データを使いこなす知性ある組織であるために
昔は良かったんです。
データの裏付けなんかなくても。
世間が年の功や経験則を重んじていた時代はそれが正とされる風潮がありましたし、そうなる可能性が高いほど一つひとつの事業や業務の規模も小さく、難易度も高くなかったため、「勘」と「経験」と「度胸」…いわゆる"KKD"でなんとかなりました。
今でも、KKD全開で何となく仕事をしている人も多いと思います。
何を判断するにしても論理性が一切なく
「いいからとにかくやれ」
なんて指示しておいて失敗すると指示した相手を責めたり、酒の席に誘って慰めようとしたり…なんて人も見たことがあります。実際、データに基づかない判断や決断による失敗率の上昇は昔と比べると比ではありません。
三現主義
という考え方が生まれたのもその1つです。
事業や業務などもどんどん規模も大きくなり、不確実性が高い現代ビジネスで成功率を向上させていくためには、
データドリブン(データ駆動型)
つまり、データが判断や行動の原動力となるような組織でなければなりません。なによりもデータが紐づかなければ判断・決断、行動に根拠が伴いません。「データがない」ということはそれだけで
「やってみなけりゃわからない」
「やってからのお楽しみ」
というギャンブルをしているのと同義になってしまいます。それは本当に経営や事業として正しい姿なのでしょうか。
とはいえ、「データドリブンな組織」とは具体的にどのような組織を指すのでしょう。
クリーンなデータ収集を行っている
データドリブンな組織にとって日常的なデータの収集は不可欠ですが、現時点の課題にとって有用なデータでないと意味がありません。さらにタイムリーかつ正確、中立的で、信頼のおけるデータである必要があります。
こうしたデータはクリーンなデータと呼ばれます。
少しおさらいをしますと、日本語でいうところの「情報」には様々な意味が込められています。これを英語ではおよそ3つの意味に分割されていて、それぞれ異なった用途で用いられるようになっています。
そうです。
データとは一切手が加えられていない「事実」そのものを指します。それを見た、聞いた人が自分自身の解釈を一切加えずにありのまま表現する情報こそが「クリーンなデータ」と呼ばれるわけです。
「データサイエンティストの仕事の80%はデータのクリーニングに費やされる」
と言われます。分析、可視化、仮説の組み立てといったいわゆる「データサイエンティストらしい」仕事は残りのたった20%の作業に過ぎません。
どんな仕事でもそうですが、準備や機会を得るために8~9割の努力を充てています。
これができない人は、いざチャンスが来ても十全に活かすことはできません。準備ができていないからチャンスが過ぎ去ってしまうのです。これと全く同じなんですね。データサイエンティストは、きたるデータの活用を見据えて80%をクリーニングという準備に費やしているということになります。
とはいえ、膨大なデータはそれだけでは無用の長物です。
それどころか、巨額の管理費がかかってしまって害悪になる場合もあります。
データを効率的にクリーニングできるシステムを備えているかどうかが、データドリブンな組織の第一の指標です。これまで所属していた組織でもそうでしたが、「何か」をやるところまではあーでもない、こーでもないと検討し、まじめに努力して実施しようと試みるのですが、それらの結果を「蓄積」「整理」しようという働きはほぼ皆無でした。
「やる」
ということで満足してしまっていて、その事実データを再利用して「よりよくする」という発想ができない組織ばかりだったと思います。だからすぐに形骸化するし、形骸化以前に「何のためにやってるの?」「やった効果として何がよくなったの?」という観点がすっぽりと抜け落ちてしまっています。
「とにかくやりさえすれば、よくなるはず」
「俺はまじめにちゃんとやっている」
おそらくはそういう思い込みだけでなんとなく仕事を「作り」、自己満足しているだけなのかもしれません。
データの使いやすさを重視している
せっかくクリーンなデータをストックしていても、データベースへのアクセスしやすさや必要なデータを抽出しやすい環境が整っていなければそれは宝の持ち腐れでしかありません。
たとえば、アメリカの眼鏡メーカーWarby Parkerの経理担当は、データ抽出にExcelの付属機能であるVLOOKUP関数を使用していました。
当初はうまく機能していたのですが、会社が成長するにつれデータ量が膨れ上がり抽出終了に10時間以上かかったり、ランタイム中に頻繁にクラッシュしたりと大きな問題となっていくことに…。
これではいけないとより大ボリュームのデータを扱えるソフトウェアに乗り換え、結果アナリストが分析、可視化、仮説の組み立て…といった、より重要な仕事に取り組む時間が増えたそうです。
データはよく鮮魚などの食品物に喩えられることがあります。
すなわち、
常に新鮮な状態でなければ腐ったただのゴミ
と変わらないと言うことです。
データとは純粋な事実情報だけのことをいうのではなく、資料やルール、規定なども同じです。
作ったら作りっぱなし
蓄積したら蓄積しっぱなし
そんな取り扱い方しかできないデータはただの汚物と何も変わりません。
データを正しく取り扱うことのできる組織は、たいていPDCAサイクルが運用されています。されていない組織には、実用できないゴミがたくさん溢れ、その整理をするだけで大量の時間が奪われ、生産効率が過度に低下し、結果的に収益が思うように上がらないと嘆いていることでしょう。その結果「データなんて意味がない」と放棄してしまっている組織もあるかもしれません。
データを正しく報告し、分析できるアナリストが必要
データのクリーニングが効率よくできるようになっただけではまだまだ真のデータドリブン組織とは言えません。最先端のソフトウェアを用いた万全のデータ管理体制の他にも、データを正しく報告し分析できるアナリストが必須です。
AIの発達が目覚ましい昨今、ある程度のインプットを与えておけばマシンが分析できるデータもあるでしょう。
しかし外的要因が複雑に絡み合っている場合、マシンではデータを読み切れません。
以下のECサイトのデータを見てください。
5月は4月よりも5.2%注文数が増えているというデータを可視化した図です。
みなさんはこの事実データを見て、何が原因で注文が5%以上も増えたのか、その理由(要因)までお分かりになりますでしょうか。これがわからなければ、翌年以降5月に向けて商戦企画などを定めようもありません。定めようもなければ、事業戦略も予算計画もなにも考えることができません。チャンスを棒に振ってしまうことになるかもしれないのです。
ですが、これだけではそれが何を意味するかまでは分かりませんよね。
ここで必要になるのが鋭い連想能力を備えたアナリストです。
注文数が増加したのは…
などなど、様々な切り口での仮説を立てて分析することができます。
すべての情報をインプットされていないマシンにはこの分析は不可能でしょう。
データのクリーニングと抽出にはマシンを有効活用しつつ、不確実性が絡む分析にはマンパワーを使うシステムが完備されていることがデータドリブンの条件のひとつです。
とは言え、いくら最新システムと最高のアナリストを備えていても、管理職や経営陣のなかに勘や経験則に頼ることを主張する人たちがいると、データに基づいた冷静な決断に至りません。
これではデータドリブンとは言えないのです。
決定権を持つ層がデータとアナリストの分析を重要な判断材料として認め、データとアナリストを中心とした企業戦略に影響を与えて初めてその組織はデータドリブンだと言えます。
部にしても、課にしても、あるいはチームにしても、決定権を持つ組織の上位層がまだ勘と経験に基づいた決断をしているようではその体質を変えるのは簡単ではありません
しかし、組織の全員が変化のための役割を担えます。
アナリストなら、同様の問題を抱える他企業のケースをより掘り下げることで説得力を高めること。
データエンジニアなら、データ統合と質の向上にリソースを割き、信頼性をアピールすること。
こうして決定権のある層に影響を及ぼしていくこと、彼らを再教育していくことです。
みなさんとみなさんの所属する組織はデータドリブンですか?
すなわち、
客観的事実情報を収集し、思い込みなどなく、
客観的事実情報に基づいて決断を行っていますか?
そして、いくらデータがあったところで、
というのも真実です。
データは純粋な力…スカラーのようなものです。そこに意味を付与することでベクトルのような効果を発揮することが可能になります。
意見(opinion)だけではダメ、事実データ(fact/data)だけでもダメ。
その合わせ技によって初めて価値がでるのです。
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