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【読書感想文】「データ立国論_宮田裕章」_その1_「綺麗事」が重要になる世界の到来

 いくら使っても減らないデータも、その価値を失うことがある。それは「信用」が失われた時。それを扱う企業やそれを扱う個人に対しても同じことが言えるのではないかと思う。

しかし、データ共鳴社会においては、「片一方で強欲に儲けても、もう片方で『善行』もアピールしておけば、プライスマイナスゼロになるだろう」というような考えでは企業は生き残れない。
なぜなら、その企業の他に「企業全体で『善行』に取り組んでいる企業」があったとき、信頼面で勝てないからです。信頼の差はデータの量、質の差を生み、その差がやがで必ず、貨幣価値的な側面にも現れる。
ー「データ立国論_宮田裕章」

大企業は「善行」をアピールが先行しすぎの感が否めないがし、その内容や行動も少しずつであるが伴っている。またそれが企業の業績につながる形で進めていくのだろうからまだ良しとして。

問題は、いまや周回遅れの日本人の個人がどう変化を遂げるべきなのか。
「表では「善行」をアピールして裏では何してるかわからない」といういう日本人の信用の差が、本当にここ何十年で貨幣価値的な側面にも現れているのは事実で、一人一人が何をすべきなのか、そこを考え、実践することを筆者は求めているのだと思う。

提言されている、データにより現在の格差や分断を乗り越えていく目指す社会の姿に希望を持ちつつも、残念ながら宮田さんの提言を理解できる日本人はまだまだ少なく理想の社会への道のりはまだ遠そうだとも思いました。


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