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バジルとの破局。モトサヤなるか⁉


家庭菜園がしたい!と思い立ち、今年の5月ごろ苗を植えた。
バジルとパプリカを2株ずつ。
意気揚々と植え付けをし、せっせとお手入れをして、おまけに名前まで付けた。パプリカにはモカちゃんとアモちゃん。バジルには、オーソレミーオだか、ランゲルハンスだかニューオーリンズだかそんな感じの。とにかくカタカナのみで構成された長めのフレーズを、2つに区切りそれぞれに名付けた。うっすら笑みを浮かべながら名前を呼び、産毛レベルの雑草も見逃さずに抜いて差し上げた。哀れな過保護ごっこを楽しんだ。

だがしかし、さすが無精者コミッティ代表の我氏、期待を裏切らない。わずか2週間ほどで育菜放棄をしてしまった。「所詮遊びでしかなかったのね。ひどい!」そんな彼女たちの声が聞こえてくる……ことはなかったが、
「せめて水やりだけでもやらなければ」と思えば思うほどに、庭にいる彼女らのことを思い出すのが嫌になった。植物へ思いをはせるよりも先に、「気温が落ち着く夕方にやろう」「昨日か一昨日かその前か雨降ってたな」「植物は強いっていうしなんとかなるだろ」と言い訳を思い浮かべるようになった。枯れているかもしれない植物の姿を想像するのが嫌で、庭に関する記憶一切にふたをするようになった。思考回路が家庭菜園界隈へ接続されそうになると、回路がプツンと途絶る。そう、まるで放送禁止用語が流れる寸前で、見ちゃダメ!のうさちゃんやお花畑などの無難な画像が画面に張り付けられるみたいに。そしていつしか、自分への失望と植物への罪悪感をにじませた顔で、「枯れちゃっててもいいや。土に還るさ。」と自分の中でなかったことにするのだった。

育菜放棄から1ヵ月弱がたった頃、”その日”は突然やってきた。
起き抜けのぼさぼさヘアーで、ハサミを片手に、庭へとつながる重い重いその戸に手をかける。久しぶりのお庭は、瞬間、激しい閃光に包まれ一度はその姿を出し渋ったものの、すぐに懐かしい笑顔を見せてくれた。だから私も、にかっと歯を見せてあげた。日光にさらされテラテラでジュウジュウなサンダルに足をつっかけ、ジャリジャリと音を立てながら植物たちのもとへ向かう。変わり果てたその姿に愕然としつつ、私はその前にしゃがみ、「ごめんな。俺が悪かった。」とつぶやく。犯してしまった過ちは消えないけれど、変わり果てたその姿に向き合ってやっと、長かった逃避の日々に終止符を打つことができた。じめじめした私の心を、夏の太陽がカラりと乾かしてくれた気がした。何とか弔いを終え、その欠片たちを優しく手のひらに包んで、キッチンへと運び込む。


よし、おいしくしてあげるからね!


出来上がったのは、鮭のムニエル。前日に冷凍食品売り場で見かけた、簡単ムニエルキットから刺激を受け、食材を揃え、レシピを調べておいたのだ。
あれだけ家庭菜園界隈への接続を拒絶していた私の脳みそは、わが体内のドンである食欲により、あっさりと界隈行きの電気信号に道を譲ったのだった。
気になるムニエルのお味だが、もともと塩味がついている鮭の上に、さらに塩、そしてさらにクレイジーソルト、と色々振りかけてしまったために、少ししょっぱかった。だがおいしかった。

ここで一句。ならぬひと節。

庭の虫カサカサバジルの端々をガジガジかじるがバジル生きてる超芳醇。

すいません反省します。嘘ですしません。
早口言葉作ってみました。
どうですか。


…どうですか。



冷たい視線が突き刺さった気がするがそんなことは今はどうでもよい。
そう、バジルは生きていた!
葉の先や先端が茶色くしぼんでいたけれど、背丈ははるかに大きくなって、幹も太く強く、猛々しくなっていたような気がする。この成長が正常なのか異常なのかはわからない。素人には見えない病気を患っている可能性もある。ただ私は、この環境で育つこの個体の運命だけを見つめていたい。正しさ、普通さ、円滑さは自然とは遠い場所にあるものだ。

私は彼女らを、最初だけ愛して、そのあと何週間もほったらかして、なかったことにした。挙句名前も思い出せないような最低野郎だ。
復縁はできないだろう。
でも信じてほしい。
本気で好きだったんだ。大切にしたかった。
どうかこれからも、ただ一人の人間として傍で、君の生涯を支えさせてはもらえないだろうか。

あ、パプリカさんのことは聞かないでください。





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