思考アトランダム 2月

気が付けば、暦は2月に移り変わっていた。

1月は、序盤は心穏やかに正月気分をのんびり過ごせたが、中盤から後半にかけては時間感覚という物は存在しなかった。「親を見送る」という一大イベント。「1人の人間が亡くなる」という非日常に、悲しんでる暇もなく葬儀の準備、後の手続きに振り回され、ようやく一段落して今度は「もういない」という現実に向き合いながら日常を生きなければならない。時間を味わう・愛でるなんて余裕を持てなかった。今は、有り余る悲しみが時間をかけてゆっくりと蒸発してゆくのと、穏やかで色々と動きやすくなる暖かい春の気候がやって来るのをじっと待つ日々を生きている。今までの人生で、ここまで春が待ち遠しかった事はなかったかもしれない。

そんな日々の中でも生きていると、考える事感じる事は湧いてくる。前回のnote同様に、長すぎず短すぎない程度にアトランダムに書き記してゆく。


推し

自分の肌感覚でいうと、この1年程度で、この言葉の世間への浸透度は急激に飛躍したように思う。オタク同士で通じるスラングだった「推し」が、今や天下の芥川賞作品のタイトルに当たり前のように入り、NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』では特別編として『となりのプロフェッショナル~推し活の流儀~』が放送されるなど、その言葉の響きと意味は、もう完全に日常言語化している。

先日放送された『となりのプロフェッショナル~推し活の流儀~』が実に結構だった。業界のプロフェッショナルにスポットを当てる通常回と違い、市井の人々の、自分の好きな事に情熱を注ぐ活動「推し活」をテーマに、その様を淡々と紡いでゆく。アイドルから芸人、アニメまで、その「狂気」とも言える尋常じゃない熱量と純粋すぎる愛情が、可笑しくて、いじらしくて、何よりも共感の気持ちが終始止まらなかった。そして同時に、自分の趣味嗜好に対する冷淡さも改めて認識した。

昔からこうした趣味嗜好には常にどこか冷めた目線を持っている。自分は芸人オタクで、確かに贔屓はある一定数いるにはいるが、人生を、全血を注ぐような「推し」は存在しない。というよりも、作らないようにしている。選り好みせず、満遍なく見ていった方が、その分選択肢も、感じられる範囲も広く、多くなって楽しいというのが理由である。

行きたかったライブなどが諸々の都合により行けなくなった、中止になったとしても、一切ショックを引きずらない。「されど芸、たかが芸」だと常に思っているから、「自分は、この芸に縁が無かったんだ」とあっさり諦められる。

「課金」や「遠征」も、よっぽどの事がない限りはしない。「課金・遠征をしなければファンじゃない」「これを見なければファンじゃない」などと、「ファンとはこういう物だ」とご丁寧に思想を押し付ける人間もいるが、どの立場から口を出しているのかと不思議に思えてならない。大きなお世話である。

周りに言われたり合わせるのではなく、推したい時に自分が楽しめる範囲で推して、心を豊かに保つ。「推し」とは、そういう物だ。


父の認めた芸

身近な人との思い出を思い返してみると、大きなイベントの時よりも、本当に何気ない日常の一遍の方が強く焼き付いている。

高校生の頃。通学に長時間がかかるのもあって、部活動には入らず、学校が終われば、どこにも寄る事なく真っ直ぐ帰る日常を過ごしていた。帰ると、そのままテレビをつけて、録画していたバラエティやネタ番組をひたすら消化したり、見直していたりしていた。友達とどこかへ寄り道して遊ぶより、この時間が当時の自分にとって、何よりも尊い時間だった。

その日は深夜にやっていた「R-1ぐらんぷり」の後夜祭的な特番の録画を見ていた。企画を挟みながら、ファイナリストだけでなく、数名のセミファイナリスト達のネタも流す構成。自分が家の大きなテレビでその録画を見ていて、夜勤明けで家にいた父は、その光景にたまに目を向けはするが、基本的には目もくれず新聞を読んだり寝ていたりと、一緒の空間の中で各々の時間を勝手に過ごすというのが、我が家の日常だった。

ある芸人のネタの順番になった。モノマネをベースにしたネタだったが、モノマネの題材が絶妙にマニアックで、モノマネというよりも濃ゆいキャラクターコントの趣きがあった。粗さと濃ゆさが目を引く芸に、当時の自分は笑いはしたものの、そこまでハマるという事はなかった。しかし、そのネタを珍しく一緒に見ていた父がポツリと言った。

「こいつ面白いな。売れるぞきっと。」

驚いた。普段殆ど笑わず、テレビや芸人の事なんて全く触れない父がそんな事を口走るなんて夢にも思わなかった。その芸人がネタをやっている時も全く笑っていなかったから、余計に驚いた。それ以降も何組もの芸が流れたが、父が再びコメントする事はなかった。

翌年、その芸人なだぎ武は、そのネタ「ディラン・マッケイ」で、見事ピン芸人日本一の栄冠を手に入れた。その後も独自の活躍を展開し、「売れる」という事を見事に体現していった。

まだ何者でもなかった彼の芸に、父は何か感じる物があったんだろうか。理由は聞きそびれた。

この一件以来、「なだぎ武」の名前を見かけると、「おっ」と心をどこかワクワクさせている自分がいる。


快楽亭の「鰍沢」

「鰍沢」という落語が、好きだ。

いわゆる「古典落語」にカテゴライズされる噺だが、笑える噺ではない。というか、笑える所は1つも無い。「笑わせる」というよりも、演者の話芸の力量を愉しむための、いわゆる「聞かせる」噺に位置づけられる。

名演と言われるのが、六代目三遊亭圓生と八代目林家正蔵の双璧である。「ドラマ」として聞かせるのは圓生師で、「サスペンス」として聞かせるのは正蔵師というイメージが、ファンの通例となっている。登場人物の気を汲み取って語りに反映させる圓生師のも良いし、終始不気味でおどろおどろしい空気が流れる正蔵師のも惹かれる魅力がある。

自分が一番好きなのは、十代目金原亭馬生師の「鰍沢」である。圓生師・正蔵師を聞いていた上で、大学生の時分に映画館で見た「落語研究会・昭和の名人シリーズ」でたまたま聞く機会に巡り会えたが、衝撃を受けた。馬生師ならではの華やかで淡々とした語り口。それでいて、登場人物に対する冷淡なアプローチが静かに物語の緊迫感をじわじわと高めてゆく。「この噺って、こんなに怖くて、こんなにドキドキしたっけ?」と、馬生師の作り上げた世界観に酔い痴れた。

最近これに迫る名演に巡り会える事ができた。快楽亭ブラック師である。その凄まじい芸風からゲテモノ扱いをされてしまいがちだが、本気で古典を語る快楽亭は、抜群に巧い。本当に巧い。

マクラに日蓮宗の開祖である日蓮上人の一代記。そこへ快楽亭ならではのキレッキレなギャグを挟みつつ本題へ。本題に入ってからは余計なギャグが一切入らない本寸法。人物造形が現代的で古臭さを感じない。そして、後半から終盤にかけての畳み掛けるような鬼気迫る描写の緊迫感に鳥肌が立った。

去年末に行った「毒演会」での物販で、この「鰍沢」が収録されているCDを見かけた刹那、「買わない」という選択肢は抹消された。快楽亭ブラックという芸人の実力と本気が「鰍沢」を通じてひしひしと伝わってきた。ますます快楽亭の芸が好きになった。

いつか眼前で、快楽亭の「鰍沢」が聞いてみたい。こればかりは、運を天に任せる事しかできないが、今の目標の1つである。


「日記」が嫌い

題だけ見ると語弊があるので付け加えると、「(他人の書いた日記を読むのは好きだが)「日記」(を自分で書く事)が嫌い」である。

他人や第三者が書く日記やブログを読むのは昔から好きだ。その人のどういうリズムで日々暮らし、どういう事を考えて生きているのかが垣間見えてくる感じが、自分にはない日常へ旅行するような気分になる。随筆やコラムにも同じ事が言える。ここ最近、不思議と読書量が20代の時よりも増えたが、小説よりも日記や随筆を読む事の方が多い。

小学生の時分、夏休み期間中は必ず日記をつけるというのが宿題の1つだった。嫌で嫌で仕方がなかった。何か大きなイベントがあれば別だが、基本毎日を淡々と過ごす中で、書けるような話題がいつも出てくるわけもないので、毎日話題を捻出して文章として表現しなければならないという行為が苦痛で仕方がなかった。しかも、どういうわけか夏休み明け後、提出した日記は一定期間展示され、不特定多数から読まれる事になっていた。無理矢理捻出した納得が全くいっていない文章を不特定多数に読まれる事が、とにかく恥ずかしかった。

あれから20年以上経って、趣味と言う形でこうしてnoteで自分の日常の出来事、思考を書いている。「毎日書かなければならない」という日記ならではの強制力や使命感が無い、「書きたい時に書く」というスタンスが、自分にはとても居心地がいい。




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