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目線を上げるものだけが生き残る

自らに刺激を与えるには、仕事を変えることが必要である。
この必要性は、人がますます長生きをするようになり、
ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる。
仕事を変えるといっても、かけ離れたところに移る必要はない。

P.F.ドラッカー『非営利組織の経営』

ドラッカーは「日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行なうよう自らを駆り立てよ」といっています。

言わんとしていることはよくわかります。

安定志向の人にとっては、むしろ居心地がよくなることそのものが目的であり目標なので、それ以上の改善も成長も必要ないと思ってしまうことでしょう。ですが企業は停滞してしまったらそこで終わりです。

社会が、市場が、顧客のニーズが常に変化し続けるなかで停滞を選択すれば、それは必ず

 『取り残される』

ことになります。
そう、いわゆる「退化」です。

もちろん安定志向なほうが向いているという部署もあります。むしろ日々の仕事の質が安定的でなくてはならないのは"量産"と呼ばれる業務がありますね。すでに「質」を確保するプロセスが明確化されていて、その通りに質が維持されつつも目標通りの数量を生産されなければなりません。生産性の向上や質低下の防止は求められますが、新しいアイデアやクリエイティブな変化を求めません(そうした取り組みはすべて"開発"側に任せます)。

また、総務や経理のような関節部門も基本的には法律や就業規則などのルールに準拠する必要性がありますので、原則新しいアイデアやクリエイティブな変化を求めません。というか勝手に変えること自体が認められていません。量産と同じく生産性の向上や質低下の防止、あるいは従業員の負担軽減などは日々改善を求められますが、通常は定められたルールヤプロセスに従うことが至上となることが多いのではないでしょうか。

ですが、各企業ごとの『本業』と言われている中核を担った部署・組織はそうはいきません。新人も中堅も、もちろんベテランも管理職でさえも停滞することが許されません。常に企業の定める目標達成のために変化、成長を継続することが至上となります。

しかし人はその多くが余裕で仕事をこなせるようになったことを良しとしてしまって、自己満足に陥る傾向があります。その結果、ある日突然燃え尽きることがあります。しかも本人すら気づかないうちに燃え尽きてしまいます。

たいていの場合、この「燃え尽きる」というのはただ単純に仕事に飽きただけです。自己満足してしまうとその時点からこれまでの取り組みに対して「たいしたことでもないもののために毎朝出勤しなければならない」と感じてしまうようになります。そうなってしまうとますますモチベーションが低下し、疲れを覚えてしまうかもしれません。

モチベーションにつなげる喜びは、仕事とその成果の中になければなりません。ドラッカーは「石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない」ともいっています。

私たちはどれだけ仕事に従事していても、どれだけベテランになったとしても、常に目線を上げて取り組む必要があります。少なくとも企業に属するからにはそうでなくてはなりません。そうであろうとする人が皆無になれば企業は収益を維持することができなくなります。

定年年齢が70歳になるといわれている現代、みなさんがビジネスパーソンとして活躍しなければならない年月はまだ20年以上残っていることでしょう。人によっては30年、40年と残っているかもしれません。

問題はその20年、30年、40年もの長い年月のあいだ、どうやって成長や変化へのモチベーションを維持し続けるか。その間どうしたいかとなります。

自らの得るべきところを知るのは、自らである。
自らに高い要求を課すのも、自らである。
飽きることを自らに許さないよう予防策を講ずるのも、自らである。
仕事を心躍るものにするのも、自らである。

P.F.ドラッカー『非営利組織の経営』

ドラッカーの様々な著書で頻繁にするキーワードには色々ありますが、その1つに

 「受動的にならないこと(他人任せにしないこと)」

があります。
心が受動的になると基本的に精神が安定志向に傾くからです。
これは日本企業に多い『保守的』考え方と言っていいでしょう。

こうした考え方が経営層に蔓延すると、必ず人材の消化不良を起こします。
つまり、正しく人材が扱えなくなる…人事が誠実ではなくなってきます

さらに個人間では新しいことや知らないことに対して自らが責任を負うことを嫌い、できるだけ既知の知識やスキルで目先の作業だけを卒なくこなすことだけを考えるようになります。

すると、

 自発的に発言しなくなる
 言われないと何もしなくなる
 言われたことさえまともにできなくなる

ようになります。

元々、人は組織に属した時点で何かしらの役職、部門、役割等に対する責任を与えられているはずです。組織においては末端の構成員であっても、新人であっても責任がゼロとなることはありません。一人ひとりの責任を明確にし、「その責任に対してどう向き合うのか?」という真摯さをこそがすべての基準として考えることが重要となります。

賞罰を含め、組織がそのあるべき姿勢を崩さない限り、労働者はその与えられた責任に対して自主的な姿勢を崩せなくなるでしょう。受動的にならず、自らのコントロールを自ら行えるようにするためにはまず組織がそうあらなければならないのではないかと常々考えています。

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