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苦手な分野を切り捨てると生き残れない

成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。弱みからは何も生まれない。

P.F.ドラッカー『経営者の条件』

と言われていますし、有名なフレーズですし、世の中にはドラッカー信者もいらっしゃるでしょうから盲目的に信用している人もいるのではないでしょうか。

ですが、これを誤った解釈をする人が結構います。

このドラッカーの言いたいことは「弱みをビジネスの中で活かそうとしても効果が出ない」ということを言いたいのであって、個人レベルで

 「強みばかりに集中していればいい」
 「弱みの克服は一切しなくてもいい」

と言っているわけではありません。

また、こうも言っています。

組織の役目は、人の強みを成果に結び付け、人の弱みを中和することにある

P.F.ドラッカー『マネジメント』

もしも、企業や組織がこのことを当然のように実現していれば、おそらく個人は弱みを克服する必要はなく、強みだけに集中することもできたでしょう。アメリカ企業のような組織体制であればそれも可能かもしれません。

しかし日本企業ではダメです。まったくそうはなりません。相性最悪です。

日本企業では基本的に「縦割り」で仕事を配分します。

ですので、割り当てられた1つのタスクを達成するためのありとあらゆる分野のスキルを身につける必要が生じます。いわゆるゼネラリスト…「広範囲な知識・技術・経験をもつ人(=器用貧乏)」を醸成する組織構成なのです。

ある程度の方向性は限定されるでしょうが、知識やスキルとして習得すべきものがとにかく広範囲にわたります。これでは「強み」だけに集中できるわけがありません。無理に閉じた環境下に押し込むと、社会や市場の変化によって業務や事業が陳腐化した際には一気に窮地に陥ることになります。つぶしが利かない人材が大量に発生することになります。

劇的な変化に非常に弱い、脆いという状況を生み出します。

しかも、すべての分野を高い水準でまとまったゼネラリスト…なんて成功例が排出されるのは非常に極稀です。とにかく1つのことに集中できないし、多種多様な知識やスキルに手を出し続けていると一人前になるまでにとても時間がかかります。優秀といわれる頃には40代、50代となっているのも珍しくありません。

しかも、そうした本当に優秀な人の排出例が極稀ということは、そうでない人たちが企業や組織を牛耳っていることも多いということです。優秀な人たちの考え方や苦労、苦悩をわかってやれる上司や経営者も非常に少ないということです。

現在のVUCA(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)な社会情勢において日本が優秀な人材の取り扱いに疎く、先進諸国から後れをとりがちなのはそのせいなのかもしれません。今後、日本の社会構造の欠陥として顕著にあらわれる可能性もあります。

しかも、労基法によって「仕事の成果」や「仕事量」ではなく、実際に仕事をしていたかどうかも関係なく、ただ「そこにいた時間」で給料が支払われるようにされていますので、たとえば

このように優秀な人たちに一方的に仕事を押し付けていても、出社さえしていれば全員給与は同じです。ボーナスにも大した差は生まれないことでしょう。しかもなんとなくやってる感を出してさえいればお咎めもありません。

このような状況下では、ドラッカーの言う「人の強みを成果に結び付け、人の弱みを中和する」ような組織を構築することは決してできません。Cさん、Dさんは何歳になっても、何年その会社にいたとしても強みがそもそも存在せず、弱みしか持ち合わせていないよう形になっており、しかもそうあることを組織が養護するからです。

もしも、アメリカ企業のように

このような専門性に特化させたスペシャリストを醸成する横割りの体制を構築できていれば「強み」だけに集中させることも可能でしょう。わざわざ「弱み」に立ち向かう必要もないかもしれません。

こうした社会的背景もあって、ドラッカーのいう「強み」だけでなんとかなるという環境は日本の場合、ほとんどが望めないと考えておいたほうがいいでしょう。

逆に日本においてもアメリカ企業と同じような形で、プロセスの質やプロダクトの質をシンプル化するような構成で運用されているのが

 ・工場などの流れ作業
 ・料理業界

です。ひょっとすると建築業界も若干その傾向があるかもしれません(全部やってしまう工務店もあるでしょうけど)。ほかにはスポーツ界や芸能界などもそうなのかもしれません。

欧米の場合、転職率が高くても企業として揺るがないのはまさにこのおかげですよね。

日本のように、特定の会社の特定の業務に精通したとしても他社では活かせない…ということが欧米ではあまりありません。欧米は業務プロセスに独自のオリジナリティを極力もたせず、常にグローバルスタンダードを採用することで「仕組み」「プロセス」が社会的に標準化されているから、従業員がコロコロ変わってもスイッチングコストがかからず、人材の回転が速くても速やかにスペシャリストとしてのパフォーマンスが出せる仕組みになっているんです。

salesforceをはじめ、業務支援や業務管理のシステムやサービスをスクラッチ開発ではなくパッケージなどで標準化/半自動化した製品が普及しているのもその一環です。そういう製品って日本産ってほとんどありませんよね。ISOなどの標準化が推進されているのもそういった背景があるのかもしれません。

 日本は「システムを企業に合わせさせる(グローバルスタンダード<独自文化)」
 欧米は「企業をシステムに合わせる(グローバルスタンダード≧独自文化)」

とする傾向があるからこそできることです。

とまぁ日本企業のデメリット、欧米企業のメリットばかり伝えましたが、もちろんそれぞれ逆もあります。

ですが、昔に比べ現在は日本企業のデメリットが大きくなっているように感じます。

とにかくパフォーマンスが悪い…生産効率が悪いのです。しかも昔のようにシンプルな労働提供だけで済むような事業もグッと減り、ビジネス一つひとつの難易度もどんどん向上してるため人材育成の壁も高く、優秀な人材を用意できなくなっている企業も非常に多くなっています。

そうして組織全体が徐々に凡庸な人で構成されるようになり、上司と呼ばれる存在も今や力量がどれもこれも中途半端で部下への指導・育成などを苦手とする人が圧倒的に増えました。

そのような状況ですので、個々人が「強みを生かす」努力をするだけで何かがよくなるなんて妄言には安易に騙されないほうがいいと思います。

組織による「強みを生かす」取り組みと「弱みを中和する」仕組みの構築というのはワンセットです。一方だけが存在しても有機的な効果は得られません。組織がその努力を行う姿勢を見せない限り、絵に描いた餅にしかならないのです。

そしてそれぞれがそろって初めて個人が「強みを育む」努力をする意義が生まれます。

考えてもみてください。

たった1つの「強み」を伸ばせばあなたは社会的に、あるいは企業に何歳になっても認められ続け、重宝され続けますか?そんなイメージができますか?

たとえば「プログラミング」では企業内で群を抜いて優れた存在だったとしましょう。

ですが、「コミュニケーション」は全くダメで、チーム内でもよく齟齬を起こします。上司もいつも会話をするとイライラするばかりです。
設計書もロクに作成できません。読む際にもついついもっと良い方法があると思って全く異なるプログラミングをしてしまいます。

こんな状態に対し、今の日本国内で「お前はプログラミングが誰よりも優れているのだから、その領域でのみ価値発揮すればいいんだよ。ほかのことなんて気にすんな」と言ってくれる上司や企業が存在するでしょうか。

まず存在しないでしょう。

チーム内での齟齬が起きないような会話能力を求められるでしょう。

ドキュメントなどのコミュニケーションツールを用いる際には、わかりやすさや読みやすさを求められるようになるでしょう。

仮にプログラム上の問題が発生した際に、お客さまに具体的な解決策や再発防止策などの説明を求められた際には、詳しく理解できていないリーダーやマネージャーから代わりにお客さまの前で説明することを求められるかもしれません。

メールなどもそうです。

どんなに役割分担を決めたところで、決めた当人であるリーダーやマネージャーが早々にルールを守らない…なんてことはざらにあります。

仮にコミュニケーションが苦手で超絶な「弱み」だったとしても、それを克服しなくていいとは誰も言ってくれません。その弱みを中和するような企業や組織側の仕組みやプロセスを見直そうとは絶対にしません。それが日本企業です。

ですので、日本企業のなかで仕事をする場合は

 「強みだけ」

鍛えていれば何とかなるということは決してありません。それで効果を発揮するために努力すべきは個人ではなく、組織です。組織が「強みを生かす」仕組みやプロセスを構築、導入しない限り、強みを生かすだけで成立するビジネスというものは絶対に訪れません。

そうである以上、結局は求められた役割を果たすために必要な知識やスキルは全部身につける必要がありますし、それが弱みに該当するからと放置していいなんてことは残念ながら無いのです。

まあドラッカーのそうしたセリフが著書『経営者の条件』『マネジメント』に記されていることから見ても、個人に押し付けるものではなく、経営者や管理職が見直すべき課題であることは明らかですよね。

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