覚悟。
眉間に皺を寄せてパソコンの画面を凝視する。文章の終わりまで読んで、冒頭に戻ってまた読み始める。何度も何度も繰り返し。ときには頬杖をついて背筋を伸ばして、液晶に映し出される文字を追った。
読んでいるのは、写真家の幡野広志さんと糸井重里さんの対談連載「これからのぼくに、できること。」である。( 2017年12月、幡野さんは余命3年とされる末期ガンであることをご自身のブログで公表された )9月1日から連載がスタートして今日で4日目となった。
最初に連載を知ったとき、( 大袈裟な表現になることをお許しいただいた上で )目に見えない衝撃波に襲われた。これは読むのに覚悟を求められるぞ、そう思った。
そこから毎日欠かさず読んでいたけれど、ツイッターでつぶやくことはおろか、noteにも書くことができずにここまできた。( 同じタイミングで幡野さんの初の著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』 も読んでいたがこちらも同じだ )
今日もまた、ひとりじっくりと読んで、心の抽斗のなかに大切に収めようと思っていた。しかし、今回はそうもいかなかった。何かを書かねばならない。そのことがわかってしまったのだ、この一文で。
幡野 ぼくはぜんぜんでしたね。
もう、ばかの塊みたいな18歳ですし。
当時、カメラは触りはじめていて、
いまだったら病室の父親を
躊躇なく撮ると思うんですけど、それもできず。
カメラマンとして、
なんの覚悟もなかったですね。
ショックだった。
頭を上げて外の景気に目をやった。ことばにならない呆然。焦点が定まらないまま宙を見つめていた。気持ちの整理をつけることはできなかったが、落ち着きを取り戻したころ、画面に視線を戻して先を読み進めた。
そうして、今回の対談文章の終盤に差し掛かったころ、もうひと波やってきた。( 連載記事を引用させていただくことお許しいただきたい。ぜひ実際の対談文章をご覧ください )
糸井 いまぼくは、
どんなに文句を言われようと、
冷たい人間だと思われようと、
ノータッチラインを決めていますよ。
じぶんのやるべき仕事をやる、休む、遊ぶ。
それ以外は、しない。
幡野 大事なことですよね。
ぼくもいま、まわりの声を無視してでも
やりたいことだけをやって、
たのしいことだけを選んでいて。
そうすると、
最初はいろんな軋轢があって苦しいんですけど、
ぐるっと回って
人生がまたたのしくなってくるんです。
( 中略 )
糸井 ただ、そこの判断は本気で苦しまないとできない。
幡野 そうですね、簡単な話じゃないです。
今度は首を折り下を向いた。スターバックスの木の机を注視する。
ぼく自身の覚悟とノータッチライン。
別に机を見ていたのではなくて、目と机のあいだに存在する何かを見出そうとしていたのだろうと思う。そして当然の如く、これを書いているいまもその答えは見つかっていない。覚悟が決まり、ノータッチラインを明確にできたかというとそんなことはない。
しかし、この記事を読む前に比べて、じぶんがやることに対して腰が入った。それは確かなことだと言える。
ぜひとも、「これからのぼくに、できること。」を読んでみてほしいです。きっと、じぶんのなかで何かが動き出すと思います。
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