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虐待サバイバーのファッション遍歴と着物女子への渇望

スガカオルです。
最近は入院をしたり、本を読んだりして、新しい考え方になりつつあります。
大きな影響を与えた出会いもありました。

そんな中で、思うことがあるのです。

それはファッションについて。

実は以前から着物女子というものに興味がありました。

浴衣は自分で着付けができます。

そんなわたしがファッションの遍歴とともに着物女子になりたい経緯を話したいと思います。

自分のファッションを迷走した過去

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ファッションに目覚めたのは地元に大きなショッピングモールができた頃の、中学生のころでした。
そのショッピングモールにはアジアンファッション雑貨ショップがテナントとしては入っていました。

それまではストリートぽい、ファッションでした。
中学生の頃の写真にはカーゴパンツにTシャツとか、ハーフパンツにハイカットスニーカーみたいな姿が映されています。

地元にあるジーンズショップで安く買ったものがわたしのファッションだったのですが、ショッピングモールができて選択肢が増えたのです。

しかし、お金を持ってない学生時代。
高校生になっても雑誌すら買わずに、家には母の作った多重債務処理に奔走する父がいる家庭です。

数あるテナントの中でもアジアンファッションは夏場は特に安く手に入ることが多かったのです。
インド綿のワンピースやキャミソールはとても安く魅力的なお値段でした。

そうしてアジアンファッション時代が長く続くことになるのです。
ちなみに冬場は安めのアジアンのワンピースを着たり、シャツにカーディガンにネクタイとか男性っぽいファッションをしていました。

アジアンに飽きたわたしは、次にカジュアルなファッションを仕出します。
ファストファッションが出来たおかげでお金のない精神障害者でも安く服を買うことができるようになりました。

デニムにTシャツ、ボタンシャツを羽織にするとか定番でした。
足元は常にスニーカー。

いわゆるユ〇クロの全盛期、わたしのファッションの要素でした。

その流れからデニムにハマります。
しかし、抗精神薬と過食症状の影響から、レディースサイズが入りません。
メンズのデニムを買ったり、大きいサイズが売っている店や通販から洋服を買うことになる日々が長く続きました。

大きいサイズの店というものはとても少なかった当時。
通信販売にはとてもお世話になりました。

それから過食症状も過渡期からはだいぶ落ち着いたものの、まだまだ抗精神薬の影響から普通のショップに売っているサイズが着られない日々。

それでも筋トレをしたりと努力が功を奏したのか、一時期は4Lあった時からLまで落ちました。

そうすると、今度は今まで封印してきた女性らしい服装をしたくなりました。
女性らしい服装というのは性被害者であるわたしにはハードルが高いものと思っている節がありました。

しかし、自分が着てみたいと思う服を着てみました。

流行りの雑誌を見たりして、どんなふうに着たら良いのだろうと悩みながら、洋服を選んでいきました。
スカートやワンピースを着ることは楽しかったです。

その頃はコンサバ系の服装だったと思っています。
※未だにコンサバが何かは分かりかねているが(笑)

そうやって洋服を楽しんでいたのですが、ふと思うのです。

それが先ほどのツイートにもあった、流行り廃りに左右されることにつかれてきたのです。
何が流行っているとか気にせずにファッションを楽しみたいと今は思うに至りました。

自分の好きなものがわからない虐待サバイバーあるある

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虐待サバイバーあるあるなのだろう、自分の本当の好きなものがわからないという事実に直面することがあります。

自分の本当の気持ちを出すことを許されない環境にいたことがその理由だろう。
自分の好きな物だけでなく本当の気持ちすらわからなくなることは虐待サバイバーあるあるなのだと感じています。

本当などんな職業に就きたいのか、どんな洋服を着たいのか、どんなものを食べたいのか。

人生を生きることは選択肢を選んでいくことの連続です。
しかし、その選んでいくことが自発的にできないことが虐待サバイバーには多々あるのです。

わたしにとっては学校決めと職業とファッションがまさにコレでした。

自分が本当はどうしたいのかが分からず、進路を決めるのはいつも一番最後でしたし、看護学生になったのも母が作った多重債務から大学に行く費用もなければ奨学金を借りるという選択肢を取れなかったからです。

自分がどれを着たいのかという願望はずっと分からなかった人生を歩んでいました。
安いから…という理由と、他人にどう見られたいのかということばかりを気にしていたのです。

自分という軸をわからないでいました。
そんな状態が長く続いていたのも虐待という後遺症の影響なのだろうと考えています。

断捨離に明け暮れる日々

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思い切って、わたしは断捨離を決行しました。

どうやらわたしは収集癖があるようです。
部屋にはもので溢れかえっていました。

どうにも量が多い…。
一体一日何時間あればこの大量の本を読め、趣味に時間をかけられるというのだろう?と考え込んでしまいました。

趣味を絞り、集めた趣味の道具を売りさばきました。
手芸が趣味だけれど布と毛糸に絞って、その他のレジンなどの道具を手放しました。
趣味を広げると物が増えることを実感した経験です。

未だに興味は広がりすぎています。
これは虐待の影響で発達障害に似た多動な部分がわたしにあるからだろうと考えています。

部屋にはギター、カメラ、ミシン、タロットカード、画材、スポーツ用品などが転がっています。
これらを全てやっている時間はないとわかりつつも、まだ手放せないでいる現状です。

本もフリマアプリで出品したり、買取をしてもらいました。
マンガも買うものを絞って、残しておきたいものも絞りました。

洋服は買取やフリマアプリを活用したり、物々交換で着物類と交換してくれるという友人もありがたいことにいました。

コンサバ系は少しだけ持っていれば充分だと気付き、あとはTシャツなどに絞りました。
つまり、部屋着とスーパーに行く程度の服だけにしました。

洋服の断捨離をする上で課題なのは、体型を維持するということでした。
体調によっては抗精神薬を必要とし、その影響で太ることも考えられます。
それにはやはりスポーツウェアは必要だったので残しています。

自分には何が必要で、何を残していたいかを考える作業はまだ続いています。
残していなくても、わたしはわたしなのだと最近は思っています。

ちなみに断捨離は現在進行形で続いています。

着物女子で自分らしく生きていきたい

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わたしには和装に憧れた時期が過去にもありました。

子ども時代に遡りますが、蒸発した母は洋裁だけでなく和裁もやっており、浴衣を作ってくれたことがありました。
手作りの浴衣にわたしは心が躍ったのをよく覚えています。

母は和服も好きな人でした。
父が吐き捨てるように愚痴っていたことを思い出します。

その他にも洋服の断捨離に協力して物々交換をした友人や入院中に出会った人も着物を着ていて、わたしに影響を与えてくれました。
入院中に出会った人とは仲良くなり、色々と話が合ったので彼女の影響もあっただろうと思います。


実は成人式に振袖を買ってもらっていました。
母親の債務整理から振袖のレンタルができずに、父が工面して着物を買ってくれたのでした。

しかし、すでに精神障害を発症していたわたしは成人式にも出られず、その振袖の写真も残っていません。

そのこともあって着物を着たいという欲求が高いのかもしれません。

わたしはファッションに振り回されているのだろう自分でも思います。
他人からどう見られるかということに怯えているのでしょう。

しかし、今は誰にどう言われても、着物を着て生活をしたい!
それがわたしがしたいことだから。

解離性障害から自己同一性というものを持っていないですが、わたしにも好きなことがあります。

好きなことをしていくことが自分らしさなんじゃないかと最近は思っています。

わたしは着物を着て出かけたい。
それがわたしの願いであり、やりたいことなのだから。

きっと今のわたしの自分らしさなのかもしれないと思っています。

ではでは、またね。

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