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お母さんという存在、お父さんという役割

昨日は妻の誕生日でした。
子供たちにとって、大切なお母さん。

今回は子供たちの視点も加味して、
敢えてプレートを妻の名前ではなく、
お母さんにさせてもらいました。

その存在はそれだけで、国民栄誉賞かと。

お母さん。

子供たちの人生において、
理屈では語れない、極めて先天的であり、
また主観的かつ生理的な存在であると思います。

絶対的不可分な絆で結ばれています。
神、もしくは大地というべきか。

どこまで行っても、
お母さんは、お母さんなんです。

まさに大地讃頌です。

私は男性なので、
あまり知ったような口はきけませんが、

お母さんにとっての子供の存在は
きっと、自分のこととの区別がつかないぐらいの
分身のような感覚に近い気がします。

だから、子供に怒るときも
常に演技ではなくて、本気度180%です!!
うちだけかも知れませんが。

仲裁に入ることもしばしば。

その態度がまたスカして見えるらしく
ムカつかれる原因にもなるのですが(笑)

対して、お父さんは、
子供たちにとって、
見て、聞いて学ぶ
師匠の役割があると思われます。

その存在というより、
役割を果たさないことには
存在に至らないと思います。

逆に言えば、
こちらの努力なしに
子供との関係性がな保たれるなどという
むしのいい話は無いわけです。

いくら父親ぶっても、
課せられた役割を行動で示す必要があります。
極めて後天的であり、客観的な存在です。

主観と客観、存在と役割の
バランスが家族において、
非常に重要な気がします。

夫婦であるということ、
また子供の親であるということ、

どちらにおいても言えますが、

「こうして欲しい、こうなるべき」

ではなく、

「こうなると、もっと素敵だなあ」

という、

客観的な視点をもって、
お父さんがアドバイスしてあげられる。
それが、私の理想です。

出来ているかどうかは別ですが(笑)

皆様のご家庭は如何なものでしょうか。

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