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勉強することの愉しみ

先日、令和5年度の大学での講義が始まった。

教えに行っている大学は、福祉方向へ特化した学校なので建築学とはほとんど関係がないと思われている学校である。

そこで僕は選択科目の一つとして、建築学をベースに講義をさせてもらっている。

毎年初回は、大学などで勉強をする意味であったり、他分野を勉強することの効果などを話している。
今までは受け身に微分された学問を一つづつ覚えて来たものを、大学に入ったらいきなり「自由に選択してね」となってもどうして良いかわからないのだ。

僕自身勉強することが楽しいなぁと思うようになったのは、大学4年になった頃だと思う。きっかけは、自分が好きであった漫画やアニメ、映画や物語が、デザイン言語で語れるようになったあたりからではないだろうか。

僕の講義では、できるだけその事に気がついて貰いたくて、例などを出しながら講義している。物事を解像度を上げて眺める方法を示そうとしている。


最近になってたまに料理をする時がある。今までも一人暮らしを長くしていたので、全くしてなかったわけではないが、ぼんやりと調理していた。レシピにあるものをレシピ通りに入れていく。とか…。調理ではなく作業に近い。
それが、変わったのは、妻から、「ない調味料があるなら代わりのものを使えば?」と言われてからである。なかったら買い足して使わない調味料を抱えていた昔の自分に教えてあげたい。セカンドバースデーと言って良い出来事である。

例えば「味の素」。うちにはない。
ただ、味の素の主成分は旨味の元であるグルタミン酸だ。これは昆布だしや、かつおだしなどに多く含まれている。白だしとなど…。
「コンソメ」もない時があるが、ブイヨンがあればそれに鶏ガラを入れれば少ない動物質の出汁成分を補うことができる。
みりんがなければ酒と砂糖である程度補えたりする。

逆に言うと市販されている調味料は出汁を取ったり味を調整したりするのを省略したりする事が出来るのである。

調味料の成分とそれが影響する効果を知ることで、料理するハードルが減った。足りないものを買い足さず家にあるもので代替えできるのである。
この様に調味料への理解度が一度上がると見えてくるものがガラリと変わるのだ。知る前よりも調理についての輪郭がハッキリと見え詳細がみえたのである。

これが僕が解像度が上がると呼んでいるものである。

そしてこの事で得た知識は、僕であれば設計の発想へ使われていたりする。直接繋がらなくても、代用する方法などを取り入れる事が出来るかもしれない。

そして何より、実利がなくても、無駄とも思える知識による高解像度化からくる景色の彩りは、楽しいのである。
他の人から無駄だと思われるようなものでも、彩りを与えてくれるのである。無駄を愉しもう。
いや、愉しめるのであればそれは無駄ではないのだ。

僕の授業ではそう言う勉強する事が解像度を上げ、それによる愉しみを伝えたいと思っている。間違っても僕が興味あることをトークショーの様に話しているわけではない。
たぶん違うと思う。
しないんじゃないかな?
ま、ちょっと覚悟はしておけ。

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