ミスをなくすには業務の「仕組み化」が最も重要
日常的な業務でメンバーや部下がいつも同じミスが発生しているのなら、プロジェクトマネージャーやリーダー、上司は率先して仕組み化に取り組む必要があります。
これは、チーム全体の品質を一定に保つためのマネージャーあるいはリーダーの責務です。
マネージャーやリーダーになったら自分だけではなく、部下にも成果を挙げられる環境をつくることが大切です。「マネージャー」や「リーダー」という肩書きは、自分個人に責任を持つ者のことではなく
チームや組織全体の責任を"負う"者
だからです。そこに責任を負えないのであればリーダーやマネージャーを名乗る資格はありません。
しかし、チームメンバーのスキルも意識も十人十色でバラバラです。
そこまでにいたる経験や知識もバラバラなのですから、当然です。
そこで大事なのが、意識的に仕事のシステム…すなわち『仕組み』ををつくることです。ITっぽくわかりやすい言葉にするならフレームワークでもかまいませんし、もっと古い言葉で言うなら共通部品をたくさんそろえるといってもいいでしょう。
しかし、品質保証に携わるずっと以前から10年以上言い続けていても、実態としてはなかなか伝わりません。徹底できるのはいつも自分が受け持つ組織だけです。
まず、「仕組みに興味を持つ」とは何を意味するのでしょうか。
これは、一回きりの成果ではなく、複数回の成果に注目することを意味しています。つまり再現性があり、何度繰り返しても常に同じ結果になるということです。言い換えれば、個々の出来事ではなく「それを発生させている根本的な要素について考える」と言うことです。
これは、歴史を紐解いてみれば当然の帰結です。
リーダーやマネージャーの優れた能力に頼ってばかりのチームとは、言ってみれば専制君主制による独裁政治と同じです。たまたま名君だったら成功するし、暴君や暗君であれば失敗する…いわゆるギャンブル要素しかない体制です。
これに対し仕組みや法則、ルール、プロセスを最上位としてその下にリーダーもマネージャーもメンバーも皆一様に従う体制は、言ってみれば法治国家です。時代の流れが、専制国家から法治国家へと移行していった流れを見れば、組織と言うものがどうあるべきかは一目瞭然です。
それでも、個人の資質に頼りたいというのであれば、それは確信犯的に時代の流れに逆らうと言っているのと同義です。
身近な例をあげてみましょう。
たとえば、同じようなミスが複数回出ているとします。
書類の書き間違えでも構いませんし、パソコンへの入力や、何かしらの手順でも構いません。本当はこうあるべきなのにそうできていない…ということが何度も、しかも複数人によって生じているような場合です。
そうしたときに、
「これからはミスしないように注意してください」
「気を付けてください」
「努力します」
で終わらせていたのではほとんど改善は望めないでしょう。専制君主的な組織の下では個人の努力という不確かなものばかりに責任を押し付け、リーダーやマネージャーの資質は問われません。挙句、なかなか改善できずに何度も失敗を繰り返そうものなら「アイツは使えないやつ」だというレッテルを張られ、明らかに不公正な待遇を受けたり、自ら退職するよう追い込まれてしまうこともあります。
実際に、そういうシーンを前職で何度か目にしました。
これでは物事の「改善」とはどうあるべきかを理解していない子供と同じです。
そうしたミスは個人の不注意で生じているのかもしれませんが、問題は不注意を起こしたことではありません。そうした不注意を生じさせやすい『何か』あるいは注意が向かない『何か』が潜んでいることにそもそもの原因があるのです。
そのような状況下においては「注意しましょう」といって個人の努力に頼るのではなく、具体的な何かを変えたほうがはるかに効果的です。少なくとも「注意する」とは具体的にどうすることなのかが曖昧で、解釈も人によって差が生じますし、結果として効果にも差が生じてしまいます。
それは書類の書き方のサンプルであったり、パソコンのヘルプ画面の作り方であったり、手順を記したマニュアルだったりといろいろな要素が考えられます。
たとえば、ルールや手順などを明文化しておらず、目の前で1度見せただけで個人の記憶頼りにするような現場では、個人の記憶力やあるいは個人ごとの記憶しなければならない業務優先度の差によって大きく変化することは明らかです。
目の前で見せられるほど手順が固定化しているのであれば、手順書などを用意しておくだけで「記憶に頼る必要がない」「忘れても何度でも見直せる」状況を生み出します。
それだけで失敗する確率がグッと減るのは言わずともわかるのではないでしょうか(もちろん明文化しても読まない人は出てくるかもしれませんが、それこそその人のビジネスに対する姿勢を問えばいいだけです。少なくともまじめに取り組む人材か、そうでない人材かは明確に切り分けられるようになるでしょう)。
対象となるものが何であるにせよ、行動を促す『何か』に目をつけ、根本原因であるその『何か』を改善した方が個々人の「気をつける」に頼るよりも、実際的な効果が上げられるでしょう。
これが、「仕組みに興味を持つ」ということです。
そして、そう考えられなければ何事においても"効果的な改善"に至ることは不可能です。
仕組みは「システム」とも言い換えられます。
システムとは、ある目的を果たすために必要な要素すべてを含みますから、ソフトウェアのみと言うわけではありません。
「システム構築」
と言うと、大抵の場合はハードウェアからネットワークインフラまですべてを含みます。さらには業務ルールや環境、そこにかかわる人的リソースなども存在しないとシステムは機能しません。
業務または仕事における「システム」とは多くの場合、"手順書"・"マニュアル"・"新人教育のメソッド"といったものが対象となるのでしょう。それだけではなく、繰り返し行なわれるような作業のベースを生み出すものであれば、なんであれ「システム」の中核になりえます。
そうしたマニュアルやドキュメントといったものをきちんと整備しておけば作業の成果を統一できますし、またやり方を変更したくなった場合でもマニュアルを書き換えれば誰でも同じレベル対応ができます。
ある人のその場の思いつきで、しかも口頭で告げるようなことをしていては、いつまでたってもそのやり方が浸透することはありません。しっかりとシステムに落とし込むことが不可欠です。
ここでのポイントは「繰り返し(=反復)」にあります。
同じようなミスが発生しているということは、同じような作業や仕事が発生しているということです。そのような作業はたいてい軽視されているものだったりしますが、頻繁に繰り返される作業を効率化できれば、全体にとって大きな貢献となります。なにせ何度も発生しているのですから、たった1%程度の改善でも積み重なればバカにはなりません。
仮にコピー取りの作業が年間のべ10000件発生しているとして、単純に1件あたりの作業時間を1分とすれば10000分…およそ160~170時間ほどとなります。平均単価80万とすると、まさにそれくらいの人件コストが消費されているわけですね。
さらに1件あたりの平均コピー数が5ページだと仮定すると、1ページあたりモノクロで3円前後ですから
3円 × 5ページ × 10000件 = 150,000円
となります。常に失敗しなければ
人権コスト:800,000
資材コスト:150,000(電気代とかインク代はとりあえず除きますが)
となります。
もしここに数%の失敗が毎年起きているとしたらどうでしょう。
1分では絶対に解決しませんし、場合によってはコピーした紙が無駄になることもありますよね。おそらくはたった数%程度の失敗でコストは1.5~2倍近くに跳ね上がっているのではないでしょうか。
こうして考えると「個人に注意させる」という取り組みよりも、「失敗したくてもできない仕組みにする」「注意力がなくても失敗しようがない仕組みにする」方がよほどお得にはならないでしょうか。
そして、このような繰り返している作業だからこそ、試行錯誤によって改善しやすいというメリットもあります。
平均して 1件/人 として、1日あたり50人程度が起こしているとします。
コンスタントに200営業日あると仮定すれば、そのミスが5分の修正伴う場合、
5分×50人×200営業日
= 50000分
≒ 833時間
≒ 104人日
≒ 5.2人月。
平均単価を80万と仮定すれば、年間400万以上の赤字を捻出していることになります。
10分かかるならその倍、30分かかるなら2300万以上の赤字という計算になります。
たった5分のミス。
多くの人が起こしてしまいがちなミス。
たったこれだけのことで、車を一台買ってもおかしくない額をドブに捨てているのです。
「いつもやっていることほど、
ミスなく、うまくやれれば、全体の効率化につながる」
なかなか理解されないことではあるのですが、しかしこの視点が「システム作り」において活きてきます。
とはいえ、「システム作り」は作業をうまくこなすためだけにあるのではありません。
本来の目的は、作業を効率化することによって生まれた余剰時間を使い、
もっと別の作業に労力を注げる
ようになることです。
ビジネスの現場は、
「日常を構成する繰り返し」と
「チャレンジを伴う新しい試み」の
2つで成り立っています。「保守的で改善しない人」と言うのは前者に傾倒してしまった人で、「革新的で仕組み化しない人」と言うのは後者に傾倒してしまった人です。
これらは常にバランスが大事で、
・確実に繰り返せる仕組みを固めること
・新しい取り組みを加えて仕組みを改善・発掘すること
はどちらを優先させすぎても、組織は必ず破綻することになります。チャレンジがなければジリ貧になってしまいますが、日常の繰り返し業務がボロボロならまともな仕事はできません。
日常の繰り返し業務を確実に行なえることが土台となって、新しい挑戦にチャレンジできる。それを忘れてはいけないのです。
また、いくらマニュアルやドキュメントを作ったからといって「その通りにやること」を至上命題にしないことも大切です。
時代は変わり、環境は変化するものです。
マニュアルで想定している現場もいずれ変わってしまいます。
そのため、マニュアルを教典のように捉えてしまうのは、思考停止でしかありません。
何かしらの不具合が生じるなら、状況を検討した上で、マニュアルそのものをきちんと改定できることをシステムとして織り込んでおくことが望ましいと言えます。
最低でも年に1度は見直しを行い、その1年間にあった状況から改善できるところを模索する必要があります。
人間は不完全な生き物なので、誰だってミスを犯します。
それは避けがたいことです。
しかし、それが頻繁に繰り返されているならば、問題の匂いをかぎ取らなければなりません。それを
「あいつはダメだ」
「あいつのせいで」
と言っているリーダーやマネージャーは「仕組み」も作れず、「人」に依存し、繰り返し成功させるためあるいは繰り返し失敗させないための組織的活動を構築できていないわけですから、十中八九リーダーシップやマネジメントの素養が(現時点で)ないと言い切れます。
少なくとも私たちが所属するITにかかわる仕事は、同じモノの量産ではなく、一つひとつがオーダーメイドの一品モノ作成です。
ですから、「仕組み」や「システム」によって仕事の成功を再現するのは難しいものですが、仕事において同じミスを防ぐことは比較的容易なはずです。
であれば、やらない手はありません。
同じミスを再発させないよう、「仕組み」や「システム」に目を向けてみる。「気をつけましょう」といった精神論で終わらせるのではなく、具体的に行動に影響を与えている存在に注目してみる。
そうすれば、だれもが余力を持って新しいことに向かっていけるようになります。
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