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価値ある写真。価値ある文章。

 写真家である幡野広志さんのnoteが公開されると僕はサポートをする。100円のときもあれば1,000円のときもありバラバラだ。とりわけここ最近は投稿を見逃さない限りそうすることにしている。僕にとってはそれが、うれしいお金の使い方だから、くらいのざっくりとした感覚でサポートをしていた。

 じゃあ一体、どうしてだろう?

 その答えらしきものが、つい先日大晦日の幡野さんの投稿でぼんやりと見えてきた。

 “今年のベストショット”ということで、これはその候補であろうか?、と思われる17枚の写真が並ぶ。さいごには自身のコメントとともにベストショットが貼り付けられていた。どんな写真かは、幡野さんの記事を読んでみてのおたのしみということで。

 17枚の写真、一枚いちまいをずっと見ていられる。あ、うそ、うそ。ずっとは言い過ぎたけれど、スッ、スッ、スッと一瞬でスクロールすることはなく、立ち止まってじっと見ていられる。そうしてしばらくのあいだ見入っていると、写真の向こう側とこちら側の境界線をこえてしまうことがある。向こう側に広がる風景の音や匂い、空気感をリアルが感じられるのだ。

 この「なんで写真を撮るんですか?」という記事なんかはもぅ、、ヤバい。( あえて僕なりの言語化は控えます、まずはひらいてみて欲しいです )

 幡野さんへのサポートの主な成分は、彼の活動への応援だと思っていた。がんを患いながらも、彼のなかにある何かを伝えよう、と動きつづける幡野さんへの応援の気持ちが大部分を占めていると思いこんでいた。

 しかし、である。何をいまさらなのだけれど、幡野さんの写真には“価値”がある。価値を受け取ったとき人は、自然に心が動くものだ。その気持ちをお金という形でいつでも自由にその相手に渡せるにしたnoteのサポート機能は素晴らしいと思う。そんな当たり前の事実に気がつきなおしたのが大晦日の日であった。

 じゃあ次は、その価値とはなんなのか?

 それを言語化するのは、( いまの ) 僕の役割ではない。それはこじつけようと思えば、なんとだって言えてしまうだろうが、だからこそ、ここで価値について言及するのはやめておこうと思うのだ。

 だってね、僕自身のこのブログだって、その価値というものを追求しているのだから。幡野さんは写真、僕は文章を中心として。だからこそ、価値を言葉で説明するでなく、そこに何かしらの価値が宿ったものを書こうと試み、実際に書きつづけるのだ。今日もまた。

【 おわりに 】
 今日も読みにきてくださり、ありがとうございました。
 今日も価値ある言葉に出会いました。さっそく心のなかで、練習をはじめています。あなたも、あなた自身や、身の回りの人にかけてあげてください。ぜひぜひ。


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