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「読書の意義」って何だろう? 

マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは無類の読書家であることで有名だ。

年に2回ほど、仕事から離れ、別荘に1週間こもって読書や考え事に耽る「Think Week」を設けており、そこで得た着想が、後のビジネスに大きな影響を及ぼしたこともよく知られている。
ゲイツのブログ「ゲイツ・ノーツ(Gates Notes)」では、幅広い推薦図書が公開されており、それを参考に本選びをしている人も多いだろう。

このゲイツの習慣は、「読書はビジネス・リーダーにとって、洞察力を養うために不可欠な習慣」みたいな意図で記事にされることが多い。
実際、そのとおりなのだろうと思うが、先日そうした記事のひとつを読んだとき、読書ってそんな大層な目的を掲げてするものだろうか、という疑問がふと頭をよぎった。

読書なんて、変な欲を出さずに、ただ楽しめればそれでいい。それでもし何かが得られれば、それは「めっけ物」として受けとめればいいのではないだろうか?

実は私にとって「読書」は、少しばかり罪悪感を伴う行為だったりする。
子どもの頃、家庭でも学校でもひとりで過ごすことの多かった私は、読書で時間を紛らわすことが多かった。つまり読書を現実逃避の道具として使っていたのだ。
厳しい家庭で、子どもがテレビ番組を見ることが許されなかったため、必然的に家にあった本に手が伸びたということもある。
何かを学び取ろう、身につけようとして読むのではなく、別の世界に逃げ込んで現実を忘れようとしていたにすぎない。

その甲斐あって、文章を読むことにまったく苦痛を感じない大人に育ったものの、「読書で発想力や想像力が豊かになった」とか、「共感力やコミュニケーション能力が高まった」といった効果はまるで感じられない(妄想力は上がったかもしれないが)。

むしろ、「本ばかり読んでいて協調性のない変な子」と言われながら育ち、社会に出てからも、世の中の常識から少しずれた考え方をするせいで、判断を誤ることもあった。

それなら、自分にとって「読書の意義」って何なのだろう、と今更ながら答えを探ってみたら、やっぱり答えは「現実逃避」なんじゃないかと思えてきた。

子ども向けの読書推進文句として、「本の中には現実とは別の世界が広がっている」というようなフレーズを聞くことがあるけど、本当にそのとおりだったりする。

多かれ少なかれ、「生きにくさ」を抱えながら生きている私たちは、ここじゃない別の世界に想いを馳せずにはいられないときがある。
もっと素晴らしい、理想郷がどこかにあるのではないか」という想いなしには、もう1日も生きていけない気がしてくるような感覚だ。

そして、本、とくに文学作品の中には夢や希望、友情、愛、信頼、そして正義といった、現実では滅多にお目にかかれない価値観に出会えることができる。
その価値観に自分の魂が共鳴したとき、それは永遠にそこに根を張り、生涯、消えない火をともす。

私にとって読書とは、そのささやかな火を灯し続けてゆく作業でもある

もしあなたにとって現実が限りなく美しく、欠点が見当たらない世界だったら、そして毎日なんの不満も悲哀もなく幸せに生きているなら、読書なんて必要ないかもしれない。娯楽の道具だったら、映画やゲームなど、ほかにいくらでもあるのだから。

でも、そんな人、ほとんどいない。
人生は答えのない問いの連続だ。完璧な正解を出せることは稀だし、自分が選んだ答えが正解だったかどうかも不確かなまま、先へ進んでいかねばならない。

そんなとき、自分の中に蓄えた読書経験が、本の中のひとつのセリフが、あなたを救ってくれるかもしれない。少なくとも私はそんな経験を何度もしてきた。

そんな数々の経験を、今後、文章を通じて多くの人と共有できれば幸せだなと思っている。


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