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僕なりの文学を学ぶ意義


「大学で何を学んでいるの?」

「文学を学んでいます」

こう言うとだいたいの人から「文学なんて学んで将来何の役に立つのか」「もっと手に職のつくものを学べば良いのに」と返される。いやいや、聞かれたから答えたのになんで非難されなきゃいけないの。

僕にとって文学を学ぶことの意義は「一番効率よく世界を経験することができる」点にあると考える。これは石原千秋先生も言っていた気がするけれど、要するに擬似体験のツールとしての役割である。文学を通せば私たちは性別や住んでる地域に隔てられることなく、それどころか時代さえも超越して物事を体験できるのである。文学に触れている時の私は戦の最中の武士にだって、楽しく遊ぶ異国の少女でにもなれる。

こうして得た擬似体験は経験となり私たちの中に蓄積する。社会で遭遇する様々な出来事に対して既知のものとして対応し得る抗体となる。一人っ子であることを嘆くのなら兄弟愛溢れる本に触れれば良いし、海外に行くことが難しいなら誰かの旅行記を読めば良い。百聞は一見に如かずと言うけれど、0と1は天地の差である。

文学は思考の土台を作る。いわゆる「経験を豊かにする」ってやつである。土台があればすぐに建物を作り始めることができるし、その土台の種類がたくさんあればあるほど、適した場所に適した建物を立てることができる。これこそが文学を学ぶ意義ではないだろうか。もちろん、こんなことを毎回説いている訳にはいかないから、「将来か〜、どうですかね笑」と誤魔化すのだけれど。

こういった類の質問は派遣のアルバイトでで工場やファミレスに行くとよく投げられる。「どこ大行ってんの」という質問とセットで。これまた答えると「良い大学出たからって稼げるとは限らない」「頭いい奴に限って仕事できない」とテンプレートのように返ってくるけれど、だからなんで僕が非難されるの。もちろん、仕事は本で読むよりずっと大変で、そこで働く人たちには感謝の気持ちと尊敬でいっぱいである。でも、その経験が本を読む上でのリアリティを高めてくれる糧になると考えるとより文学を楽しめるだろう。そして、「ああ、そうやって決めつけて何かと皮肉ばっかりいう人はつまらない人生を送ってきたのだろう」と天狗になってみたりする。



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