クレーマーが攻撃しやすい人
クレーマーは、表情に出すか出さないかは別にしてたいてい怒りの感情を抱いています。怒る理由がなければクレームに紐づけようとしません。したがって、クレームを円満に解決するには、まず何よりも先に相手をクールダウンさせることが前提になります。
地上げ屋のようなケースもあるのかもしれませんが、とりあえずそのような特殊な事例はここではいったん置いておいてください。
ところが、自己保身に走る人はまず第一声から自己保身の言葉を紡ぎだします。
その言葉には、お客さまへの配慮等は一切含まれていません。
だから、本来は温厚なお客さまでもクレーマーへと変質していくのです。
悪意や害意があってクレーマーになるのでなければ、クレームの原因は大抵こちら側にあります。結果、不用意な一言で相手をヒートアップさせてしまうケースが後を絶ちません。
不用意な一言と言うと数え上げればキリがないのですが、中でもその代表的なフレーズが
「ですから」
「だって」
「でも」
の3つです。これらは「D言葉」「Dフレーズ」と言われ、クレーム対応では絶対に封印するようにすることがセオリーと言われています。当然、上司からの叱責などにおいても同様です。
たとえば、次のような場合です。
役所の住民窓口で、年配の女性がイライラしている。
「さっきも言ったでしょ。私は証明書がほしいの!」
担当者は、困惑しながら
「はい、それはよくわかりました。
そのためには必要書類を揃えてお持ちくださらないと手続きができないんです」
と答えたとします。
すると、女性が
「ここにあるじゃない!」
女性は1枚の紙片を担当者の目の前に突き出した。
今度は担当者が言い返した。
「ですから、何度も申し上げますが、これだけではダメなんですよ」
「その言い方は何?バカにしてんの!」
お役所仕事…つまりは敷かれたルール通りでなければ仕事を進められない人によくある事例です。このケースでは、「ですから」というワンフレーズで相手がキレてしまったわけです。
これは、単に「言葉づかい」の問題として片付けられることではありません。
「『だから』ではなく、『ですから』と丁寧語を使っているじゃないか」と思われるかもしれませんが、言葉の選び方ではなくその内面にある担当者の「意識」が言葉にはっきりあらわれているのです。
「D言葉」は、一般的に多くの相手にとって次のように伝わります。
「ですから」……〈そんなこともわからないの?〉という「上から目線」
「だって」………〈そんなことを言われても困る〉という「逃げ腰」
「でも」…………〈それは違うんじゃないの?〉という「反抗的な態度」
必要に応じ、適切な言葉遣いを勘案したうえで意図的にこの言葉を選択しているのであれば良いのです。
しかし、大抵の人は無意識のうちに使うことが常態化しています。
数年前に、タクシー乗務員への暴力行為が頻発し、マスコミでもさかんに取り上げられました。そのとき、ある1台の車載カメラの映像を見て「やっぱり」と思いました。
やはり、「D言葉」を使っていたのです。
タクシーに乗り込んできたのはスーツ姿の中年男性。
かなり酔っぱらっている様子で、
「まっすぐ、いや、その交差点を右!」
と、ろれつの回らない口調で乗務員に指示しています。
乗務員は黙々と運転を続けました。
しかし、不機嫌そうな乗客は
「わかったか?返事がないぞ」
と乗務員に絡んでくる。
乗務員はそのたびに「はい」と小声で応じますが、乗客はさらに「ちゃんと聞いているのか!」と迫ってくる。さすがに乗務員も嫌気がさして、
「ですから、『はい』と言ってるじゃないですか」
と答えてしまい、その瞬間、乗客が怒鳴り声を張り上げた。
「その態度はなんだ!客をナメてるのか!」
乗客は後部座席から身を乗り出し、いまにも殴りかからんばかりです。
一般常識からすれば、乗務員に非はありません。乗務員にとって、酔っ払った客はまさに「常識が通用しない、面倒なお客さま」でしょう。しかし乗客にしてみれば「困っている」からタクシーを拾ったのです。このケースで言えば、昼間は真面目に働いていてもこの日は歩けないほど酔ってしまったのかもしれません。
困っていることを抱えているという点では、クレーマーも同じです。
病院通いをしているモンスターペイシェントなどはその最たるものです。
そしてIT企業に仕事を依頼するお客さまも同様です。
自分たちでは解決できない課題や問題を、ITの力を使って解決してほしいと望んで依頼しているのです。
システムを作ってほしいのではなく、ITの力を駆使して解決してほしいのです。
結果としては同じかもしれませんが、システムが作られていてもお客さまの抱える問題や課題が解決されていなければやはりクレームを言ってくることでしょう。そのため、解決に至っていない終わり方が待ち受けていると感じると大抵のお客さまは一変してクレーマーに変質します。「大金を投じて、何一つ解決できなかった…」では、企業が成り立たないわけですから当然の話です。
それは契約形態如何によって変わるものではありません。
そのことを理解していないエンジニアやマネージャーがトラブルを起こし、訴訟問題などへと発展させているにすぎません。クレーム対応では、通常の接遇より細やかな目配り・気配りが求められるのはある意味で当然と言えるのです。
では、こうした場合には、どのように対応すればいいのでしょうか。
クレーム対応の経験が豊富な担当者なら、状況に応じてうまく切り返すことができるでしょう。中には気のきいたジョークで一気に場をなごませることができるかもしれません。
しかし、慣れないうちは、そんなことはできなくて当然です。
そこで、D言葉を封印する簡単な方法があります。
それは、D言葉を変換することです。
つまり、次のように「サ行」で始まる言葉に言い換えるのです。
「ですから」→「失礼いたしました」
「だって」→「承知いたしました」
「でも」→「すみません」
たとえば、役所の例でいえば「ここにあるじゃない!」と言われたら、「ですから」に代えて「失礼いたしました」と応じれば余計な怒りを買うことはなかったはずです。なにせお客さまにとってクレームを言えるような弱みが見当たらないからです。
その後で「私の説明不足でした。もう一度、ご説明いたします」とつなげばいいのです。また、相手の怒りを鎮め、解決の糸口を見つけるには"あいづち"で共感を示すことも重要です。
基本的には、次のように3つのパターンのあいづちをマスターします。
「はい」「さようでございますか」
ストレートに相手の話に同調するときに使います。
あいづちの基本形といってもいいでしょう。
声のトーンによって、さまざまなニュアンスを伝えることができます。
「ごもっともです」「おっしゃるとおりです」
やや強めに相手の意見に同調するときに使います。
ただし、あまり頻発すると嫌味に聞こえることがあるので注意します。
「そうなんですか」「そんなことがあったんですか」
感嘆を込めて相手の話に同調するときに使います。
ただし、これも過剰に使うと、かえって不快感を与えることがあるので注意します。
あいづちを打ちながら傾聴している間、相手の理不尽な要求に思わずD言葉が口から出そうになったら頭の中でS言葉に置き換えます。あいづちからつないでいけば、相手の興奮は徐々に収まり、会話がスムーズに流れるようになるでしょう。
こうしたテクニックは、経験を重ねれば誰でも身につきます。
学生がバイト時代に培うことだって可能です。
その気になれば子供にだって可能でしょう。
大人にならなければ身につかないというものではありません。
セリフを丸暗記しなくても、あいづちや特定のフレーズを準備しておけばいざというときに使えます。
しかし不慣れな人は、まだ不安が残るでしょう。
そこで、もう1つの覚え方です。
それは「サ行のほめ言葉」です。
「さすがですね」
「知りませんでした(存じませんでした)」
「すごいですね」
「センスがいいですね」
「そうなんですね!」
これはコーチング(聞き手)技術の基本ですので、上司、上長の方の中にはすでに習得済の方もいらっしゃることでしょう。こんなふうにあいづちを打たれれば、悪い気になる人は多くありません。
クレーム対応でも、「さしすせそ」でキラーフレーズを覚えておくのが有効です。
「さようでございますか」
「失礼いたしました」「承知いたしました」
「すみません」
「……」
「そうなんですか」
「セ」が抜けていますが、じつはここが最も重要です。
クレームから逃げずに「責任をもって、(私が)対応します」という意識を常にもっておくことです。これは声に出す必要はありません(ゆえに無言にしています)。
私は品質保証を担当している手前、言わざるを得ない状況になった際には間髪入れずに言いますが、極力言わなくて済むのであれば言わない方がいいと思っています。
なぜなら、発言はそのまま大きな責任を生み出してしまうからです。
品質保証という立場でそのような状況に陥るというのは、大抵開発チームが起こしたトラブルの時です。自分が作ったものでもなければ、おそらくは中身を完全に把握していない状況でしょう。
そんな状態で、「責任を持って~」と断言できるかどうか怪しいのです。
しかし、心の中では当然ながらそう言うつもりでいます。
どんなに大変な状況になったとしても、
「最後の最後にお客さまが納得できる形にもっていけばいいんだべ?」
「それ以外に優先すべきことなんて何一つないでしょ?」
としか考えていません。
ビジネスにおいて、責任感を持てない人間ほど信用できないものはありません。
それが、自分の作ったものであろうとなかろうと、関係ありません。
ビジネスは個人間ではなく企業間で執り行うものだからです。
よって、こうした意識は個人一人ひとりが持つべきものではありますが、その際に「自分が」ではなく「我々が」という主語を付けて考えられるようになれば本当の意味で一人前の社会人になったと言えるでしょう。
クレーム対応から適切に解決へと導けるか否かは、ある意味で社会人としての成熟度も推し量れると言えます。
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