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広告コミュニケーションと”釣り”の違い|不快な漫画広告が増えた本質的な問題

なぜ、最近は不快な漫画広告が増えてしまったのでしょうか。

18禁、浮気や不倫、暴力、犯罪・・。有名な漫画や好きな漫画ならまだしも、残念ながら不快感の少ない漫画広告はごく少数というのが私の実感です。

この記事では、広告に携わる人間の一人として、その本質的な問題に迫っていきたいと思います。私はネット広告が好きで、新卒からネット広告の歴史の一部と共に生きてきました。だから、単純な勧善懲悪な内容として書きたいわけではなく、マーケティングコミュニケーションの観点から分析して、何かしらポジティブな方向に提言できたらと思っています。

ただ、個人的にも度が過ぎるものはもう勘弁してほしいと思う日々なので、所々怒りや嘆きが隠せない部分がありますがご了承ください。

まずは、広告の苦情件数の推移から見ていきましょう。

ネット広告は年々苦情が増えている

2020年度、JARO(公益社団法人 日本広告審査機構)に寄せられた広告の苦情件数は、5年連続で最多件数を更新しました。ネット広告は2019年にテレビを超え、2020年には前年度比136.6%と増加の勢いが止まりません。

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消費者からの苦情は多くの年代で増加していますが、特に10代・20代は前年度比1.6倍と顕著な伸びです。描写が不快などといった「広告表現」の割合が高く、苦情の約半数を占めます。

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引用:https://www.jaro.or.jp/news/20200623.html

学生層でいえば、こんなデータもあります。主に外見コンプレックスを取り上げた広告について、「SNS広告を見て、不愉快に感じたことはありますか?」という質問に対して、「不愉快である」「不愉快に感じたことがある」と答えた学生の割合は、1,300人中、1,183人と91%にのぼりました。(全国の中学生・高校生・大学生 調査期間:2020年7月)

ネット広告の何が嫌われているのか。

「広告の位置が邪魔」「個人を特定されている感じが気持ち悪い」といった、「広告の手法」については、これまでも問題視されてきました。

しかし、前述のJAROのレポートによれば、広告手法の4.7倍も苦情件数が多いのは、「広告表現」です。苦情の多い業種は、デジタルコンテンツ、健康食品、化粧品と続きます。

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<JAROレポートから引用>
「デジタルコンテンツ等」のゲーム関連では、「広告と実際のゲーム内容が異なる」「ゲーム内容と関係ない性的表現が不快である」などの意見が、また動画配信サービスではホラーや死の表現に対して「時間帯を配慮してほしい」「コロナで不安なときにやめてほしい」などの意見が寄せられた。

「健康食品」「化粧品」「医薬部外品」などの美容・健康関連も著しく増加し、医薬品的な効能効果をうたうネット上の不適切な表示が多数見られたほか、「健康食品」では誤認させる定期購入契約の表示に対する苦情も目立った。「化粧品」については、主にバナー広告で画像処理をした鼻の角栓の広告を出していた複数の企業に対し、生理的不快感を訴える意見が多数寄せられ、前年度比248.5%となった。

鼻の角栓の広告・・・・・やっぱりね、と。JAROに名指しでレポートされるとは、相当数の露出があったものと推察されます。

打線も組まれる漫画広告

Twitterで「広告 不快」と検索すれば、多くの人が何に対して不快に思っているのか、タイムリーに知ることができます。漫画広告がやはり最近は多いですが、生理的不快感を煽る美容・化粧品系(人物の目元のブヨブヨ!毛穴の角栓!脂肪の塊!歯の裏側!)は特に多く見かけます。また、Youtubeは広告配信の仕組み自体が不快に思われていることもあるようです。

<Twitterの声から抜粋>
「趣味悪い漫画広告が本当不快なんだが」「インスタ、不快な漫画広告が出るようになって都度必死で消してる。」「成人指定みたいな頬赤らめた巨乳の女の子とかがたくさん出てくるの凄い不快」「漫画広告、不快にならない作品ゼロ説」「最近目元ブヨブヨ広告が多発していて不快なんだけど。」「汚れた歯の写真とか、角栓がどうのという鼻の写真とか、広告で出すのほんとやめて欲しい!」「YouTubeの広告とかも何回も報告してるけど全然消えない」「不快感を煽ることでプレミアム契約させようとしているYoutubeってある意味すごい」

中でも、私が個人的に一番うんざりしている「漫画広告」とGoogleで入力すると、サジェストで「消す」「不快」と続きます。

漫画広告のGoogleサジェスト

さらに、不快な漫画広告で打線まで組まれていました。

なぜ不快と感じるのか?心理的・脳科学的メカニズム

不快と感じるアカデミックな理由の説明はそこまで必要ないかもしれませんが(不快な事実は変わらないので)、広告を出す側の心理にも関係するので、触れておきます。

米心理学誌「Psychology Today」で紹介されたJohn Cacioppo博士の研究によると、人間の脳はネガティブな事柄に対して、ポジティブ、あるいはニュートラルな事柄よりも強く反応するということを指摘しました。

引用:Psychology Today Our Brain's Negative Bias
https://www.psychologytoday.com/intl/articles/200306/our-brains-negative-bias

私自身の経験でいえば、会議での一幕をイメージして腑に落ちました。自分の提案に対してポジティブな意見が5人から出たとしても、ネガティブな意見が1人から出ると、一気にネガティブな意見が優位になってしまうことがあります。

ネガティブな情報に対して、否応なしに脳が反応してしまう傾向は、非常に原始的な脳の働きと言われています。ネガティブな情報とはつまり、原始の時代で言えば死に直結するような「生存の危機」を意味することであり、それを瞬時に回避するために、反応を大きくする仕組みになっているということです。

人間の自己保存・自己防衛の本能を利用したものが、不快な広告の正体

広告へのアテンションを得るために、ネガティブに抗えない人間の本能を利己的に利用したものが、不快な広告の正体です。

ネガティブな広告表現によって、否応なしに脳を、気持ちを揺さぶるという点においては、遡れば、昔の広告も酷かった(らしい)です。

例に出した漫画広告にあるような、差別、いじめ、倫理規範の乱れ、といった社会的な不快感というより、得体の知れない恐怖心や命の危険といった、個人の精神的な不快を煽るような「怖い広告」が昔は多かったようです。

平成に入ると、かなり際どいセクシー路線が増えたように思います。私も幼心に「細川ふみえのバスロマン」のCMを横目で凝視していたことを思い出します。これも一種の、人間の生理的欲求に抗えない本能を利用したものです。

同時に「うるさいCM」が増えてきます。叫んだり、急に大きな音が流れるようなものです。これも、生命の危機回避=自己保存の本能を刺激して、広告としての認知を獲得することが狙いです。CMの音量や、固有名詞を繰り返す回数などにおいて、昨今はだいぶ規制されてきました。

(楽天モバイルさんのCMは個人的にはシンプルな訴求で良かったんですが・・)

余談ですが、父が大の広告嫌いで、特にうるさいテレビCMは、もの凄い形相で、それもありえないスピードで消音にします。この種のスポーツ競技があれば、かなりいい線いくんじゃないかと思います。テレビはリアルタイム視聴する世代なので、そのせいでどれだけ父は不快な人生の時間を過ごしていることか。。そんな親を持つ私がTVCMを出稿する側になっているのだから複雑な心境です。

ネットの時代に入ると、広告は大衆の目に触れるものという前提がなくなり、オールドメディアとネットメディアに二分されました。オールドメディアの広告表現の苦情をみると、「うるさい」「しつこい」などで安定していますが、それに対して社会的な不安やコンプレックスを刺激するネット広告への苦情が近年顕著に増加している現状が、冒頭申し上げた通りです。

なぜ許される?「不快な表現」を規制しきれない問題

さて、この記事もようやく核心に迫ってきました。ネット広告がネガティブな表現で暴走していることが大きな問題になっていますが、そもそも、それらを取り締まる仕組みが非常に弱いことが重要な論点となります。

もちろん、広告を出稿する側(広告主や広告代理店)は、様々な法律規制に縛られています。景表法は、主に誇大広告(著しく事実と異なる表示)と優良誤認(実際よりも著しく優良であるかのような表示)を規制しています。また、健康食品や化粧品は、健康増進法や薬機法が関連し、不動産や金融においては、個別の広告表示規約や専門機関が存在するなど、業種固有の規制も存在します。

しかし、それらは「不快な表現」を明確に定義して規制しているわけではありません。不快感というものは、個人の価値観の相違に基づくものであり、好き嫌いの観点として扱われるため、広告規制は難しく、むしろ表現の自由として保護される可能性の方が高いと考えられます(私は法律の専門家ではないので、あくまで個人の見解です)

一方、広告を掲載される側の媒体各社には独自の「広告審査」がありますが、「個人の価値観に基づく不快感」を完全には規制できないのは明らかです。また、アフィリエイトはサイト自体が媒体であり広告でもあるため、景表法等の対象になってきますが、運営者が法人だけではなく個人が圧倒的に多いため、不適切な表示も多いことが以前から問題になっています。

<JAROレポートから引用>
著しく不適正な広告に対して適用するために2020年4月から新設した「厳重警告」については、運用初年度となる2020年度は15件に適用した。そのうち14件は媒体が「インターネット」であり、そのすべてにアフィリエイトプログラムが関わっていた(うち4件はアフィリエイターに対して発信した)。

責任の所在を曖昧にする広告配信の仕組み

もう一つ、隠れた論点があります。それは、広告主(及び代理店)と媒体社の間をつなぐ広告配信システムの存在が、結果的に両者の関心を互いに低下させ、不快な広告に対する責任の所在を曖昧にしている点です。

いわゆる純広告の時代は、広告主と媒体社が、互いに顔(≒存在)が見える取引をしていました。そのため、広告表現としても一定の理性的抑止力が働き、互いの社名をかけて、あまり過激なものは控えていたように思います。

そこに、広告配信のオークションを0.1秒以内に自動的に行う仕組みが主流となったこと、さらに配信先の媒体がバルク単位で扱われることになったことによる複雑化がもたらされ、広告主と媒体社は、見知らぬもの同士、見知らぬままに広告掲載の取引が成立するようになりました。

これが、互いに広告自体の表現の是非に関する責任の所在を不明確にしてきた遠因であると考えています。

マーケティングコミュニケーションと”釣り”の違い

人間のネガティブに反応してしまう本能を利己的に利用した過激なクリエイティブ。それは規制で縛りにくく、かつ、広告主と媒体社の間にあった理性に基づく抑止力が、アドテクノロジーによる顔の見えない取引によって希薄化し、責任の所在を曖昧にしてきました。

それらは、詰まるところ、広告を運用する関係者の倫理観の問題を突きつけています

広告コミュニケーションのゴールとは、広告主のメッセージを媒体を通じて消費者に伝え、理解してもらい、共感してもらい、その先でやっと購買という行動を起こしていただくこと。これは双方向的な企業と消費者の対話が前提になっています。

それに対して漫画広告に代表される「不快表現の広告」は、ただの釣りです。魚に対して自分のことを理解してもらったり、共感してもらう必要などない。釣果が得られればそれで良いのです。

漫画広告とは、今の日本のネット広告業界の論点を多く含んだ、まさに象徴なのです。

広告主から変わろう。それしかない。

さて、これまで散々偉そうなことを論じてきましたが、自分の胸に手を当ててみると、「不安を煽る」といったことは、広告コピーの常套手段として正当化してきた自分がいます。また、「広告とは不快なもの」という諦めのような認識を、自分の中のどこかに抱えてしまっていることが、本質的な原因なのではないかと思います。

自分もいつしか漫画広告を量産する「マーケターではない何者か」にならないよう、硬く誓いたいところです。ちなみに、そんな私自身の反省を綴った記事はこちら。ご参考までに。

ここからは提言です。

水は高いところから流れます。お金を出している者、つまり権限のある者が責任を取ることは当たり前です。権限と責任一致の原則です。広告主が、改めて自分が(または自分の部下が)出稿した広告の表現の是非について責任を明確にすべきです。

例えば、バナー広告のヘルプのリンクに、「なぜこの広告が表示されるのか」といった情報ページがたまにありますが、それが広告配信業者のものでは意味がありません。その仕組みや配信手法がわかったところで意味が無いのです。そうではなく、広告主の詳細情報を載せるルールにすべきです。

代理店、広告配信業者、媒体社は、仮に広告主が求めたとしても、不快な広告表現の助長も黙認もせず、掲載を断るべきです。お金をもらう立場だから難しいことは重々承知ですが、それが広告主や社会への責任です。

ちょうどこの記事を執筆している時に、広告・記事配信システム提供のpopInさんのニュースが掲載されていて、嬉しくなりました。

それでも広告主が変われないのであれば、消費者が声を上げるしかありません。行動で示すしかありません(過激な不買運動を煽るつもりはないですが・・)

本質的な原因は、私の胸の内にも存在していると吐露しましたが、「広告とは不快なもの」という空気が世間にもあり、それが不快な広告の存在を正当化してしまっていることにあります。そこに、もっとみんなで声を上げることによって、NOを突きつけましょう。

それが、業界全体が認識を改める契機になればいいと思っています。

そして、素晴らしい漫画家さんが、思わぬところで傷つかないことを、願ってやみません。

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