自己批判精神と矛盾

硬いタイトルだな〜という感じですが、

いや本当に自己批判、得意なんだよな。っていう話です。

そういう人、他にも居ると思うんだけどさ、冷静な自分と感情的な自分がちゃんと対話してるのよ。脳内で。

今回は私の盛んな自己批判精神について書いていきます。

あくまで自己批判なのでね、自分以外に対する批判にはノータッチです。

あと、多分またちょっと意味わかんないことも言うと思います。
と、先に断っておきます。
その方が肚の底で思っていることを書ける気がするので…

ほな行きますね!





まず、自己批判精神のメリット?恩恵について。

これはね、自分を客観視しやすいことじゃないかな〜と思っています。

客観視できると、何かを表現したり、伝える時に、ちゃんと伝わる方法や言葉を選択しやすいと思うんです。
(こんなん書いてる人間が言うなやって感じなんですけどね)


だからプレゼンとかは苦手ではないんですよ。
準備して臨めるから。

大抵の人は私の話に興味がないので、せめて分かりやすく解して、食べやすい、飲み込みやすい状態にしたい。

そのために、準備段階に一回自分で、自分が作った資料をボコボコに批判しておきます。

もし自分が一番意地悪かったら何を指摘するか考えて、その答えを用意しておくんです。

浮かぶ批判と疑問は、例えば、

「えっと、つまり何が言いたいの?」

「論点が広がりすぎ、あと論が薄い。数並べりゃ良いと思ってんのか?」

「てか見にくいし何なんこのグラフ」

「シンプルにタイトルがダサい」

とか、重箱の隅をつつくような疑問というか、野次もある。
めちゃくちゃ自問自答。

でもその段階を踏んでから発表するから、本番でも多少は堂々と話せるのね。

それに、本番で聞き手に投げかけられる質問も批判も、大抵は想定内。
もし想定外の質問が来ても、それを楽しめるくらいの精神的余裕があったりする。

一回自分の中で感情と理性の喧嘩に勝っているから、無敵モードみたいな気分。

あとは「分かりやすかった」と人に言ってもらえたり、少しでも理解してもらえたりすると凄くホッとする。

あ〜、一応伝わったんだなって。


ただ自分を信じられるほど準備が整わなかったときは、内心の焦りが凄い。

まだ自己批判の途中段階だったりね。

自分の理性からも、他人からも疑問を投げかけられる感じっていうのかな。
だから最初から反省モードになる。
表に出さないけど気分も下火。

でもまあプレゼンならまだいいのよ。
良くも悪くも、時間が来たら発表して終わり。
ちゃんと明確な終わりがある。



でも終わりが見えない時が辛いんだよな。


はい次、自己批判精神の不利な点です。


心身のどっちか、もしくはどちらもの調子が悪いときに過剰に自己批判すると、心が参ってしまうこと。

そういうことってないですか?

私の場合は、自分で自分のことを、もう無理だなってところまで簡単に追い込めるんだよね。
ドMかってくらい。

「本当に体調悪いの?そう思うことで怠けたいだけでは?」

「どうしてこんなことができない?」

「今まで何をしてきた?」

「そもそも今は休んでいる場合ではない。」

「人様に迷惑をかけるな。」

「動け」「働け」

そういう静かな声が、ときに怒声が背後から降ってくる。
キリキリと首を締め付ける。

もちろん人には絶対にこんなこと言いたくないね。ただのパワハラじゃん?

でも自分には言えるし、弱っているときこそその声を間に受ける。
不調を訴える感覚よりも、信じてしまう。

自分の心が折れるか折れないかのギリギリを攻めたがるから、心の中でひとりハードSMみたいな感じ(え)

ちなみに私は、ひとりハードSMの最中に、他人からのバッシングや悪意を受けて再起不能になったことがある。

流石に心をいじめ過ぎたんだよな(もうこの例えは辞めろよ)


まあね、体に悪いのよ。過剰な自己批判って。
私はそう思います。




自分に優しくするって言葉、
最近よく聞くじゃないですか。いや、そうでもないのかな。

人に優しく、自分にも優しく。自己肯定感高めてこ?みたいな。

とてもポジティブな言葉でね、良んですよ。きっと誰かにとっては正しい。

私としては、いやあ、そうできたら良いんですけどね。というのが正直なところです。

自己批判精神が旺盛なのでね、ストイックなわけじゃないんですけど。口だけなので。

たまにどうしようもなく自分に優しくできなくなる。
柔い心の自分が他人以下の存在になって、批判のサンドバッグと化す瞬間がある。

でも本当は優しくしたい。
甘やかしじゃなくて、優しさがいい。
柔い心の方も守ってやりたい。

だがそれでは一体誰が外側からの批判や悪意から守ってくれる?

誰も守ってはくれない。

だから自己批判精神によって、想定し得る他者の視点を取り入れることで、先に攻撃を予測しておこう。

そうしたらまだ衝撃は軽減されるし、心を守れる。傷つかないで済む。きっとそうだ。


みたいな感じなんですよ。
私が不健全な自己批判をしているときのしくみって。

いざ言葉にするとアレですね、歪というか、怖がり過ぎているというか。
もう笑っちゃいます。

私にとって自己批判精神は、一周回った自分への優しさなんですよ。
だいぶ回りくどい不健全さを内包していますが、そうなんです多分。

それに、もうこの難儀な性格と生きてくしかないなっていう覚悟は決まりつつあるんです。

盛んな自己批判精神によって得られるものと、負うものはある。

だけどそれすらコントロールできたらいいなと思っているんです。

せめて心身が不調なときには黙らせておくとか。どうにか。

どうやって?というところは、今後模索していくとして、今はそれで納得しています。

少なくとも今は、多少勇気のいることだけど、不調を訴える信号をなるべく信じてやるようにしています。




こうして書いていてつくづく思うのは、
自分は矛盾をいっぱい抱えているんだなぁということ。

柔く繊細な心と、旺盛な自己批判精神。

優しくしたいけど、優しくなれない。

感受性を守ってほしい願望はあるが、他者が守ってくれるわけがないという諦念が勝つ。

自分を責めたくない。でも自分を客観視できなくなったら困る。

この記事に書いた内容だけでもこんなに矛盾しているとは、ちょっとびっくり。


だけどね、矛盾の無い、全てに筋の通った人なんていないか、もしくはごく稀だとも思っています。

だからある意味、私はすごく普通なんです。と、開き直ってみる。えへへ。

もし自己批判精神が旺盛な方や、矛盾の多い方がいれば、きっとあなたも私も普通の人間なんですよ、と伝えたいな。

重く捉えないでほしいんですけどね、あなたも私も普通で、そして特別なんですよ。

(そうは言っても、何か、この生きづらさはどうしてでしょうね。
私は歯ぎしりするような、酸素が薄いような苦しさが堪えるときがあります。)


あなたもできれば美味しいものを食べて、よく寝てくださいね。

私も自己批判精神との程よい距離感を掴めるよう模索しながら、もうちょっと生きてみます。


最後までお付き合いくださりありがとうございました!
書くっていいなぁ、と思いました。

前回の投稿に反応してくださった方にもスペシャルサンクスです。



今日も明日も、読んでくださったあなたの心に晴れ間がありますように!!!

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