見出し画像

【読書録】統計学・短歌(・旧約聖書)

2024年7日目(176)。
年末年始、特に頑張り過ぎた記憶はないのですが、少々疲れが溜まってしまっていたようで、トーハクに松林図屏風を観に行く予定をキャンセルして、家でゴロゴロすることにしました。(後から鼻水と微熱により、実は風邪をひいてしまっていたことが判明。なんてこった。)

折角なので、読みかけになっていた本を少しでも片付けようと思いつつ…でも、遅読なんですよね、自分。一冊の本から実際に得られることは、せいぜい1つ〜2つと割り切り、途中でも得るものが何かあると感じれば最後まで読まないことも厭わないようにはなったものの、相変わらず本は溜まっていく一方。たくさん読める人はいったいどうやっているのか…
グダグダやっていても始まらないので、とりあえず前に進むしかない。ということで、今日は取り急ぎ2冊片付けました。

ある意味対照的な内容。そういえば表紙の色も源平合戦になっている。

発行年を見ると、『統計学が最強の学問である』が2013年、『はじめての短歌』の方は2014年。たまたまですが、どちらも約10年少し前に出版された本でした。

『統計学が最強の学問である』

転職によってデータ活用があまり身近な話題でなくなってしまったことから、改めてそちら方面の感度を上げるべく手に取ってみました。執筆以後のデータ活用の流れを予見した内容で、かつ、統計学を「ビジネスにおける具体的な行動に繋げるもの」という前提で描いているため、前半は凄く読み進めやすかったです。後半「ロジスティック回帰」や「重回帰分析」の話になり、大学で統計学を履修していなかった身としてはすんなり頭に入ってくるものではなかったですが、逆に実際にいくつか具体的なケースを当てはめてやってみると頭に入れやすいかもしれないと思いました。(問題集とかないかしら?)

P170より引用。
この表、非常に大事なのでは?

それにしても、現時点での日本国において、統計学というものがどこまで浸透しているのか。「正解」と「正しい」は異なる場合がよくあるのが行政の世界だと認識していますが、データの活用がもっと早く浸透していたなら(例えばEBPMという言葉が使われ出したのは2020年頃だった)、もう少し「正しい」の方向にズラせたのではないかと思わずにはいられません。私ももっと勉強して身につけられたらと思います。

『はじめての短歌』

親が老後の楽しみとして俳句に親しんでいる様子を見ていたこと、それ以前に、自分には他者への共感や物語を生み出すようなセンスが欠けているところがあると感じていたことから、昨年から「和歌」に関心を向けるようにしています。なぜ(俳句でもなく)「和歌」なのか?まあ、今年の大河ドラマは紫式部だし、一昨年の歌会始につくば市の方が入選された、というニュースもありましたし。

しかし、NHKの短歌の番組を最初に視聴した時に、和歌といわゆる「現代短歌」とは本質的に異なるところがあるのではないか、という気がしてしまい、そこが引っかかって先に進めないでいます。両者はどう異なるのか?そんな時にたまたま手に取ったのが、この『はじめての短歌』でした。

読んでみて、予想通りというか、ストンと腹落ちするようなものではなかったです。例えば、「生きのびる」(社会化されている生)と「生きる」(唯一無二の生)との違いについて書かれていますが、わかりやすく説明することそれ自体が「生きのびる」の価値観に基づくものなので、どうしても説明がフワッとしたものにならざるを得ない。おそらくは、「生きのびる」の価値観を注意深く表現から削っていき、そうして残ったものが「生きる」になっているのではないかと思いました。(さらに言えば、削った結果としての表現が読む人の想像力を喚起させられるほど、短歌として評価される。)
…そう考えた時、「和歌」ではその「生きのびる」と「生きる」が意識されることがあったのか?

例えば、百人一首に入っている紫式部の和歌。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半(よわ)の月かな

この和歌が生まれる際に、「生きのびる」と「生きる」との葛藤みたいなものがあったとは、自分にはどうしても想像できません。
なので、「生きのびる」/「生きる」の区別は、現代短歌特有のものであって、和歌にはない。つまり、「和歌」と「現代短歌」は五七五七七の形式は同じでも、別のものなんじゃないか。そして、自分が求めているものは、やはり現代短歌ではないように感じます。

どうやら調べると、和歌と現代短歌の分岐は正岡子規からのようですね。

近々読んでみようと思います。

さて、今回の余談。

NHK「100分で名著」のムック本

年末にスピルバーグ『ミュンヘン』を観、たまたまコテンラジオでもシンドラーの回を聴いていて、そういえばユダヤ教についてよく知らないなと思っていたら、積ん読本の中からコレが出てきました。予め買っておくなんて流石オレ!σ(^~^)
言われてみれば確かに「天地創造」と「エデンの園」の話は矛盾しているし、神は正しいから信仰する側に原因がある=原罪の成立、というのも目からウロコ。ユダヤ人の歴史から聖書を見る、という視点は自分にはなかった。面白いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?