クジラの心臓|ショートショート

転校が決まったのは小学5年生の時のことだった。
理由は、両親の離婚だ。

「ヒロ、実は一ヶ月後に関西の方の学校に行ってもらう事になる。俺たちの事情ですまない」
ある日突然父にそう言われた。
父が大抵相談をしてくる時、それはもう揺らぎようのない決定事項である事を当時の俺は知っていた。
だから
「うん、分かった」
とだけ返事をした。

もともと、父も母も共働きの為か、あまり家にいることはなかった。いわゆる鍵っ子だった。
別に自分としては不満は無かったし、それが普通だったからどうこうというわけでは無かった。

俺は友人たちになんて言おうかなと、
それだけがなんだか寂しかった。


一ヶ月なんてあっという間で、
クラスメイトから貰った寄せ書きを段ボールに詰めて、父が運転する車に乗り込んだ。微かにラジオがかかっていた。
窓に映る見慣れた夕焼けの景色が過ぎ去っていくのをぼんやりと眺めていた。なんだか眠い。
「なぁ、ヒロ。あっちに行ったら、言葉も違うし大変かもしれないが、きっと良い友達ができるよ」
高速に車を走らせながら、父が静かにそう言った。俺はそこで意識を手放した。

次に目が覚めたとき外は暗くなっていた。
外をぼんやりとしながら見ると、まだ高速のようだった。父が無言でひたすらハンドルを握っているのが目に入った。

また寝てしまおうかな。
そう思ったときラジオが耳についた。
どうやら女性が一人でやっているらしい、
「深夜を回りました、ではいつもの豆知識のコーナーです。」
凛とした声が印象的だった。
「みなさんは世界最大のクジラが、何か知っていますか?そう、シロナガスクジラです。
じゃあ彼らの心臓って一体どんな大きさになってしまうのかって少し気になりますよね。」

「はい、そうなんです。彼らの心臓は小型車くらいの大きさで、重さは約430キロ。シロナガスクジラの心臓は、現存するあらゆる動物の中で最大なんですよ」
そんな話を聞いていると、不思議と自分のドクドクとした鼓動を感じた。じっとしていたからだろうか。

そこで脈打つ音が普段より早い事に気がつく。

ラジオは進んでいく

「では人間の心臓は一生のうちに何回くらい脈を打つのでしょうか? 犬や猫やほかの動物たちは? この疑問を動物たちのサイズや代謝率から導き出すと、おおむね『10億回前後』という結果に落ち着くそうなんです」

10億という数字にあまり実感が沸かないが、話は続く。

「…一生のうちに脈打つ回数が多いのは、人間とニワトリで20億回。逆に少ないのは、小型犬で5.3億回。しかしそれ以外は、小さな猫もウサギも大きな象もクジラも、だいたい10億回近辺という結果となっているんです。」

「大きな動物はたいてい脈の打ち方もゆっくりですが、『一生の鼓動数』という切り口でとらえると思わぬ共通項が見えてくるから不思議ですね、では次は交通情報です…」

なんだか不思議な気持ちになった。
世界で一番大きな生き物が、一生の中ではみんなと同じ脈の打ち方をしている。
それってなんだか不思議だ、と思った。
自分の一生には、そんなクジラの2倍は脈を打つのかと知って、それなら少しだけ頑張れるかもしれないと思えた。

高速道路を走る音が聞こえる。
確実に新しい場所に向かっているのを感じる。
心臓がいつもより早くなる。

クジラもこうやって、不安になる事があるのだろうか。こうやって鼓動が早くなることはあるのだろうか。

そうしてまた、意識を手放した。

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suga
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