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100年前の死者と視線が合う瞬間③-久野久の視線-

 引き続き久野久について。
日本の西洋音楽の黎明期を生きたこの苛烈なピアニストのことをもっとよく知りたいと思うと同時に、描いてみたいけれど描きたくない人でもある。恐ろしいけれど近づいてみたいという両価感情を私に芽生えさせるこの人に肉薄するには資料も勇気も足りていない。そう言い訳をしたまま、私の脳裏に浮上してから1年半近くの月日が経とうとしている。

 本当のことを言うと、私は小学校低学年の頃からすでに久野久のことを知っていた。「100年前の死者と視線が合う瞬間①-泡沫のように消えた目明治生まれのピアニストについて」で言及した、彼女の生涯を特集したTV番組をリアルタイムで見ていたからだ。


おぼろげながらその時のことを覚えている。幼い私は、私立音大のピアノ専攻出身の母に「この人、知ってる?」と聞いた。母は、「(質問の答えは覚えていない。)何だか不気味ね。チャンネルを変えて頂戴。」と言ったので番組を変えた。だからyoutubeで流れてくるまでは記憶の底に埋没されていたけれど、再見したら思い出したのである。着物姿でピアノを弾く、足の不自由なこのピアニストのことを。

 それから今更ながら、自分が現在いる場所が、当時の久野久も確実に居たエリアであることに気づいた。一時期とはいえ同じ学校に在籍していたから生活圏はほぼ同じになるため当然といえば当然なのだけれど、それにしても行く先々で彼女に関連するものが目につくようになった。
おそらく通学路は5分の1の確率でそっくり同じだったろうし、生前の久野久と親交が深く、彼女の亡き後、その墓に彫刻した朝倉文夫の記念館は私が借りていた家から徒歩5分のところにあった。そのことは私に久野久に包囲されているような錯覚に陥らせた。

 2022年の4月、雨が降ってきたので雨宿りのつもりで何気なく入った場所が、在りし日に久野久が演奏した旧音楽学校奏楽堂だった。何度もこの建物の前を往復していたけれど、開館していて人が入れることはこの日に初めて知った。
1階は旧音楽学校の成り立ちや設備に関する展示品が並び、そこには教員として勤めていた久の、正面を向いた写真があった。細面で、すこし下がり気味の優しい眉と薄い唇がたおやかな印象の、美しい人だった。(宮本百合子著「道標」では、久をモデルとしたピアニストの楚々とした美貌を目当てにリサイタルに足を運ぶ聴衆を描写してもいる。)
真っ直ぐにカメラを見る、黒目がちの丸い瞳。長いことその目を見られなかった。いつも写真の中の久野久と視線を交わすことに抵抗を感じる。

2階にはリサイタルが行われていた大ホールがあった。木造のこぢんまりとした舞台と、臙脂色のビロードの椅子が整然と並んでいる。その座席には、東京音楽学校出身の音楽家たち一人一人が印刷された紙がまばらに貼られている(いまは亡き音楽家たちが一斉に舞台の上を見つめているような演出で、キューブリックの「シャイニング」のホテルの住人を彷彿とさせた)。
すでに夕方だったのでホールは薄暗くて、埃の匂いがするようなうら寂しい空間に感じた。

 これらの一連のシンクロニシティは思い込みということにしておきたかった。
ある事柄へのアンテナを張っていると、それに関する情報をキャッチしやすくなるあの現象ではあるけれど、ここまで自分が久の生活圏内に入り込んでいることを自覚するとさすがに気になってくる。この道は久も人力車で通っていたのでは?とか思ったりした。まんじりとしない心地を誰かに聞いてもらいたかった。

そういう気持ちのときのある日。しばらく会えていなかったアーティストの友人に夜道で遭遇した。(眠気覚ましに、と、塗ると痛い薄荷の香油をくれた友人である。この日の彼女は台東区中の変人が集まる(趣は大変ある)古民家カフェでの撮影に被写体としてそこにいて、夜道を歩く私をカフェの2階から見つけて呼び止めてくれた。私たちの会い方はいつもSF少し不思議で、特別会う約束をしなくても必要なときに会えている。こういう関係性だから、友人には突拍子のない話でも安心してすんなりと話すことができるのかもしれない。)

夕食をともにしながら、かくかくしかじか、9割思い込みだろうけど1割そうでない気もするんだけどどう思う?と聞くと、友人は、

「麻緒が向こうを見ているってことは、向こうも麻緒のことを見ているよ。」と言った。相変わらずこわいことを言う。でもきっと、やっぱり、そうなんだろう。

 久野久は私にとって、だいぶ前から知ってはいたけれど忘れ去っていた人だった。ずいぶん時が経ってから、以前よりも肉付けされた姿で会えたから気になりはじめたということは自分でもわかっている。その肉は、芸術の道にいる上で味わう高揚や悲観である。私も芸事に関する経験的実感が多少は身についたから、久の期待や絶望を幼い頃よりもリアルに捉えることができる。だから余計に、ブレーキが欠如しているような、極端な行動と決断をした彼女に深入りすることに躊躇いを感じている。

 
 次回はKing Gnuのライブで最高に気持ちが良いパフォーマンスを享受して興奮に満ち満ちた素晴らしい時間を過ごしたのに、Gnuの音楽の輝きによってもたらされる幸せや快感を強く感じれば感じるほど、自分で自分を終わらせた久野久への悔しさが溢れて号泣した話をする。その話で久についてのメモを区切りとする。


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