年越しの気持ちの重み

2020年を迎えた。

彼の誕生日は1月9日で、彼はちょうどあと9日で24歳を迎えることになる。彼にとってお正月は、一つ歳が増えるイベントへのカウントダウンのはじまりのようなものだ。18の時も、19の時も、20の時も、常にそうだった。

彼は年越しを、「ゆく年くる年」を見ながら迎えた。3秒遅れの地デジが、日本のどこかの寺の年越しの音を、彼の家にとどける。

年越しの瞬間は「なんだかあっけないな」って思ってしまう。大人になればなるほど、数を重ねて思い入れが少なくなるのか、そう思う。

お正月は毎年実家でゆっくり過ごす。日々東京で時間に追われる生活をしている彼は、年末、実家で特に何もすることのない3〜4日間を得る。

彼はお正月、いつも以上にテレビを見る。東京で生活する時は、家に誰かを連れ込んだ時以外、テレビは見ない。

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普段以上に見るテレビで、芸能界、スポーツ界、報道の世界で活躍している人を大勢見るたびに、彼は自分の持つ価値の低さを痛感する。

今迎えた2020年の一年が、今の自分の価値レベルのまま、また一瞬で過ぎ去っていくかもしれないということに、彼は他の人以上に焦りを感じている。

「普通に生きていたら、普通の人と同じような価値しか持てない」と、彼は自分に言い聞かせる。

彼は2019年、行動はしたが、やりきれなかったことがいっぱいあった。

決められたレール、安定して生きるのに必死で、学校の行事にちゃんと参加し、バイトもちゃんとして、人と違う行動を大胆にとることができなかった。

彼の目標は大きいし、その達成の為にはかなりの努力が必要になる。
その努力を、自己管理を徹底して1日1日積み上げられるのか、不安を感じている。


人生って、一発形成逆転のケースってほとんどあんまりなくて、1日1日の真摯な積み上げで人は成長していくものだし、その継続努力のレベルによって、その人の価値は決まってくる。

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彼は、「自分に正直な一年を過ごせるのか」ということにも不安を感じている。

自分の心が日常のふとした時に教えてくれる、「自分のやりたいこと」「叶えたいこと」に真摯に正直になって生きることが、2019年も"それなり"にしかできなかった。

彼は"それなり"の人生は求めていない。

でも恥ずかしさや失敗への恐怖が、彼の心にブレーキをかける。
行動しようと動き出す手前で、彼のその時間tにおけるあり方を、"他愛もない"ものにしてしまう。

彼は今年、「どこまで振り切れるかが勝負の分かれ目だ」と思い、いつも文章をかくクラウドノートに、書き留める。日々つもりつもるノートに、その思いは一応、文字に起こして記録されたものとして保存される。

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2020年を「飛躍の年にしたい」と願っている人達は、年越しをどう過ごしているのだろうか。

彼の胸は、
「自分は明日からちゃんと目標達成の為に生きられるのだろうか。」
という不安で満たされている。

これから実家の二階のベットで眠りにつき、起きて、また彼は自分の人生の時間を消費していく。
それが365日たまった日、2020年12月31日に、誇らしく思える一年にしたい。


彼は、
スポーツ選手の試合前のような、
就活生の面接前のような、
受験生の試験本番前日のような気持ちで、
歯を磨き、大晦日の夜2時ごろ、眠りについた。



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