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解説「Untitled(2019.10.19)」

suffijourです。「Untitled(2019.10.19)」を描いたきっかけ・描き終わった後を文章でまとめてみました。

「Untitled(2019.10.19)」

この日、この時期、インターネット・SNSで目に見えた景色がとても暗かった。自分の間近なところで災害もおきていて、記事や投稿してるものも黒い色が漂っていた。文字や言葉・文章は面白い。記号として表されてるのに理解もしあえて色があらわれてくるなんてまるで魔法のようだ。
地球最強理解ツール。
でもそれは私が日本の島で生きて「日本語」を理解してるからであって全国共通語であるのにも関わらず未だに習得してない「英語」や他の母国語をみてもきっと何も感じないだろう。ちゃんちゃらおかしな勝手な気持ちだと思う。
すべてを把握する容量がないのもわかっているくせに考える。今パソコンの前でタイピングをしている間に世界ではいくつの問題が生まれているのか。
想像もつかないし、ましてニュースにもはいってこない。見てない。調べてもいない。
入ってきたものだけを感じて勝手に暗くなってるのだ。
わがままに生きて自分勝手でどの国よりも自由に生きている。
身近なところで問題が起きても何もできない自分がいる、けどいない、存在として浮かんでいた。
地に足がついていない(この感情は今でもまだ続いている)。無力。言葉であらわしてもすべて嘘の様に感じ、より罪悪感が増した。
第3者からの語彙力から得るパワーがあまりにも強い。見すぎてしまった。見るのも見ないのも受け取るのも自分次第。自分からでたものはドラクエで例えるなら「パルプンテ」だ。見返しても何が言いたかったのかよくわからない。偽善者になるための文章。書いては消しての繰り返し。
言葉で伝えたいものが本当にない、というよりかは使い続けてないことで自身がないだけだ。よく、身近な人を愛せないではまわりの人のことも愛すことなんてできない。自分を愛せないでは人のことを愛せない。
この聞いた話は頭の中でよく回っている。そうだと思う。その都度、生き方に矛盾も感じる。パラドックスの底に陥っている状況を更に落とすかの様にその日は真反対の気持ちの色で真反対の気持ちの拳を描いた。
すぐでてきた。色でまたあらわしてみることにした。手は昔からコンプレックスの塊だ。昔からクレヨンが好きだ。どうしてかの理由までは考えていない。
「好き」だけでは理解しがたいから解説という言葉があるのに。自分を自分で解説したい程、出会えた人に知ってもらいたい感情が甚だしい。嫌いで嫌いで大好きなんだ。


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