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学校に馴染めなかった女の子の半生

小学生のとき、毎朝一緒に通学していた友達が「友達ランキング1位はAちゃん、2位はBちゃん、3位はK子ちゃん」と言い、自分が1位ではないことと、友達というものにランキングをつけられたこととにショックを受けたわたしは、学校に行くことが嫌になった。そして行かなくなった。そのあと優しい校長先生のサポートもありわたしは学校に復帰したが、それ以来友達関係には敏感になってしまった。

中学2年生の時、今度は半年間学校に行かなかった。それも友達関係のこじれが原因だった。その間は親に言われて適応指導教室に通っていた。周りもみんな心の痛みを知っていたし、勉強も遊びもできたし、カウンセラーさんは優しかったし、わたしは満足だった。しかし、その時にある人に言われた「あんたは(中学校に通えてないんだから)普通に生きられてない」という言葉は、今思い出しても辛い。その人に、学校に行けない自分を受け入れてもらえなかったことが悲しかった。親は、わたしを評判のいい心療内科に何度も連れて行った。その時つけられた病名は忘れた。3年生になったら学校に戻るべきなのかと親が医師に聞くと、「今いる教室で自分から友達を作って楽しく過ごせているなら、そこがK子さんには一番いい場所ですよ」と言われた。

しかし、結局、3年生になってわたしは中学校に復帰した。新しいクラスがとても良い雰囲気だったのだ。部活も全力でやった。修学旅行は楽しかった。親友もできた。親は大喜びだった。三者懇談会で「この子が学校にまた行くようになってくれて……」と泣かれた。その時の担任の先生と保健室の先生はとても優しくて、わたしのことをたくさんサポートしてくれた。学校に行かなかったことで下がった内申点が不安だったが、第一志望の公立高校に合格した。

高校生になり、わたしは電車通学をすることになった。母は「半年分の定期券買ってあんたがまた不登校になったらもったいないから、3ヶ月のにしとくよ」と言って、わたしに人生初の定期券を渡した。冗談かなんだか知らないが、なぜかその言葉に特にショックは受けなかった。

そして、母の予想は的中する。長期的に休んだわけではなかったが、週5日毎日出席することは稀で、休んだり早退したり遅刻したりを繰り返していた。しかし、担任の先生はそんなわたしを受け入れてくれ、「K子ちゃんは頑張りすぎ」と優しく宥めてくれた。ちなみに、わたしがまた学校に行きたくなくなったのは友人関係のこじれではなく、朝から夕方まで一部屋に40人がいる閉塞感がしんどかったから。ワガママなことだと思われるかもしれないが、どうしても無理だった。

ある朝、最寄り駅でわざと電車を逃してアイスを食べた。その頃になると、学校に毎日行けない自分よりも、毎日学校に行くみんなのことが不思議だった。なんでみんなは普通に学校行けるの?と、悩んだ。これの答えはいまだにわからない。多分、一生わからないだろうけど。

あとは、学校のこと以外にも問題があり心は基本壊れていた。親と大喧嘩することも多かった。死にたかったし、死のうとした。死ななかったけど。怖くて死ねなかったが正しいかな。まあ良いや。他にも大変だったことはたくさんある。例えば、自分の顔に少しでも異変があることが怖くて、授業中は電子辞書の画面を鏡代わりにして常に自分を見ていた。メイクが取れていたら、それだけで泣きそうになっていた。3年生の時は事あるごとに過呼吸を起こしていた。

学校に行かないことで、元々苦手だった数学の成績はどんどん下がった。数学担当の先生には真剣に心配されていた。そして、学校の勉強自体もやらなくなり、定期テストは微妙な点数を取り続けていた。しかしながら、英検を受けたり、作文などで賞を取ったりしていたりしていたので、それについて親に咎められることはなかった。諦められてたのかな。まあ、成績は悪かったが、好奇心は旺盛だった。自由にプレゼンテーションをする授業でのわたしはめちゃくちゃ輝いてたと思う。自分が興味を持って調べたことをみんなに聞いてもらえるなんて!って。ファストファッションと環境問題についてとか、VOGUE誌についてとか、そんなことを発表してたっけ。とにかく、学校に行けないわたしを自由にさせてくれた親には本当に感謝している。大好きな先生は卒業式の日「K子ちゃんは羽ばたいていける人になると思う」と言ってくれた。

そして、その後わたしは大学に進んだ。合格後も色々問題はあったが、大学自体は嫌になることなく通っている。わたしが今ここでやっていけてるのは、大学は授業によってメンバーが変わることと(閉塞感がない)、自主性が高いことと、サークル選びに大成功して優しい人たちに囲まれているからなのだと思う。あとは、色んなことにチャレンジするようになり、自分の良いところにも気がつけた。元々旺盛な好奇心のおかげで良くも悪くも経験を積んだ。しかし、心が弱いのは相変わらずで、カウンセリングは今もたまに受けている。

わたしはこれからも微妙な生き辛さと恐ろしいほど脆い心を持ち合わせて過ごしていくのだろう。未来には不安が多い。しかし、人生に絶望していた毎日から、生きていて楽しいと実感する日々まできた自分のことが嬉しいし、これからも生きていたい。心に余裕ができて、ようやくわたしは周りの人に感謝することができるようにもなった。周りの人のサポートがなければ、今のわたしはいない。そして今は、自分のような子どもを助けられるような人間になりたくて模索中である。

適応指導教室と大学で気づいたことは、生きやすさはかなり環境に左右されるということ。誰にでも、きっとどこかに落ち着ける場所がある。見つからないなら、わたしが作りたいーーと言うのは大きすぎる夢だろうか。

これが、学校に馴染めなかった女の子の半生。半生という言葉を使うには短い期間かもしれないが、10歳から20歳の成長は大きいので。以上。

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