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自らの手で自らを陳腐化させる

自らの固定概念を壊し、変化することが

 「成長」

の本質です。もちろん変化の方向性を誤れば期待した成長もできませんが、期待通りでなくても何かしらの成長をもたらしてくれることでしょう。

だからこそ「変化」を妨げようとする思想はおそろしく危険を伴います。

それは個人の努力で何とかできるものではありません。人の心理が大きく作用し、そこに権力(主に人事権)が重圧としてのしかかるからです。

◇組織は劣化する宿命である
人材に一流、二流、三流があるとするならば、もっとも出現率が高いのは三流だ。組織を起業して発展させることは、一流の人材にしかできない。しかし組織が成長していくと、人材が増えていくと同時に、三流の人材が幅を利かせるようになる。なぜなら三流は一流が見抜けないので二流におもねり、二流は一流を見抜けるものの疎んじるためだ。
だから一度でも二流がトップに立つと、それ以降はよほどのことがない限り、その組織に一流の人材が入ってくることはない。そして人材のクオリティは世代交代するにつれて、三流に収斂していくことになる。組織が大きく古くなればなるほど、この劣化はより顕著にあらわれる。
先の世代論・年代論で挙げた構造的問題に加えて、このようなリーダーのクオリティの経時劣化が重なり、日本の多くの組織で問題が起きているのだ。

山口周『劣化するオッサン社会の処方箋』
SPY×FAMILY

2流、3流が上に就くと妬み嫉みなどを目的よりも優先させてしまい、本当に優れた人を受け入れなくなっていきます。

自己保身や現状維持が「変化」より優先されるようになってしまっては、その先に成長も進歩も、ましてや継続することすらも難しくなるのは言うまでもありません。


表現は違いますが、ドラッカーも似たようなことを言っていますね。

イノベーションに優れた企業は、イノベーションのための活動を厳しく管理する。創造性などという言葉を口にすることはない。創造性とは、イノベーションを行なわない企業が使う中身のない言葉である。

P.F.ドラッカー『マネジメント・フロンティア』

ドラッカーは、イノベーションを職能の一つと見ることは間違いだといっています。

イノベーションは、企業のあらゆる部門、職能、活動に及ぶものです。もちろん製造業だけのものでもありません。流通業におけるイノベーションは製造業におけるのと同じように重要な役割を果たすでしょうし、サービス業におけるイノベーションは社会を豊かにする役割を果たしてくれることでしょう。

イノベーションに優れた企業は『仕事と自己規律』について明言していることが多いと言われています。

 「このプロジェクトを次に見直すべき段階はどこか」
 「そのときまでにいかなる成果を期待すべきか」
 「そしてそれはいつなのか」

を問うていたりしますよね。

また、優れた企業はほぼ3~5年ごとにすべての製品、プロセス、技術、サービス、市場を"裁判(評価)”にかけます。いわゆる中期経営計画に対する業績等の評価というヤツです。

今あらためて始めるつもりのものばかりか、今後その製品やサービスを手がけるかも問います。ずっと同じことをしていても、市場や社会の変化についていくことはできないと身をもって知っているからです。

優れた企業はもはや生産的でないものを組織的に廃棄する仕組みを持ちます。なんとなくで「今あるからそのまま置いておこう」とはしません。

品質さえよければ、馬車用の鞭の市場がいつまでもあるなどとは考えません。企業活動を停滞させず、昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分へと、常に改善を繰り返し、

 自らを変化させること

自体を仕事としてこなしていくのです。

イノベーションに優れた企業は、人のつくったものは遅かれ早かれ、通常は早く陳腐化することを知っている。競争相手によって陳腐化させられるのを待たずに、自ら陳腐化させ、廃棄することを選ぶ

P.F.ドラッカー『マネジメント・フロンティア』

いつまでも同じことにしがみついている人に事業の変革は起こせません。

なぜなら「そもそも恒久的な事業など存在しない」ということを理解できていないからです。存在しないのですから、現在順調に進んでいる事業にしても放っておいても廃れるときは必ず来るのは明白です。そうなってから次の事業を考えていたのでは遅いのは言うまでもありません。

大津波が来るような大震災が起きてから護岸工事をしても遅いのと同じことです。

時代や市場、社会の変化に合わせて次のイノベーションを勝ち取ろうとするのであれば、何よりもまず自らの事業を陳腐化させる気持ちがなければ次の事業は生まれてきません。

たとえば、自動車にしてもそうです。

たまたまヒットした車種だからと、延々マイナーチェンジばかり続けていてもいつかは顧客に見限られます。

「目新しさがない」
「古臭いデザイン」
「あっちの車の方が便利」
「ちょっと素材変わっただけで、それはそれですごいのかもしれないけど、乗る側にしてみれば違いがわからない」

等がそうです。
私たち自身、消費者側に回ればいつも言っていることです。

ソフトウェアの業界では、毎年のように年末にリリースされる筆王や筆まめ、ホームページ作成ソフトなどがそうかも知れません。

ある社員が生み出した1つのヒット事業に満足して次のイノベーションを考えない…と言うのは存外多いものです。今さえよければ明日以降はどうなってもいいと考えているのかもしれません。

そしてそのヒット商品も廃れ、業績が伸び悩んでから次の事業を考えはじめても、そうそう簡単に次が思いつくわけでもありません。そして長い黎明期に突入し、そこに不景気が訪れるとあっという間に衰退...と言うことになってしまうわけです。

これは大手企業でも中小企業でも同じで、しかも世界中で見られます。

イノベーションという言葉が日本で定着したのは確かにドラッカーの影響が大きいのでしょう。しかしそんな言葉に振り回されなくても昔から延々と継続して業績が安定している企業は、ヒット商品、ヒット事業を中核としつつもさらなるイノベーションを追求する姿勢を必ずどこかに加えています。

『安定』

という名の停滞の上に胡坐をかいている企業に、世の中はそんなに優しくはないのです。それは組織という単位でも、チームという単位でも同じです。

考えてもみてください。
たとえば学生時代のクラブ活動。

ものすごい強豪校だったとして、ある大会で優勝したとします。で、その優勝した年の訓練の仕方や戦略、戦術といったメソッドに胡坐をかいて何年、何十年と優勝し続けることはできるでしょうか。

否。

ありえません。
同じことを繰り返していて、いつまでも勝ち続けることはできません。停滞し続ける間に周囲は進化・進歩し続けるのですから、停滞は退化とイコールになります。

これと同じです。

だからこそビジネスの場でも

 「以前はこれで成功したので」
 「前からこうだったから」

といった発言はその時点でイノベーションから最も遠いことを自覚しましょう。

そして、イノベーションを起こすためには、旬の短い知識ではなく、長いあいだ有用な知識や情報を身につける努力をするべきです。いつまでも古びない知恵、すなわち「教養」を身につけ、それらを常に駆使し続けることで個人ではなく、組織としてイノベーションが起こせるようになっていきます。

わたしたちの成長は「経験の質」、すなわち「新しい経験の密度」によって大きく変わってきます。

多種多様な人たちとともに、さまざまな仕事をバラエティに富んだやり方で取り組むという

 「経験の多様性(⇒知恵や知識の多様性)」

が良質な体験をもたらし、深い学習へと導いてくれることでしょう。

それらを伴ったイノベーションを起こせない限り、人は歳月と共に経年劣化するだけで、いずれ市場にも社会にもそして時代にも取り残されていくことになります。

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