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情報を解釈して利用する力

「データそのものは情報ではない。
 情報の原石にすぎない。
 原石にすぎないデータが情報となるには、目的のために体系化され、
 具体的な仕事に向けられ、意思決定に使われなければならない」

P.F.ドラッカー『未来への決断』

私たちはITあるいはICT業界に所属しているにもかかわらず、多くの従業者、多くのエンジニアがおそらくは

 ITあるいはICTがなんなのか

を正しく理解していないことでしょう。

そもそも日本語の『情報』に相当する言葉は、英語には3種類存在し、それぞれ意味が全く異なる…と言うことも知らないのではないでしょうか。

もし知っていればドラッカーのいう言葉の意味が理解できるはずです。

 

ITとはInformation Technologyの略です。
日本語にすると『情報を取り扱う技術』を意味します。

つまり、私たちは情報を取り扱う専門家ということであり、

 ITエンジニア ≠ プログラムで何か作る者
 ITエンジニア ≒プログラムで情報の取り扱いを最適化する者

ということを深く理解しなくてはなりません。そこを誤解するからいつまで経ってもプログラミング至高主義がまかり通ってしまうのです。

プログラムによってつくられるモノはただ人の願いや思い、求めるものを翻訳したに過ぎません。ITエンジニアは、その翻訳するための人の願いや思いを『形』にするための仲介役でなければなりません。

情報を取り扱う専門家とは、確かに『道具をつくる者』です。

しかし、道具として、

 いかなる情報を
 何のために
 いかにして使うか

を決めるのはユーザー自身です。ユーザー自身が自らの持つ情報に精通しなければなりません。ほとんどのユーザー企業、IT企業が、情報が自らの意思決定に対して持つ意味を考えていません。

したがって、情報を『いかに入手するか』『いかに検証するか』『既存の情報システムといかに統合するか』が今日最大の課題となるのです。

かつては、とにかく情報を持つことが勝利への道でした。

軍隊でも企業でも同じだった時期があります。
情報戦を制したものが勝利することができたのです。

ところが、日本でもITからICTと呼ばれるようになった2001年以降、インターネットと言う情報革命により情報が氾濫しました。今では誰でもクリックするだけで世界中のあらゆることについて情報を得られます。

その結果、『情報力』とは、

 "情報を入手する力ではなく、
  情報を解釈して利用する力"

を意味することになりました。情報の利用者自身が情報の専門家にならなければならなくなったのです。情報自身もまた、ほかのあらゆるものと同じく使われて初めて意味を持つようになったのです。

「コンピュータを扱う人たちは、
 いまだにより速いスピードとより大きなメモリに関心をもつ。
 しかし、問題はもはや技術的なものではない。
 いかにデータを利用可能な情報に転化するかである」

P.F.ドラッカー『未来への決断』

さきほど、英語には3種類の「情報」があると言いました。
以前説明したと思いますが、ここでもおさらいしておきます。

そもそも日本は残念なことに「情報」と言う意味を持つ言葉が1種類しかありません。ゆえに、

  • データも「情報」

  • インフォメーションも「情報」

  • インテリジェンスも「情報」

となんでもかんでも一括りで和訳してしまいます。

しかし実際、英語の世界ではこの3種は全く異なる意味を持っています。

少なくともインフォメーションとインテリジェンスの違いについてはそれぞれの単語をgoogleで検索すれば、一発でそう言った検討がなされているサイトが見つかるほどに一般的で有名な話です。

けれども、IT業界に関わる人たちの間でいったい何人がそんなことを意識しているでしょう。

前提知識として「データ」と「情報」の違いをあげておくと、

データとは「客観的な事実を数値や文字、図形、画像、音声などで表した情報」のことです。客観的事実と言い換えることができます。

一方、インフォメーションとは「ある目的のために役立つデータ、あるいはデータを基に加工された情報」です。要するに、無作為に蓄積された事実情報(データ)群の中から本当に必要な意味のある情報として抜き出したものがインフォメーションになります。

ここまでで、

「データベース」がなぜ「データベース」と呼ばれるのか?
SQLでSelectする情報こそがインフォメーションなのか?

ということは容易に想像がついたかと思います。

しかし、昨今ではこのインフォメーションですら求められる情報として取り扱うには不十分となっています。なぜなら、どんなに抜粋しても所詮それはデータの一部であって、何かを判断、決断、活用するために加工された状態になっていないただの素材のままでしかないからです。

たとえば、気象庁による天気予報を例に挙げると、

  1. 各地で気温・湿度・降水情報(データ)など様々な事実情報を収集、測定する(データを集め、蓄積する)。

  2. 測定されたデータ(数値の集まり)から、予測、予報するために必要なデータを抜粋する(インフォメーションを抽出する)。

  3. 抽出された情報(インフォメーション)から、人間が判断や意味付けといった加工を行うことによって「雨」や「晴」といった情報(インテリジェンス)になる。

別の例をあげると、

  1. プロ野球の試合を生(球場)で観戦したい。

  2. ペナントレースの年間スケジュール表、移動手段を電車として時刻表、駅から球場までの地図などがインフォメーション。

  3. 日程を確認して観戦予定日を決め、どの時刻の、どの電車に乗り、駅からどのような道順を経れば球場にたどりつけるのかをチェックすればその情報がインテリジェンス。

このように、データあるいはデータの抜粋版であるインフォメーションを正しく活用できず、インテリジェンスが何かをわかっていないままでは情報技術産業の未来は決して明るいものではないでしょう。

いずれグローバル化が進み、アメリカの顧客に市場調査(market analysis)を命じられて、結果のレポートを提出したところ、

 「こんなものは、informationに過ぎない。intelligenceを持って来い!」

なんてことを言われる未来が、いつかあるかもしれません。その時、お客さまに「今どき、コイツはinformationとintelligenceの違いもわからないのか…」と思われないようにしておくことは、色々な意味で無駄にはならないと思います。

ビッグデータ時代における「データ」はそのままデータなのでしょう。
未加工のまま、膨大な量の事実情報を蓄積し続けるだけの器に過ぎません。

そしてそれらを活用するマーケティングの世界においてはデータを加工し、分析・解析するプロセスを

 マーケティング・インテリジェンス
 (MI:Marketing Intelligence/ Market Intelligence)

と呼んでいます。何かを判断し、決定するためにはインテリジェンス…すなわち『知性を生む情報』が必要なことは既に当たり前のこととなってきているのです。


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