現状を鑑みてのわたしの展望

どうもスガカオルです。

今の世界の状況の中で日々感じることがあるのです。
これから世界中で精神障害者が増えていくのではないか?と。


・最近の私の生活状況
・自分がどうなりたいのか?
・今の生活は?

現状を捉えながら、今のわたしの生活などを書いていこうと思います。

最近の私

画像4

私は3月末で仕事を辞めました。
4月に入ると新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令され、就活どころじゃなくなった。

世の中の人々が休業になったり在宅勤務になったりした中、職を失ったばかりの障害者は外出を控えるしかない。
元々3、4日に一度のペースでしかスーパーに行ってない私。
世間は普段毎日スーパーに行くの?と世間とのズレを実感する。

喫茶店も本屋も休業で、行くところもない。
行くのは精神科とカウンセリング、メルカリ発送でスーパーに寄る際にコンビニか郵便局へ行くのみ。
時々、地元の海岸で練習がてらにギターを鳴らす。

自宅では簿記3級の勉強をしながら、ハンドメイド作家になれるように準備もして、WEBライティングを学んでいるところである。
充実した生活である。

フリーランスへの憧れ

画像3

私は昔から自分で稼ぎたいと思っていた。
それは父親がフリーランスだからだろう。

私は引きこもりながら勉強している。
自分でお金を生み出すために。

私は「精神障害者は体調を考慮するなら在宅ワークを選べば良い」と思っている。
「煩わしい人間関係」がないからだ。

平時ならば、引きこもっていれば外へ連れ出される精神障害者。
今では、引きこもっていないと怒られる。
【STAY HOME】と言われる現在の状況下、正直なところ「引きこもりバンザイ!」なのです。

精神障害者の日常は常に死と隣り合わせ。
それが今、この状況の中で健常者は精神障害者の日常を疑似体験しているのではないか?
そう思うのです。

こんな日々だけど私には日常

画像1

知らぬ間に具合が悪くなってしまうのなら引きこもりをする他ない。
今、健常者の方は不自由さと死の恐怖を感じる日々だろう。

それが私の日常である。

精神障害は「死ぬ確率のある病気」である。
こんなに辛いなら死んだ方がマシと思う時期がある。
そして自死を選ぶことになる。

また、自分のせいで誰かの体調を崩すかもしれない恐怖は、平時ならば「被害妄想」と言われるかもしれない。
私は自分を責めることに捉われているのがデフォルトである。

そして予期不安もある。
「もしかしたら〇〇なのかもしれない」と。

今、感染源になってしまうかもしれないと誰もが不安を抱きながら生活をしている。
世界中がコロナへの恐怖心が蔓延している。

当たり前だ、死ぬかもしれないのだから。

それは精神障害者の誰かにとっては日常なのだ。
少なくとも過去の私はそんな日常を送っていた。

今の状況こそが精神障害者の毎日と同義ということは健常者には分からないことだろう。

今は精神障害者と健常者の世界が入り乱れている

画像2

今、健常者は精神障害者の世界を体験しているのかもしれない。

不安を感じて当たり前の状況の中で苦しむこと、閉ざされた世界で周りにビクビクしながら生活をすること。
具合が悪くなったらどうしようと不安になること。

私たち精神障害者は日常で普段感じているのがこの恐怖です。

そして、これからどんどんと精神障害者が増えると感じている。
失業や離婚、DVや暴力、これらは窮地に追い込まれた人ほど起こりやすい。
ではどうすれば良いのだろうか?

今こそメンタルヘルスに関心を寄せる時ではないだろうか?

むしろ色々なことに挑戦するように

画像5

私はというと日常が窮地になので、通常運転な体調です。
働けないことの方が多いので、引きこもりながら出来ることをやっている日々。

むしろ、引きこもっているのにやりすぎるということにもなっている程だ。

外で働くだけが働き方ではないことに3月末の時点で気づいていた。
ならば家の中で働けるようにならば良い。

そう考えて在宅ワークをしたいと思えた。
その為にWEBライティングを教えてもらいながら書いている。

またハンドメイド作家になるつもりでもいる。
そのための準備中をしている。

調べてみると在庫の材料では売上に形状されないようだ。
有り余る在庫の材料…。
ならば練習で作って寄付しよう。
障害者の施設のバザーに出そう。

そう思っている。

ゆっくりのスピードかもしれない。
私の中で「何か」が整い出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?