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地域との縁の継続と対話のポイントについて

2024年21日目。
東日本大震災からの復興に際して、宮城県石巻市雄勝町で起きたことについて伝える座談会が昨晩(1/20)に行われ、早くも動画が上がっていたので観てみました。90分程度とちょっと長いですが、ぜひご覧になってみてください。

参考として、少し古いですが、石巻市雄勝町についての記事も。防潮堤と高台移転はしたものの、人口は1/4、高齢化率は40→60%に。

動画内では、雄勝町では震災後に①高台移転派と②現地再建派、そして③転居派の3つに住民が別れ、①と②が対立するとともに、③は地域から出てしまい関係も切って(切らして)しまったことが、人口減の背景として語られていました。

なお、雄勝町には行ったことがなく直接の知り合いもいないので、実際のところ状況としてどれほどマズいのかどうかは私にはわかりません。(検索して出てくる別の記事などでは、地域おこし的な活動が現地で行われている様子もあります。)そのことを前置きしつつ、敢えて感想を語りたいと思いますが…大事な点は、大きくはふたつあるかなと。

ひとつは、地域から出て行かれた方も地域のことは気にしているということ。
復興に関わるタイミングを逸して後ろめたさを感じる人もいるし、家族や仕事のことが落ち着けばまた関わりたいと考えている場合もあるので、(「裏切りもの」などと呼んで切り捨てるのではなく)地域の状況等を継続して伝え、縁が切れないようにすることが大事。そうすることで戻ってくる方も、戻ってこれなくても交流人口になってくれる方も出てくる。
話が少しズレますが、コレって移住者の誘致にも繋がる話だと思います。

もうひとつは、対話について。
対話の重要性は色々な場面で指摘されつつも、意見が異なる人同士が対話する場合のポイントについては意外に語られることは少ないような気がします。
雄勝町の事例で言えば、高台移転派も現地再建派も、どちらも元の地域に住み続けたいという共通の目標はあったはず。それを明確にした上で、自分と相手の価値観の優先順位を互いに認識できれば、妥協点(例えば、高台移転する人も現地で再建する人もいる形での復興)も見出せたのかなと思います。
能登半島の復興において(もちろん平時の地位においても)、意見がぶつかる前提で、妥協をどう見出すか、ということは、意識しておく必要があるでしょう。

一方で違和感があったのは、雄勝町の報告をされている方について、憤りがものすごくて内容がやや冷静でないようにも見えた点。
「上からの復興」を国県が主導したような言い方もされていましたが、地元が誰ひとり望まないことは国県も流石に簡単には行えないわけで、やはり合意形成や意思決定のプロセスに何か問題があるのではないかと思いました。
それが地域性によるのか、日本において一般的な、制度的な問題なのかはわかりませんが、少なくとも政治は「意見をまとめる』という機能があり(まとめるプロセスで、個々の意見の細かな差異を削って意見を丸める)、また行政は「利便性」や「安全」については自動的に配慮しようとしますが「幸福」については配慮するのが難しいので(例えば、防潮堤を作った結果、海を臨む景観が見えなくなる、みたいなこと)、そうした性質を認識している方が地域の要所要所にいれば、着地点が今よりももっとよくなったのではないかと思わずにはいられません。(ひょっとすると、例えば市町村合併により、そうした機能が衰退してしまっていた、ということもあるのでしょうか…?)

一方で、話を聞いている輪島市の方々はむしろ冷静で、やるべきことのリストアップや打ち手はある程度見出せているように見えました。

今後、能登半島の復興について本格的な議論が始まり、また、東日本大震災で多くの人たちが東北を目指したごとく、多くの方が能登半島に関わることになっていくと思います。時間、お金、人的リソースと、意思決定や合意形成のプロセス。自身の生活再建に加えて、考えることはたくさんあります。何か手伝えることはないか、私自身も考えてみたいと思います。

余談。
合意形成についての議論の叩き台として。

この中で議論されていることについて、ツッコミどころが多々あるとは思いますが(例えば、熟議民主主義は、熟議に参加する人とそうでない人の壁を生み出してませんか?とか)、頭を整理する際の補助線として。

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