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ボバに会いたい(戦争になって会えなくなった友達のこと)

ボバはベラルーシ生まれ。
ロシア・ウクライナ戦になり、初めてボバの国の難しさを知った。

【WDRAC】戦災復興支援センター

難民支援は2007年から行っていたが
今回のヨーロッパでの戦争は、やはり西側の日本なので
NGOが動けないことを行いたいと思い、3月のWDRACの起ち上げから関わっている。

ベラルーシ生まれ
とは、聞いていた。
それはフランス生まれ、や
日本生まれ、と
同じニュアンスだと思っていた。

ただの金持ちのボンボンなのか、とも思っていた。
大きく違っていたのである。


娘の親友の恋人がボバだった。
たいへん明るく音楽の才能もあり、某有名海外アーティストのワールドツアーではドラムスで世界を駆け巡っていたことも。
その後の彼と娘は友達になり、頭脳も明晰で、東欧の大学院で勉強し法律家を目指す、みたいな話であった。

ボバは私のことをいつもいつも気遣ってくれ
「おかあさん、元気ですか?」開口一番のいつものセリフであった。
ボバは日本語はほとんど話せない。
挨拶程度の日本語。


戦争よりもずっと前に聞いていた話。
ボバの母親は
「ベラルーシは常に不安定な国。
いつ国が無くなるかわからないから、ボバはベラルーシ以外の国へ行きなさい。」
そして戦争になった。
彼はもう母親のいる国へは帰れなくなったのである。
母は国家公務員。

自身の母と重ねて、いつも私を気遣っていたのだ。
そして、娘を含めた私たちもボバと密に連絡が取れなくなったのである。
インスタグラムを通じて、ヨーロッパのどこかにボバはいる。
ベラルーシ以外のどこか。

9月のある日、奇跡が起きた。
移住を考えていた自分が定点観測としての毎朝の窓からの動画を、
ある朝初めてライブ配信した。
なんと!!ボバが見てくれている。
ボバひとり!!
思わずボバへカメラを切り替え、話ができたのである。
「会いたい!!」お互いがこの言葉であった。
その後すぐに、他の閲覧者が増えほんの一瞬の出来事。

アーカイブも残せない今回のインスタライブ。
配信を終えたら、涙があふれて止まらない。
今、思いだしても涙があふれる。
元気なのね、良かった。こっちもみんな元気だよ。
それだけで充分。



生きているのに、元気なのに
会いたいのに会えない人がいる。
それが戦争。

いつか、いつか、ボバに会えるその日のために
支援する人を支援するWDRACで頑張るよ。



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