本山雅FCを取り上げられたら、私はきっと死ぬ。
彼からバイクを取り上げたら、いったいどうなってしまうのか、考えたくもない。
好きなものを好きだと、自信を持って愛していてほしい。
私はそんな彼の姿を見ていたいし、ときどき後ろに乗っけてくれたら、どこまでだってついていく。
(しかし金策は真面目に考えていただきたい。結婚資金はともかく、生活費に困るなら考えものである)
この世で彼についていけるのは私くらいだ。距離バグ、フッ軽、好奇心の塊、と三拍子そろった手に負えない人なのである。
私とて、松本山雅FCを追いかけてどこまでも行くので、いい勝負だ。
いや、どちらかというと私のほうがたちが悪い。タンデムで日本縦断する新婚旅行しよう!なんて、馬鹿なことを言い出すのは私である。言うだけ言って丸投げするので、面白がって具体策を考えるのが彼の役割だ。資金調達にしばらくかかりそうなので、どうやら当分ハネムーンには行けそうにない。
ところで、私は二輪免許を持っていない。
それどころかバイクなんて、「原付か、それ以外の大きいやつ」程度の認識だった。
最初のデートで後ろに乗せてもらう約束をしていた。
タンデムしてよ!と軽率に申し出た私、いいっすよ、と二つ返事で快諾する彼。
時期は一月の末、待ち合わせは名古屋。
海が見たいと言ったら、知多半島の先端まで走ると言う。
当日の朝にそう決めた。なんて頭の悪い初デートなのか。
私は二輪用のしつらえなんか持っているはずもなく、ファッション兼用のモッズコートに、軍手とニーガードを借りただけ。タンデムベルトも当然ない。
そんな装備で大丈夫か?
とんでもなく寒かった。寒さには強いつもりだったので、正直ナメていた。
寒い!お尻すごく痛い!もっといい装備を頼む!
「大丈夫大丈夫、先っちょまでだからセーフセーフ」となだめすかされ騙くらかされ、気づけば半島の先端にいた。
陽が傾くにつれ、風が冷たくなっていく。「今日は夕焼け見えるかな~」と彼。ねえ、何時までいるつもりなの?
乗ってしまったが最後、もはや身を任せるしかない。タンデムとはそういうことだと、身をもって思い知る。自己防衛、大切。
でも、ものすごく楽しかった。はしゃぎすぎて、くたくたになって名古屋に帰り着いた頃にはすっかり夜だった。帰る体力を二人とも使い果たし、余計に一泊したのもまあ、思い出である。
運転はいつも優しい。
「最初はゆっくり行きますから、怖かったら言ってくださいね」
そんな気遣いが懐かしい。もう100km/h出したってぜんぜん怖くない。
うとうとして怒られたこともある。まさかバイクで眠気がくるとは。我ながらどれだけ安心しているのだろう。
私には二輪免許の代わりに、厄介な特殊能力がある。
好きな人の好きなものを、何でも好きになってしまう能力である。
愛しい人が大切にしているものは、私にとっても大切なものだ。
そんなわけで、どこから二輪の沼に飛び込もうかと準備運動の日々が始まった。
手っ取り早いのは「推し」をみつけることだ。
松本山雅FCに恋したときと同じこと。ものすごく好きなバイクが一台見つかれば、好きなものには頭からダイブする性分である。
HONDA党の彼がまずお勧めしてくれたのが、Rebel250。もはやバイク好きなら知らない人はいない大ヒット車種である。
手元の雑誌に「カジュアルクルーザー」と紹介されているけれど、性能に関しては勉強不足なので語れない。なのでビジュアルを見るしかないのだが、とにかく可愛い。いかにもバイクです、というフォルムに絶妙な丸みを帯びたレトロ感が「女子に向いてるよ、お洒落だよ」と語りかけてくる。そして何よりシートが低い。150cmしかない私でも安定の足つきである。
彼いわく「薄荷さんに似合う。カスタムも豊富で安いしおすすめ」。
あの、まだ私、免許ないんですが。
女子を虜にしてやまないスペック(もちろん彼氏がこれに乗っていても格好いい。バイクで迎えに来てほしくなる)の上に、欠点らしい欠点がない。
しかし、そういう完全無欠のイケメン感が、私は正直いけ好かないのだ。
だって、私が乗らなくても、みんな乗るじゃん……。
一瞬、見とれてしまったけれど。たぶん好きなんだけれど。なんていうか、みんなが好きって言ってるものを素直に好きって言えない。
サッカー選手も、そうなのだ。みんながユニを買ってる人なら私は買わない。あんまり目立たなくて、でもギラギラして頑張ってる人をみつけて応援したくなる。
なんて捻くれていたせいで、高崎選手のユニを買いそびれて今さら泣いているというのに、懲りない性分である。
格好いいからこそ目立っているのは間違いないのだ。良いものだから、みんな好きなのだ。
もやもやと考えている間に、知人が即決でRebelを契約してしまったことが、とても響いた。
「一目惚れしたんだよね!」
なんだか無性に悔しかった。というか、腹が立った。別にその人は何にも悪くないけれど、そんな軽いノリで私は乗らん、とか思ってしまった。
繰り返すがその人はぜんぜん悪くない。先を越されたことへの嫉妬に他ならない。我ながら面倒くさい女である。
でも、私しか惚れないような奴がいいんだもん・・・・・・。
どうせなら彼と同じHONDAで見つけたかった。
だけど、いまHONDA車を見ると、どれもRebelと比較してしまいそうだ。
そんなことを考えて、すごくがっかりしている自分に気付く。なんだこれ、失恋じゃん……。
二輪免許を取るアテすらないくせに、はやばやと恋して、いきなり失恋している。
のめり込みの早さは毎度のことで、自分では慣れっこだが、彼はドン引きじゃないだろうか。今回ばかりは、ちょっと恥ずかしい。
ドン引きどころか、爆笑しながら私のハマりようを眺めていた。
むしろ何だか嬉しそうだった。
失恋は、新たな恋で上書きするしかない。
自然と足が向いた先は、Kawasakiのバイクショップである。
なぜなら、私は松本山雅FCサポーター。緑のバイクといえば、Ninjaだろう。
アルウィンにバイクで通いたい。
それは強烈な憧れだ。渋滞にも駐車場にも悩まず、カメラとバックパックだけを担いで、颯爽とサッカーを追いかけたい。
アルウィンだけじゃない。日本全国どんなスタジアムでも、行けるものなら行ってみたい。
松本市のレッドバロンで聞いた話だが、「車種は何でもいいので、色だけ決まってます」と、緑色のバイクを求めるお客さんが決して少なくないらしい。やはり山雅サポ、気持ちはひとつ。
格好いいのは間違いない。
でも、Rebelで痛い目を見たばかりで、すんなりとNinjaに恋をできるわけもない。アルウィンには多分、こいつが何台も停まっている。
あと、見た目が厳ついのであんまり好みじゃない。フルカウル、という言葉はこのとき知らなかったが、もっとお腹の中身が見えているほうが私は好きみたいだ。
だんだん自分の好みが見えてくるのが面白い。まるで婚活でもしているようだ。
ずっとインテリ系が好きだったけど、たくましくて日焼けしてるのも良いかも……。そんな感じ。パートナーを選ぶって、人間でもバイクでも似たようなものみたいだ。バイクショップ、めっちゃ楽しい。HONDAとKawasakiのバイクって全然違うんだなあ。
いろんなNinjaたちを見比べつつ、店内を奥へと進む。
なにせ兄弟が多い。触覚みたいなミラーの形、ライトが両眼だったり単眼だったり。性能の違いが分からないから、見た目のパーツで見分けるしかない。
排気量が増えると何が違うんだろうな。トルクってなんだろう。400XはKawasakiでいうとどれに当たるんだろう……。
睨めっこしながらいちばん奥まで辿り着いたとき、そこにいた一台に足が止まった。
あ、可愛い。
それがひと目見た印象だ。
Ninjaじゃない、ずいぶん小さい子。それがちょうどいい。
勝手にまたがる訳にもいかず、しばらくじっと眺めていた。
ハンドルのグリップ感、つま先を突っ張って立つ感覚、少しだけ身体を前傾して、風を切る感触。
分かると言ったら笑われるだろうか。まだ免許もないのに。
Rebelの「乗せてあげるよ」感とは違う。KawasakiならNinjaでしょという王道でもない。何がこんなに気になるのか自分でも分からない。もしかしてこれが・・・・・・、恋?
ぼんやりとお店を出て、彼にLINEをした。
『NinjaよりもZ250のほうが好きみたい』
すぐに既読がついて、レスポンスがあった。
『お。いいセンス』
理屈じゃないのだ。何故だか分からないけどこれしかない、という気持ち。
何かを買うためにお店を訪れたとき、モノに「呼ばれる」という感覚が分かるだろうか。
見つけてしまった、というあの感じ。
いや、私がZ250に見つかったのかもしれない。「乗るなら絶対にオレにしろよ?」と、どこからか聞こえてくる。
その日から雑誌をめくるたびに、私はアイツを探してしまうのだ。
どんなに小さいカットでも、ページの端っこでも、Z250がいるとすぐに見つけてしまう。
Vストロームの黄色いくちばしだってたまらなくかわいいし、真っ黒ツヤツヤのG310Rなんて惚れ惚れするほどかっこいい。なのに、ひとたびアイツの姿を見つけると、胸がギュッとする。
いつも扱いが小さいから、皆が選ぶような奴じゃないのも分かるのに。
それがいいんだ。ああ、もうだめだ。惚れてる。
かくして、まんまと推しをみつけてしまった。
さあ免許取得、といきたいのだが、この話はいったんここで終わる。松本市の二輪教習料が高額なので、二の足を踏んでいるところなのだ。
はたして、自分のバイクを手に入れる日は来るだろうか。
まだまだしばらくは、後ろに乗せてもらう日々が続きそうである。
来月は、伊豆半島を一周する計画を練っている。
もちろん、彼の400Xに乗って。
松本を出発して、まず熱海を目指す。そこからスタートして沿岸をぐるっと走るのだ。
海なし県民の私には、さぞたまらない光景だろう。石廊崎の先端で灯台にのぼり、土肥の恋人岬で夕陽を撮りたい。そのまま清水まで行って、サッカーを観てくる。
その話も、またいずれ。私が二輪免許を取得する前に書けたらいい。
ツーリングは天候が命。どうか晴れますように。
バイクに乗ったときの彼は無敵の晴男なのだが、私は洗濯物を干せば降り出す雨女。
今日から毎日てるてる坊主を作って、富士山にお祈りしなければならない。
[了.]
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