AI時代の泳ぎ方㉑ 書籍が売れない真因について
今回は閑話休題です。
経済産業省が設置した大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」の企画、第2回「車座ヒアリング」が6月12日、東京都千代田区の日本出版販売で開かれました。
以下は、読売オンラインの記事抜粋。
「斎藤経産相と、外遊の際に海外の書店をよく訪ねる上川外相、盛山文部科学相の3大臣が参加。先進的な書店からの報告を受け、減少を続ける街の書店への思いや課題を語り合った。」
「直木賞作家で、書店経営者でもある今村翔吾さんは、「書店が戻ってきたときに若者が一番喜んでくれた」と、高齢者だけでなく若い世代の間にも書店を求める声が大きいことを指摘。「次世代に書店を残すため出版界全体が変わらないといけない」と述べた。」
「このプロジェクトは、経産省が今年3月に発足させた。11日に示された政府の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」の原案には、書籍を含む文字・活字文化の振興や書店の活性化が盛り込まれた。」
というものです。
そもそも、本が売れない、故に本屋が潰れるという事象は、今に始まったことではなく、ここ30年近く続いている長期トレンドです。
このテーマに関しては、私も長年考えてきた経緯があります。
なので、今回は「なぜ、書籍を含む文字・活字文化が振るわないのか」に関する私の見立てを述べたいと思います。
本が売れないのは長期トレンド。っていうことは、時代の潮流がそうさせている。つまり、大きな構造的理由があるからですね。
それは何でしょう?
私は、そこには大きく2つの理由が存在すると考えます。
その1.書籍はタイパが悪い
今風の言い方で言えば、まず、「書籍はタイパが悪い」ということです。
(タイパの意味は皆さんご存知だと思いますが、一応、タイム・パフォーマンスのことです)
1冊の書籍を買って読む。私はこの行為自体にかなりの決断が要ります。
その心の中は、「この価格だけの価値があるだろうか?」というコスパ懸念もさることながら、
「果たして読み通せる時間が取れるだろうか?」、「途中で飽きないか?」、「時間をかけて読んで得られる満足感は、他の事をしている満足感を上回るだろうか?」などなど。
こんな心境になるのは、それだけ時代が人々に求める情報処理速度が増しているからでしょう。
事実、私たちはネット情報は、ネットサーフィンと言われるように、スクロール型でどんどん見捨てていくし、TVだってザッピングは今や当たり前です。
そんな中、200~300頁以上ある活字で埋められた頁を読み終えないと伝わらない書籍は、タイパが悪いと言わざるを得ません。
その2.文章の難易度が高い
もう一つの決定的な理由が、「文章で伝える」という手段そのものがそもそも難しいということです。
もちろん、人類はコトバを発明し、それを文章に落とし込むことで様々な知恵を伝承し、発展してきたわけです。その意味で書籍の貢献度は凄まじいものがあります。
ですが、それをこなしてきたのは、実は一部の人間という冷徹な事実もあります。
新井紀子さん著「教科書を読めない子供たち」に詳しいですが、そこでは、日本人の実に3分の1が日本語で書かれた文章を満足に理解していないことが証明されています。
このような事実の元、昨今では、よりイージーに理解できるコンテンツ、
すなわち、漫画やアニメやyoutubeが登場し、大隆盛です。
書籍から離れていくのは容易に理解できます。
小難しい活字を並べ立てた本より、圧倒的に楽に理解しやすいからです。
マーケティング的に言えば、それら新手のコンテンツにシェア奪取されているのです。
ここで筆者の見立てを総括すると、
・元々、書籍は活字中心で理解のハードルが高い。故に、一部の人しか買わなかった という実態があった。
・そこに、ITで情報化社会が進展し、人間が情報処理する速度を上げざるを得ない状況が加速した
・漫画、アニメ、ネットニュース、youtubeなどの動画など、いわゆるうタイパのいい新手の伝達手段が取って代わるようになったということです。
書籍の価値は失われたのか?
本が売れないのには、このような構造的な不振要因があると言うのに、それでも、冒頭の大臣たちのように、世の識者は、「本を読むのはいいことだ。」、「本を読みましょう。」などと、ことあるごとに、読書は絶対善のごとく訴えています。
書店でも、読書の勧め、読書術の本はいつもたくさん棚に並んでいます。
つまり、良識ある人たちは「それでも読書は絶対いいこと」と考えているのですね。
それはなぜでしょうか?
そもそも読書の価値とは何でしょう?
先述のように、読書とは、言葉による人類の知恵の伝承が基本です。
私なりに整理すると、読書とは、先人、偉人を含め、過去現在の様々な人からメッセージを受け、様々な知識や知恵、気づきや洞察を得ることができ、人間としての成長や社会への還元を促す行為と言えるでしょう。
識者は、それは素晴らしいことだと言いたいのです。
で、私はどう思うかと言うと、全く同意します。
人間の本能として、個々人の知恵を出し合い、それを集合させて世の中を良くしていく集団脳があります。
個々人の知恵はどう養われるのかと言うと、それは先人たちの知恵の受け継ぎであり、そのネタ元が個々人の読書体験にあると言ってもいいでしょう。
なので、読書は人類にとって絶対善です。
こう考えると、書籍の本質価値は決して失われているわけではないと言えますね。
だからこそ、識者は読書の再興、再び読書が皆に広まることを考えているのでしょう。
ところが、私の分析にあるように、それを適えるには、2つの大きなハードルがあります。
なので、書籍の本質価値を再度発揮できるようにするには、どのように、この2大課題を解決していくか、その方策や道筋を考えるというのが、私の考える書籍再生の基本的視座です。
では、どうやって?
次回は、この視点で、書籍復活の解決策を提示してみたいと思います。
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