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ただしく模倣する人が一番成長する

「才能」や「天才」という言葉を聞くと、多くの人が

 「もともとその人に備わっている“すごい能力”のことでしょ」
 「何の努力もしなくてもできちゃう人に使う言葉でしょ」

と思いがちですが、それは全然違います。

生まれた時には、概ね能力は平等に近いと言われています。

辞書で「才能」という言葉を引くと「生まれつきの能力」と書かれていますが、生まれつきの能力は“誰もが”等しく持っています。

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才能の開花に対して最も影響を与えるのは育った環境ですが、それすらも外的要因だけで培われるものではなく、自身が身を置こうとする姿勢だけで大きく変化してきます。

しかし「あの人には才能がある」といった言い方は「ほかの人にはないような能力を持っている」というニュアンスで使いますよね。能力の高い人は、単純に努力を継続しそれを効果的に磨いてきただけの話なのに。

では「本来は誰もが持っている能力」をどのように伸ばせば

 「『才能がある』と言われるべきもの=ほかの人にない突出した能力」

になっていくのでしょうか。

そのために大事なキーワードは「守破離」です。

おそらく仕事において我流の進め方を容認したり、推奨している組織やエンジニアではこの考え方はないのかもしれません。

守破離とは、剣道や茶道などの修業における個人のスキルの段階を示したもののことです。

まず「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身に付ける段階。次に「破」は、ほかの師や流派の教えについても学び、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。3つめの「離」は、1つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
(『デジタル大辞泉』より)

ですからまずは“師となる人”の教えを守って、徹底的に真似をするといいでしょう。「真似する」ことを軽んじてはいけません。成果を残している人ほど、いちばん初めは誰かの模倣を徹底的にしているものです。

成功するための仕組みを、完全にゼロから何かを生み出す人と言うのは非常に稀です。誰でもできることではありません。

真似といっても、そもそも“すごい”と言われる人の真似なんてそうそうできるものではないのですから、それを真似られるというのは相当すごいに決まっています。

ただこのときに「天才」と思える人の言うことは聞かないほうがいいでしょう。頭のいい人が「こういうふうにやったらいいよ」と言葉で教えてくれているのに、いざ実行に移してもその通りにできない…ということが起きます。

「天才の“言葉”は、聞く意味がない」と私は思っています。

なぜそう思うのか――?

“天才”は、往々にして自分がどうしてそれができているのかがよくわかっていません。たとえば相対性理論で有名なアインシュタインは、

幼少の頃は、言葉を、理解したり話したりする、という面では、一応は大丈夫だったが、言葉を出すのには時間を要した。一方で数学に関しては傑出した才能を示し、9歳のときにピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明した。12歳のときに叔父からユークリッド幾何学の本をもらい独習。微分学と積分学も、この当時に独学で習得したといわれている。
(Wikipediaより)

とあるように、子供の頃、"答え"は分かるのにそこに行きつくまでの解法が説明できない…と言うことが多々ありました。

なぜなら、天才は天才であるがゆえにできないことで悩んだ過程を経験していないから。悩む間もなく既に“できちゃってる人”には、上達するための努力法が言語化できないのです(羨ましいな、チキショウ)。

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説明できないどころかレベルに到達していない人を見たらイライラが募って「なんでこんなこともできないんだ!」なんてことも言い出しかねません。

“できる人”にとっては“できることが当たり前”すぎて、“普通の人にとっては難しい”ということを認知できていないことが多いのです。

それでも、予備知識として説明を聞くのであれば、説明もロクにできない「天才」ではなく、具体的に説明が可能な「秀才」に尋ねるようにしましょう。


さらに「真似する」ということについてもう少し掘り下げていきましょう。

メモではなく、動画を使ってできる人の「行動」を完コピせよ、と言うこともあります。完全にコピーできればそれはもう自身の能力と言っても過言ではないからです。

私がいつも言うのは「頭のいい人の“行動”を模倣しろ」です。

いい成績を取りたいと思ったら、頭のいい人(できる人)に「どうやって勉強したら、できるようになるんですか」と聞きたくなります。しかし実はそんなノウハウを聞いても意味がありません。

それよりも、すべきことは――

 「普段どんなふうにやっているのか、今ここでやってみてください」

とお願いすることです。たとえば成績がすごくいい人に「営業のやり方を教えてください」と相談してアドバイスを受けても、自身の営業成績を上げるための効果は少ないでしょう。

それよりも、一緒に営業先へ同行して、その人が

 どんなふうにあいさつしているか
 どんな表情で相手に話しかけているのか
 どんな言葉遣いで話しているのか
 どんな順番で話をしているのか

…等をしっかり観察してそれと同じ行動を“完コピ”するほうが成績上昇に直結します。成功例…すなわちベストプラクティスを修得してしまえば、そのまま応用が利くようになるからです。


模倣するときに、いちばん近道で効果のある方法をお教えしましょう。

それは頭のいい人、できる人の行動を動画で撮影することです。そして動画を見ながら、その人のどこに「うまくいくポイント」があるのかを見つけるのです。

 「わざわざ動画を撮らなくても、
  (手帳などに)メモをしたらいいじゃないか」

と思う方もいるかもしれませんが、《動画撮影》と《手書きのメモ》は、根本的に大きく違います。手書きのメモには事実ではなく、見る人、書く人の主観的な解釈が入ってしまうため、自分が見たいところだけを見て大事なことを取りこぼす可能性があります。

そのため、メモだけではどんなに参考になることがあっても、勉強でも仕事でも思ったように成績が上がらないのです。

一方、動画だと普段“自分の意思では見ていない”ところまで映ります。常に客観的事実だけで構成されているからです。ですから後で映像を見ながら分析することができます。映像をていねいに見て、“頭のいい人”“できる人”が何をどうやっているのかがわかったら、今度はその行動を完コピする。それが理想です。

もちろん何時間も動画で撮るのは難しいという人もいると思います。では、具体的にどれくらい真似したらいいのか。

たとえばその人が毎朝8時に会社に来るなら、あなたも朝8時に来るようにする。だいたい8時に来るけれど、2日に1回は3分ぐらい遅刻するならそこもコピーする。

そういう細かいところまでまねしていくのです。

そうしているうちに、その人がやっている行動、挙動、言葉、タイミング、反復性、過剰なところ、抜いているところなど、いろんなことがわかってきます。

するとたとえば「自分はちょっと姿勢が悪いかもしれない」とか、「『ありがとうございます』を言うタイミングがおかしいかもしれない」といったことがわかるようになります。


ところで「できる人の行動を完コピしなさい」と言うと恥ずかしいと思う人もいるし、そもそも誰かのまねをすることに対して、否定的な人も結構います。

 「自分はその人より能力が低いのだから、
  できる人のまねなんかしても意味がない」

と思う人が多いようです。
また

 「まねをするよりも、オリジナリティを出さなくちゃ」
 「自分の個性で勝負しないと戦えない」

といった考え方をする人もいます。
しかし、それは間違っています。
そもそも、人間は一人ひとり違います。

身長も違えば声も違う、骨格も関節も違うし、今までに受けてきた教育も人間性も違う。なのでどんなに“完コピ”しようとしても必ずズレが出てくるので、オリジナリティはどこかに出てくるものです。どんなに誰かのまねをしても“自分らしさ”は出てしまうものなのです。

それに基礎がない下地にただただ「オリジナリティ」を築いたって、そんなものは見かけだおしのオリジナリティです。戦うための武器にはなりません。

仮に一時的に武器となったとしても、我流に固執して成長した人は、型を守り、型を破り、そこからオリジナリティを確立した人と比べ、

 "将来的な成長率が低い"

というのはどの業界でも言われていることです。そういった観点からも、まずは"成功事例"に対して完コピすべきなんです。完コピで「能力を磨くための基礎」を作るのです。「応用」とは「基礎を応用する」ものであって、基礎もないのにいきなり応用ができるはずもありません。

そして完コピを徹底的にやって基礎となる土台を形成すれば、必然的にそれらを応用するようになるでしょうし、そこからオリジナリティが出てきます。これが「個性」です。

完コピするにあたって、大切なポイントは1点だけです。

完コピをするときは、その人の「考え方」だとか「言っていること」ではなく、

 「行動」を完コピすること

これだけです。

人間が唯一、他人を模倣できるのが「行動」です。思考なんて一人ひとり全然違っているので定量的な計測もできませんし、まねしたとしても実際のところはできているかどうか測る術がありません。「模倣できているかどうか」が、はっきりわかるのは“行動だけ”なのです。


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