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ニューヨークにサヨナラをする

15年以上住み続けているここニューヨーク。

私をよく知る複数の知人や友人達は今まで
『ニューヨークの人だよね。人柄や考え方が。逆に言えば他に住めないっていうか..。』
と口を揃えて私に伝えて来ました。

私もそれなりにバラエティーに溢れたこの場所になんとなく馴染んでいる気でいました。

その一方で、去年3月からのコロナ騒ぎでこの街の姿は全く違う姿に変化を遂げていったように私の心には映し出されています。

ここニューヨークからはエンターテイメントが消え、観光の産業が衰退し、食事やお酒を楽しむ飲食産業がこの10か月という時間の中で少しづつバタバタと倒れていきました。
実際、今現在ここニューヨークの個人ビジネスの60%が潰れてしまったと言われています。
おそらくこの先もこの数字は大きくなっていく事でしょう。

なんせ、ほぼロックダウンに近い状態が10か月続いているのです。
私の住むエリアの仲良しご家族の2ファミリーはすでに去年、他州へ引っ越していきました。

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そんな状況の中でも、私は近所の人たちや身近な人たちとはいつでも言葉や挨拶を交わし、できるだけ良い人間関係や環境をいつの間ににか作り上げていました。
それは本当に大切なことだと今でも実感していますし、その人たちとの関係がないと、私はずいぶん前にこの街を離れていたと思います。


ただ、数ヶ月前からここで暮らしながら直接肌で感じるのは、自分ではどうする事も出来ない『治安の悪さ』です。

暗くなってゴミ捨て場に家庭ゴミを出すことも、一度危ない目に遭ってしまい、出来なくなりました。
ゴミ捨てを終えてうちに帰ろうと歩いている途中に、急にフードを被った大柄の男性がワァーと大声で叫び私を壁に追い込もうとしてきました。
その人が両手を広げている瞬間、その人の脇の下の隙間を全力ダッシュで走ってくぐりり抜けました。
うちに帰った途端すぐにドアをロックし、とっさに息子と犬と猫の寝顔を確認したのを今でも鮮明に覚えています。
(もし自分がこの部屋に無事にたどり着けなかったら、この子達はどうなってしまうんだろうか..?)
そんな思いが本能的に私の中をくぐりぬけていきました。

銀行のATMマシーンでキャッシュを下ろす事も、いつも不審な人がたむろっていて複数箇所の銀行を半日回ってもできない日があります。
3歳になったばかりの息子を連れている時は少しでも危ないと思う場所には近づきません。
何か起こってしまった時ではもう遅いですし、私が子供を守りながら育てていかなければいけないという反射神経のようなものが働いてしまいます。

“Black Lives Matter” の抗議が盛んな時期もとても危険でした。
私はここニューヨークに15年以上住んでいて、人種の問題にはいろんな歴史や事実が絡んでいて、そんなに単純なものではなく、法律やルールーができたからといって綺麗さっぱり解決できるという事ではないということは分かっているつもりです。

だけれども、私の意見は『この世に正義の暴力は存在しない』という事です。
どんな志があっても、何も関係の無い人が被害に遭い、傷ついた時点でそれはもう正義ではなくなるのです。

うちの近所の住人の車が破壊されることもしょっちゅうでした。
その車の持ち主が、白人であろうが、黒人であろうが、アジア人であろうが関係ないのです。

私が住むアパートの近くに有るビール問屋のトラックの窓ガラスやバックミラーがズタズタに壊されていたことがありました。
ちなみにそこのビール問屋のスタッフたちは、南米系、アフリカンアメリカン(黒人)、ギリシャ系の白人なので、人種問題の怒りの的となる必要は全くないと私個人では思っています。
暴れている人たちにとってはそんなこと知ったことじゃないのでしょう。

一番ひどい時期は、大統領選挙の結果が出る日でした。

反トランプの人たちがトランプ大統領が勝利を収めた時は暴れまくれるように街中を棒のようなもを持って歩き回っていました。
バイクに乗ってバイクをふかしまくっている人も複数いました。

その時、私は生活用品を買いにとあるお店に入っていましたが、暴れる気満々の男性二人がお店の中に入ってきては奇声をあげ、売り物のクッションやぬいぐるみを店内でバンバン投げまくっていました。
出入り口に立っていた警備員さんは自分の身の危険を感じたのか、見て見ぬ振りをしていました。
店内にいた赤ちゃんを連れていた方の赤ちゃんにその投げていたぬいぐるみが当たった瞬間、その方は店から走って逃げ出していきました。
そして、そのお店のスーパーバイザーのおばさんが出てきてその二人を怒鳴りつけ、
『警察呼ぶわよ!出て行きなさい!』
と言いながら何もしない警備員のおじさんを怒鳴りつけていました。
それでもその二人は
『証拠がないのに追い出すのか?証拠を見せろ!俺たちが黒人だからか?差別してるのか?』と大声をあげていました。
そのあと、警備員さんがその二人を外まで連れて行ったのです。
ここで言っておきたいのは、スーパーバイザーのおばさんは南米系移民の方でしたし、警備員の方はアフリカンアメリカン(黒人)の方でした。
白人だらけのお店ではありません。

物事の本質がボロボロに崩れ落ちているようなことが毎日のように身近に起こっています。

(ワクチンが普及しようが、感染者の数が減ろうが大統領が誰になろうが、この街が元に戻るのは不可能だな…。)と私は毎日少しづつ感じていました。
『新型コロナ』とは全く関係ない、犯罪や暴力といった人の欲望がこの町には今溢れ出してしまった。

たとえRE-OPENが始まったとしてもまず、飲食業やエンターテイメント業界の人たちはもう、仕事がないのです。
勤務先が潰れていたり、雇用主がロックダウン前にいた全ての人を雇える余裕がないのです。

ニューヨーク州がこの状況でどこまでニューヨーカーに失業保険を支払い続けれるのかも分かりません。

2月に入ってすぐ、私は息子と犬と猫を息子の父親に託して、二泊三日でフロリダ州のタンパというエリアに家を探しに行きました。
フロリダ州は、ロックダウンをせず、マスクの着用義務も任意、子供達の学童は一切閉鎖をしないという政策で感染者の数を劇的に下げた州です。
今、ここニューヨークからたくさんの人がフロリダ州へ移住しています。

タンパの空港に降りてすぐに、今まで住んでいたニューヨークとの環境の差に少し戸惑い、慣れるまで時間が掛かる自分に気付きました。
空港の飲食店は全てオープンしていて明るかった。
スーパーボウルの決勝戦にタンパのチームが出場するとあって沢山の地元の方達が、赤いユニフォームを着て、私たちが到着するゲートで『Welcome to TAMPA!!』と拍手で出迎えて歓迎してくれました。
ニューヨーク市内と比べて、普通に生活している地元の人たちの表情も全く違うのがすぐに感じ取れました。

フライトの前にあらかじめエリアをリサーチして絞っておいて、着いてすぐにオンラインで載っていた物件を見るためにコンタクトをとりました。
そのエリアに到着してすぐ、私は子供の学校の場所、公共交通機関の利用、スーパーマッケットの環境などを自分なりに見て回り、ホテルのスタッフ、Uberのドライバー、スーパーの店員さんなどとできるだけたくさん話をしました。

オンラインで探した物件の見物は滞在期間が短すぎて叶わなかったので、ホテルの真向かいにあった不動産屋さんとコンタクトを取り、私がニューヨークに帰ってからも私の条件にあった物件のリストを送り続けてもらいました。

そして、先週ようやく家の契約までたどり着きました。

来週の週末には息子、犬、猫を連れて車で二泊三日をかけ、車でここニューヨークからタンパまで引越しをすることになりました。

この決断が後から振り返れば、良かったものになるのか、悪かったことになるのかは分かりません。
少し急ぎすぎたんじゃないのかと感じることも正直あります。
長年、毎朝、私たち親子と犬に優しく声をかけてくれるご近所の人たち、仲良しのご家族とさよならをするのは本当に寂しいです。

だけれども、今の私にとっては子供と安全な場所で毎日を過ごすことが何よりも大切なことなのです。
引越しが決まってからは、毎日の育児とともに荷造り、電気ガスやネットの光熱費や保険の切り替えなどに目まぐるしく追われています。
あちらに到着してすぐに、ドライビングスクールにも通わなければいけません。
本当に毎日がドタバタです。

そんな慌ただしい毎日の中、しっかり今の自分を記しておこうと眠い目を擦りながら、私は今の自分を綴っています。

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