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東京(ワンサイド)ラブストーリー③ 【フラれてもまだ好っきゃねん、”東京”】

さて、前回のPostではお休みしておりました、
長期連載型エッセイ「東京(ワンサイド)ラブストーリー」、
しれっとこのまま長期休みという名のお蔵入りを考えましたが、いくらなんでも尻切れとんぼになりすぎるので、気合い惰性(スミマセン)で乗り切ります。
タイトルの副題部分が前回まで ”〜” だったのを、 ”【】” に換えているのはせめてもの気分一新と思って頂き、生暖かく見守ってくださいませ。

(気分一新ついでに言うと、「東京(ワンサイド)ラブストーリー」というネーミングも変えたいなぁと思っている。言わずもがな某トレンディドラマのタイトルをもじった名前なんだけど、もう少し腑に落ちる名前にしたいと思っている、今更。)

さて、前回から日が空いたので、おさらいも踏まえつつ、文章を編んでいくことにする。

高校生の頃から漠然と抱いていた「東京」への憧れは、洋服やアイドルといった、”メイドイン東京”の文化にハマることに伴い、グングンと増していった。

福岡になくて、東京にあるもの。
田舎者からすればその付加価値はとても大きなもので、とにかく東京に行きさえすれば、最新で高密度な文化に触れることができると感じていたのだと思う。(今でも思っている。)

そんなこんなで、東京進出のチャレンジを大学受験という機会に行うわけだが、結果はあえなく失敗、地元福岡の片田舎の大学へと進学した。

東京で念願のシティボーイになることを夢見た男が、実家から片道1時間半かけて、田舎特有の牛小屋の激臭にまみれながら毎日通学することがどれほどの「出落ち」か、お分かりいただけるであろうか。

中高時代は福岡の中心部にある学校に通っていたので、むしろ大学に入ったことで、より「東京」「シティボーイ」からは遠ざかった、という見方さえできるかもしれない。

理想と現実にギャップがあるのは重々わかっていたつもりだが、ここまでのギャップはなかなか経験できるものでもないと思う。

ただ、僕は意地でもこの片田舎に迎合するのを良しとしなかった。
(一応でも、自分の母校をこんなにボロカスに言うのもどうかと思ってきた)
変な言い方だが、感覚まで田舎者になってたまるか!と激しめの尖りを抱いていた気がする。

この尖りが如実に現れていたのは、前回のPostでも述べている、「洋服」の部分だったと思う。

大学1年生の頃はおそらく毎月買っていたのでは無いか、「Men’s non-no」(集英社)を常に読んで、自分のファッションセンスが牛小屋の糞尿の匂いに犯されてしまわぬよう、露骨なまでに”変なカッコウ”をしていた。
今自分の大学1,2年生頃の写真をみると、「これって別に”東京風”では無いような…」と思う服装がしばしばある。(実際その頃に買った服は今はもう殆ど持っていない)

そして大学からバスで1時間半もかかる距離に住んでいたこともあって、いわゆる大学周辺に下宿している友達の家で宅飲み、なんてこともしていなかった。
むしろ自分から避けていたような気もする。
あんな何も無いど田舎で遊ぶくらいなら、天神(福岡随一の歓楽街)で服でも見てるわ!(ドヤ顔)』くらいのマインドでいたような気がする。
世間はこういう人を「イタい」と言うのだろう。そうなんです、イタいんですよね、僕。(現在進行形で)

そんなこんなで、大学に入ってしばらくの間は、福岡市の中心地である「天神」によくいた記憶がある。
当時を振り返って、心の中の「東京」への憧れを捨てきれなかったがゆえの行動だったなと、今になって思う。

簡単にいうと、「福岡の中になんとかして”東京”を見出そうとしていた」といったところだろうか。
少なくとも4年、東京に行くタイミングを奪われた(誰が奪ったわけでもなく自分の努力不足なのだが)僕は、せめてもの「抵抗」として、福岡随一の歓楽街に入り浸ることによって、東京に行けなかった自分を少しでも慰めようとしていたのかしれない。
天神に対しては失礼な話だろう。本命の彼女にフラれたからとりあえず寂しさを忘れるためにゆきずりの恋に付き合わされたようなもんである。

ただ、この「福岡の中に東京を見出す」という目線は、あながち悪いものでもない。

(以下からの文章は抽象的な表現になりすぎているので、ちょっとでもアレルギーを感じたらスクロールしてください)

僕が使っている「福岡の中に東京を見出す」という具体的過ぎる表現を限りなく一般化すると、「”大衆化しきったもの”の中に”真に価値があり、面白そうなもの”を見出す」という表現になるだろう。(だいぶ無理やりだが)

東京で流行った物が福岡に流れ着く頃には、大衆文化として消費されきっていて、マス化してる物が大半だ。
しかも商業的な色合いが強く出て、当初東京で生まれた時よりもデザイン的にも、プライス的にも陳腐化しているものが多い。
福岡でゴンチャができる頃に東京ではタピオカ自体がブームを終えていたりするように。

ただ、東京から福岡に流れ着く物全てがそんなマス化しきったモノばかりでは無い。
「東京で流行らなくなってきたから」なんていう消極的な理由ではなく、「東京じゃなくて福岡でやるから意味がある」といったポジティブな動機でやってきたものは、上記とは違い、明らかな「」がある。

僕が好きなのは洋服やコーヒー、音楽、お酒といった分野だが、この分野に限ってみても、この差はハッキリと存在する。そして、結果的に「熱」を持った物が地域に根付き、愛されている。
福岡の中に東京を見出す」という姿勢を培ったおかげで、「熱」を持っているか否か、多少はわかってきた気がする。目利きというには程遠いが。

(ここまで抽象的な話を失礼しました。)

少し話が飛躍しすぎたが、「福岡の中に東京を見出す」姿勢は悪いものでもなかった、という話だ。

ここまで書いてみて、大学時代に上京した、という記述が未だないことに気づく。

勿論、大学時代にも東京には遊びに行っている。
大学にいた4年間で、おそらく10回以上は行っていただろう。
(就活なども含めて)

ただ、2,000字以上を記述して、さらに今から大学時代の上京話を書いたんでは、とんでもない文量になり、読んでくださる方もストレスだろう。
それくらい大学時代の上京の話も濃く、コアな思い出なのだ。
もう一つ本音を言うと、一気に書き上げる気力がない

せっかくなので、大学時代の「僕」と「東京」の関係性については次回に持ち越しとしたい。
今回は「東京(ワンサイド)ラブストーリー」といっておきながら、全く東京の話が出てこなかったが、ご愛敬。

気になる方は、次回もぜひ読んでくださいね。

それでは。

【東京(ワンサイド)ラブストーリー④ に続く】

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