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100年前の死者と視線が合う瞬間②-ピアニスト久野久の軌跡から考えたこと-

 

 前回からの続き。
久野久の生涯は中村紘子著「ピアニストという蛮族がいる」を読めば、その一生の概要はつかめる。これを基にして彼女の身に起こったことを箇条書きにすると以下の通りである。

①2歳の頃に女中の不注意で神社の石段から落ちて片足に一生の障害が残る。
②一家離散。
③頼れる実家もなくなり嫁ぐことも難しいため、手に職をつける目的で東京音楽学校の西洋音楽科に入学する。
④ピアノを弾く素質が無いという理由で教授陣に呼び出され退学を勧められる。
⑤猛訓練を重ねて頭角を表し、やがてベートーヴェン弾きとしてリサイタルで人気を博す。職業ピアニストの傍ら、東京音楽学校に助教として勤務する。
⑥ピアニストとして絶頂期のときに車の轢き逃げ事故に遭い、重体となり長期入院する。
⑦退院後、復帰のリサイタルで成功を収める。
⑧西洋音楽の本場の欧州へ演奏旅行に出掛ける。
⑨現地で演奏を聴いて感銘を受けた有名ピアニストに演奏を聴いてもらうも、奏法からやり直しを言い渡される。これに絶望して滞在先のホテルから投身自殺をする。

久の奏法や音楽性に関する当時の批評を追えるものは少なく、世界的ピアニストである中村紘子が著書のなかにまとめたきりのようである。(私が見た番組もこれを基に制作されている。)

久のキャラクターをカバーする資料としては、実際に久のレッスンを受けた少女達の手記が残されている。それも面白いことに、少女たちはやがてそれぞれに小説家、随筆家となり自身の作中に当時の記憶を基にした記述を残しているので、久野久の人格や演奏の様子を追うことができる。

少女達の名前は宮本百合子と森茉莉。
宮本百合子は後に小説家、森茉莉は森鴎外の娘であり随筆家になる。(このとき幼児であった森茉莉は久との対面を「子供の頃のある恐ろしい記憶」としてエッセイの中で振り返るのみで、実際にレッスンに通うことはなかった。)

彼女たちの少女時代の記憶をもとに残された久の描写は、少ない文章でも臨場感がある。とくに宮本百合子は長期的な親交があり、著作「道標」の作中では久を模したピアニストを登場させている。作中のピアニストの来歴と世間からの評価、最期に至るまでの描写は現実の久の生涯と酷似しているから、聴衆を熱狂させたリアルな久野久を知ることのできる唯一の本と言ってもいい。自身も遊学経験のある宮本百合子は久を模したピアニストの不器用な生き方に対して批判的な視点で描いている。(気になる場合はご一読ください。「道標」は上中下巻と3部に分かれているので、件の描写は中巻に集中して書かれています。)

 これらの資料中の描写が久野久のすべてなのだとしたら、彼女の物腰は洗練されておらず、運命はどこまでも容赦なく壮絶である。せめてピアノを弾くこと以外の他の幸せ、例えば衣食住を楽しんだり、友達や恋人と過ごしたり、何かを可愛がったり、そういった、生活をする上での遊びみたいなものが本当に少しも存在しなかったのだろうか。この人はピアノ以外は何も無くて構わなかったのだろうか。と思わずにはいられない。

 一連の資料に目を通した私は、帰る場所のない者が背水の陣で挑んでいるような一心不乱に生きる、ピアノを弾いている久の描写に慄いた。嫌悪と憐憫と憧れがないまぜになった気持ち。でも本当に一言、平たくいうと、かなり引いた。
激しい弾き方だったと伝えられているが、これが本当ならちょっと信じられないくらい過激なパフォーマンスである。激しい演奏のため次第に束髪や着物の帯がゆるゆると解け、頭に挿した櫛が吹っ飛んでいく有様で、指先から出血して鍵盤に血痕が残るなんて、恐ろしすぎない?何かのホラーショーかしら。
(しかもこれが聴衆にとっての見どころのひとつとして、どこかエロティックな要素を感じさせるものとして受け入れられていた側面があることにも酔狂の極みというか、娯楽が限られていた明治大正文化の仄暗さを感じる。)

演奏中に飛んでしまうような櫛なら初めから挿すのをやめたらいかがか、というようなことを宮本百合子が作中の中で批評していたが、同感である。もしこれが自己プロデュースの一環のパフォーマンスだったとしても、自己陶酔が滲んでいて辟易する。叶うものなら、久野久本人にその心を聞いてみたい。


 どうしても激しいこの人について考えることのひとつとして、もし自分がこの場に同席していたらどうするか。がある。私はとりあえず、久の指先の皮膚が乾燥で割れる前に彼女を鍵盤の前から引き剥がし、その指にワセリンを大量に塗り込み、皮膚がひび割れて出血しないように保湿する。そして冬ならバンホーテンのココア、夏ならコカコーラを飲ませて欧米の美味を味わい、留学することを決めた時点で、一緒にテーブルマナーと英会話のレッスンに行こうと誘う。これらは留学先の欧米文化に馴染めずいつまでも浮いた存在だったとされる久への応急処置としてできそうなことを並べているだけだが、それでも留学先に対する敬意を表す形式が付け焼き刃でも備わっていれば現地で恥をかくことも敬遠されることも少しは抑えられたのではないだろうか。芸事に一途なだけじゃ駄目なんだ。久の人生を見て切に思う。

 狂気的なストイシズムと負わされた障害。皮肉なことに、才能に悲運が加わると、見る側は勝手にその物語を読み解こうとする。才能という持てるものと運の無さという持たざるもののアンバランスさは一体何を構築するのか。好奇と期待と憐憫と応援がないまぜになって、その行く末が知りたくなるのだろう。消費されるコンテンツとしては最強である。
と、昔の私ならきっとそう思っていた。でも、いまはバランスを欠くが故の天才性というものは前時代の幻で、いまはすべてを手にしてもなお枯渇しない煌めきが本物の才能とでもいうような、そんな時代の気風を感じている。

 不思議なもので、この人は既に100年前に死んでいるのに、いま問うてみたいことがあとからあとから湧いてくる。当然、答えてはくれない。
けれど、行く先々で彼女の存在を感じることがいっときあった。
次回はそんな偶然とも呼べるし思い込みとも呼べる話を。

続く。


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