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自らに甘えた人間から腐り組織を蝕む

昔から、部下を持つとこんな話をしていました。
たとえば前職の頃には以下のような感じです。

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みなさんは、社会人となり、組織の一員となり、所属部署や職制を割当てられたと言うことに対してどのように自身の立場を認識されていますか?

一言で「組織」と言っても、組織には

 "縦の組織""横の組織"

があって、それぞれの組合せによってそこに配置された人の『役割』が決まるようになっています。

縦の組織とは、「職制」や「等級」によって構成された権限・裁量の差によるピラミッド構造を指します。いわゆる『リーダーシップ』の及ぶ範囲を定めるための大昔から存在する集団統制構造です。

古くは、軍隊の指揮系統に用いられた構造方法ですね。
専門用語では「ヒエラルキー」と言います。

当たり前ですが、職制ごとに役割…すなわち仕事の内容は変わります。
上位の役割や権限を一部委譲され、下位の役割がこれを引き継ぐケースもありますが、全く同じになることはありません。少なくとも責任まで委譲できません。

これはどの企業でも、大抵「役割定義書」とか「職務定義書」「職務要件書」etc.…何かしら明確化されており、かならず存在しているはずです。

多くの企業では「既に形骸化している」などと言われているところが多いと思いますが、形骸化は"勝手になる"のではなく"意図的にさせる"人がいるだけで、しないように責任意識を持って一人ひとりが取り組めば何も形骸化するはずのない代物です。

少なくとも私は今の所属上必要で、達成可能なことはすべて実施しています。

この役割定義がなぜ重要なのかと言うと、この『役割』を担うからこそそれに見合った『権限』『待遇』を与えられており、『役割』『権限』があるからこそ、その前提に従って相応の結果を残す『責任』が伴うためです。

私の場合、今の肩書きは『〇〇』ですので次のようになります。

役割定義書例

このように縦の組織上、その職位にいる人にはその待遇権限にみあった役割と、達成責任が伴います。いかなる理由があれ、その役割や責任を疎かにする人はその組織において『給料泥棒』と言わざるを得ません。

なぜなら、こうした組織構造を構築する最大の目的は

 分業による、業務の効率化

を果たすことで企業の経営や事業の運営をスムーズに実施し、事業継続性(サステナビリティ)実現のために必要な「営利」を求められるようにしているからです。

ですから分業を目的としている以上、それぞれの役割が重複することは原則としてなく、また求められる仕事内容そのものが重複することもありません。

そんなものが存在していたら、それは『ムダ』でしかないからです。
コスト(経費)の無駄遣いは、悪用のそれと同義です。

以前、ニュースなどでも騒がれていた

「桜を見る会」

が、なぜ物議を醸し出しているのかを考えればわかります。

金、人、時間、モノ、いかなるものであっても、自らの所有する資産以外のものに対してそれらを預かる身分の者は、用途が適切であることを証明する責任があります。

 アカウンタビリティ(説明責任)

というやつですね。それができない以上、できないようなことをしている責任を問わなければなりません。

 他人のものを勝手に私物化する…と言うことを、
 正当化されているところが、世の中のどこにあるのか?

ということです。

では、『ムダ』…つまりは対効果がまったく得られないものに対して、それを理解しておきながら『ムダ』を継続した場合、それは組織として許されることでしょうか?

許されませんね。

一般的に『ダラリの法則』『3M』と呼ばれるものは、組織運営の問題や課題と言った悪/毒を抜き、健全な状態に戻そうという活動です。これらが意識的に行えない組織はどんどん腐敗していきます。


一方で横の組織と言うのは、組織図などで示されるように「部署」によって分業されています。

組織図例

ここでも当たり前のことですが、所属部署ごとに役割…すなわち仕事の内容は変わります。
テーマが同じになることはあっても、仕事そのものが重複することはありません。

業務分掌例

これは企業ごとに定められていると思いますが、「業務分掌」などという規程でまとめられているのではないでしょうか。当社にも当然存在します。これも形骸化していたら内部統制上、大問題です。

私の所属する「品質保証部」が定常業務として義務化されているものも当然あります。多くの人、多くの企業が未だに誤った認識で他責化していますが、品質保証を担う部署というのは、

ソフトウェア開発においてトラブルを起こした際に、業務上の義務によって、支援する部署でも、代わりに解決する部署でもありません

そう言う問題を起こさせないようにルールを定めたり、徹底推進を図る部署です。IT企業ではなかなか見かけませんが、製造業では「出荷検査」と言って社会に送り出す前に製品の質が当初定められた機能、性能をクリアしているか検品する役割を担っているところもあります。

そうした事実を知ろうとせず、なんでもかんでも「品質保証部にやらせればいい」なんて発言をする人も過去にいましたが、それはただの越権的かつ自己中心的な発想で、本来は問題を起こした際、

問題を起こした当人、および問題を起こさせないように管理・監督するべき上長が責任をもって解決する

ものであり、業務分掌を無視して安易に他部門を利用すればいいというものではありません。べき論を用いるならその程度の常識は押さえておいてほしいものですね。

もちろん、縦の組織も横の組織も「それ以外やってはならない」と言うものではありません。これら「役割定義書」や「業務分掌」に記載されているのは、分業における必要最低限の定常業務でしかありません。

 「必須条件であり、大前提でもあり、
  この必要最低限の条件すら達成せずに、
  他のことにかまけることは許されない」

ということでもあります。それを許すのであれば規定自体を見直し、定常業務として役割を配分しなければなりません。許されないにもかかわらず最低限度すら達成できていないのであれば、それは与えられた権限/待遇にみあったアウトプットが出せていないということです。つまりは原割れ(原価(報酬)にみあった仕事をしていない)と言うことです。

新人教育の際には、

「仮に1人あたり月単価60万だとして、1ヶ月を20人日と仮定すると、
 1日あたり3万円分の価値提供をしたと胸を張って言えなければならない。

 『給与3倍則』の原則に則り、仮に月単価30万だとすると、
 みなさんに支払われる報酬は20万、それ以上支払うと会社が赤字化し、
 倒産することになりかねません。

 だからもっと報酬が欲しいと思う人は、その給与を支払うにみあった
 パフォーマンスを企業にあるいは顧客に提供できなければいけません。

 それができていなければ、給料泥棒になっているということです。
 それでいいと思ってしまったら確信犯的に会社を潰そうとしているのと
 同じになってしまいます。

 みなさんは会社が投資して育成してくれている期間の真っただ中ですが、
 いずれ自らの食い扶持は自分で稼げてもらわなくてはなりません。

 現場の上長が「いつまでに」と思っているかはわかりませんが、
 一般的な企業であれば3年で中堅とも言われ、自分の原価分に
 みあったパフォーマンスが出せるようになっていなくてはなりません」

と言っていることも多いと思います。
まぁ私が新人の時に、新人教育担当から言われたことの受け売りですが。

重要なのは、新人に限らず様々なポジションに所属しているすべての社員が、

  • 己の役割定義や業務分掌に反さず、最低限必要とされていることを欠かさず実施しているか?

  • 待遇や報酬、権限等にみあっただけの対価(パフォーマンス)を会社や組織に提供しているか?

という自覚をもって、業務に従事しているかどうかということです。
ざっと式化すると、

 役責 = 実績 → 待遇相応
 役責 > 実績 → 無能/無責任
 役責 < 実績 → 現状に収まりきらない(→昇格検討)

とするのが一般的ではないでしょうか。与えられた役割をきちんとこなせないものが次のステップに進んでもこなせるわけがないのは自明です。

とは言え分業における定義には、毎年常に変化しない『定常業務』と、突発的に発生する『非定常業務』があります。

規程化されているものは、すべて『定常業務』です。
(結果的に成功するかどうかは別として)やって当たり前、やっていなければ罰されてもおかしくないという常識の範疇ですべき業務です。

非定常業務は主に委員会活動などに割り当てられ、部署や役割に関係なく実施されていきます。

ですが、非定常業務はあくまで一過性のもの…プロジェクトのようなもので『定常業務』を疎かにしていい理由にはなりません。

いうなれば、業務優先度はたいていの場合

 『定常業務』 >>>>> 『非定常業務』

となります。たまに緊急性の高いアクティビティが生まれることもありますが、それこそ想定外のことであって予測できるものでもありませんから、選出された適任者が定常業務を疎かにしない範囲で協力し合うしかありません。

ですから、非定常業務…すなわち、役割定義にも業務分掌にも記載されていない業務は、

 「〇〇さんの仕事」
 「××がやるべき」

と言った常識論は通用しません。どこにも定義されていないのですから当然です。関係する誰もに責任があり、関係する誰もが協力的に解決しあう必要があります。ここで「NO」と言う人は、他人から助けてもらう/支援してもらう資格などありはしません。


このように、組織と言うものには、必ず

  • すべき「役割」

  • 役割を果たせるだけの「権限」

  • 役割を達成させるための「責任」

が常に等価で付与されています。
これらが一切存在しない人なんていません。もし存在していて報酬をもらっていたら、その人は間違いなく給料泥棒です。

みなさんは、自らの役責をどの程度果たしていますか?
まずは取り組んでいますか?
取り組んですらいないならなぜ報酬を満額もらっているのでしょう?
優先度をつけて取り組んでいるのであれば問題はないかもしれませんが、自分の役責を他人に押し付けていたりはしていませんか?
もしそうなら、その割合分の報酬を、押し付けた人に割り当てるべきではありませんか?
役責を果たさないまま何年も放置する人はいませんか?
放置し続ける人が、約責以外のことで何かしら成果をだしたら、それは評価されることですか?
規程された役割を、責任をもって果たそうとしないという時点で、広義の意味でコンプライアンス違反になりませんか?
課題や問題を放置し続けると必ず組織に歪みが生じ、その組織の下に就く部下たちは必ず悪影響を受けませんか?
実際に売上や利益をあげているのは、実務を担っている人のはずなのに、彼らのパフォーマンスが最大値になるよう努力しなかったりしていませんか?

組織図上、主任以上の役職になったりあるいはプロジェクトでリーダーやマネージャーになったりすると、自分の下に部下やメンバーがつくことになりますが、彼らの人生やはたまた寿命まで背負っている覚悟はありますか?


組織って、責任が重くなればなるほど、影響を与える他人の人生の数も比例して増えます。

「徹夜させた」「疾患で入院させた」などと言った場合には、人生だけでなく寿命にまで影響を与えているかもしれません。ある意味で殺人未遂に近い行為でもあります。

ですから、自分に甘えあるいは誰かを甘やかし、役責にみあった責任を負わせないようなことをすると、どんどんその下で不幸になる人たちが増えていってしまうのです。

企業とは「器」のことを言っているのではありません。
企業とは「経営者」のことを言っているのでもありません。

企業は「人の集合」です。

一人ひとりの「人」が、自らに与えられた役責を果たさなければ必ず誰かに悪影響が出るようになっています。

「人」および「人の集合」を疎かにする組織は長続きしません。

特にピラミッドの土台となる人たちは最も重要です。

組み立て体操と同じく、

企業の土台を崩すようなことをすれば全体が崩壊するのです。

組織が永続化できるのは経営者や上司のみのおかげではありません。むしろ実利を運んできてくれている現場の担当者たちの方が比重は大きいはずです。みなさんがいてこそ組織というのは成立し、みなさんが十全に役責を果たせてこそ健全な組織となることを忘れないようにしましょう。

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