「正しさ」の優先順位
端的に言うと
正しいことをしていて、
誤った結果になることはあるのか?
という問いに対して、その答えは「ない」しかないということです。
「いや、俺やってた時は正しいことしていて、
結果間違ってるって言われたよ」
と言う人が出てきそうですが、それはそもそも正しいことをしている"つもり"であって、プロセスのどこかが正しくなかった…ということが証明されただけの話です。客観視できず、主観でしか物事を見ることができない人と言うのは、視野が子供のころから成長していないことを意味します。
いつの時代も結果と言うのは「答え」です。
過程と言うのは数学でいうところの「途中式」です。
この関係性は常に等号(=)で成立するようになっています。ですので、結果(答え)が誤っている場合と言うのは過程(途中式)も必ずどこか誤っていることを意味するのです。
では、顧客や社会が当社をあるいは自身を本当の意味で信頼してくれるのはどのような時でしょうか。
酒を酌み交わしたとき?
仲良くなったとき?
とりあえず納品できたとき?
そんな薄っぺらいものでは吹けば飛ぶ程度の信頼しか構築できません。答えは誰でもわかるはずです。仮に仲良くなっても、
"契約を途中で降りる"
"納期や期日を守れない"
"不良だらけで使い物にならない製品を売りつけられた"
"嘘の報告をした"
等、子供に聞いても「そんなヤツ嫌だ」と言われそうなことを1つ行っただけで信頼も(あわせて信用も)失うからです。逆に、
"飲み会に誘われても参加しない"
"特に仲がいいわけでもない"
そんな人でも常に正直で、常に誠実で、安心して任せられる結果を出してくれる人の方が絶大な信頼を置けることは言うまでもありません。正しい答え、正しい取組み、正しい結果に至るための行動、これらが重要なことは昨今の市場を見てもわかるはずです。
なかには
「人は正しさだけでは動かない」
なんてことを言っている人もいますが、それはそれで別に人が選択することなので構わないと思いますけど「正しくないことを選択した結果に対して責任はとれるのかな?」と常々疑問に思ってしまいます。まぁそれで失敗しても自業自得ですし、他人に迷惑をかけなければ知ったこっちゃーないんですけど。
ただ私の中では
「正しいことをすれば正しい結果がついてくるはず
正しくない結果が出た時は、どこかプロセスに誤りがあっただけ」
というシンプルな定理だけで十分です。だから正しい結果に帰結する正しいプロセスを模索するだけです。それだけで、望む「正しい結果」が得られるのですから。それ以外のノイズは失敗要因を増やすだけで、自分にとっては不要と考えています。
仮に超大手企業であっても、仮に売上や利益に超貢献していても、仮に超成長株の企業であったとしても、不正データの改ざんや虚偽、コンプライアンスを守らない企業が、今どうなっていますか?
見ての通りですね。
コンプライアンス全盛のこの時代、『正しさ』を最優先に置かなければどんなに頑張ろうと、どんなに利益を出そうと、社会は信頼も信用もしません。
マネジメントにおいては"時間"こそが最も重要なミッションクリティカル
と説明しているところも多いと思います。資源(リソース)として重要なのは確かに"時間"です。時間以上に優先していいものはありません。
だからこそ、正しい作業見積りや正しいリスクマネジメントを行わなければ、その時間の使い方自体が正しくあることが困難になるわけで、結局ここでも『正しさ』がなければそのミッションクリティカルを遵守することもできない、と言うことが説明つくわけです。
正しくないと分かっていて行っている仕事
正しいかどうかも考えずに行っている仕事
等がもし身近にある人は気をつけましょう。
誰の指示であるいは誰の依頼でするものであっても、正しくない仕事の片棒を担いだ時点で同罪扱いにされる可能性があります。
「知らなかった」「気づかなかった」
で済まないことは、昨今のニュースを見てもわかる通りです。
むしろ、"正しく"知ろうとしないこと自体が問われます。
結果主義の世知辛い世の中であっても、結果だけが全てではないことが求められている以上、過程の"正しさ"を無視した仕事は、不誠実や背信でしかないので気を付けるようにしましょう。
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