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有能な社員が能力を発揮できない不幸

能力が高い人であれば必ずしもいい仕事ができるとは限りません。残念ながら社会はそれほど優しくはできていないのです。

当然のことながら、最高のパフォーマンスを出すことができたとしても常に最高のパフォーマンスを出し続けることは不可能です。もし「自分にはそれができている」と思う人がいれば、十中八九、主観的な単なる誤解と言えます。物事を正しく客観視できていればそれがどれほど偶発的なモノかわからないはずは無いからです。

どれほど有能な人であろうとも、その能力が与えられた仕事に対して最高のパフォーマンスに直結するという保証はありません。『常に最高のパフォーマンスを出し続ける』と言うのは、言い換えれば、

 車が走り始めた時から常にトップスピードになっていて、
 曲がり角があっても、信号があっても、障害物や歩行者がいても、
 常にトップスピードであり続ける

と言っているのと大差ありません。相当優秀な上司が上に就いてくれない限り、あるいは自分自身が相当優秀でない限り、現実的に不可能です。

一般に人間の潜在能力に関する科学では次のように例証されています。

個人の全般的な能力を完全に理解するのは、その人の感情や嗜好や性格も考慮に入れない限り、不可能である。どんなに賢く、知識豊富で、経験を積んだ人でも、「できること」と「普段やること」との間には大きな乖離がある。

これは人材の能力を診断する取り組みが失敗に終わる理由の1つです。

たとえば、採用などにおいて求職者の潜在能力(ベストを尽くす意欲がある状態で、最大に発揮できる力)を重視しすぎると、決定的に重要なことを忘れてしまいます。入社した後、常にトップスピードで駆け続ける社員なんて求めたって現実的ではありません。

目指すべきは、入社後の実際のパフォーマンス、特に「通常の仕事ぶり」を予測することです。

考えてもみてください。

初デート時の相手への印象が、5年後に結婚していても同じままであり続けるなどとは想定すべきでないのと同じです。同様に、応募時の求職者に対する予測と仕事に従事して5年後の実情はおそらく違うことでしょう。

「 士別れて三日なれば刮目して相待すべし 」
(男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ)

という言葉がありますが、良くも悪くも「常に同じ」と言うことは無いのです(まぁ、より良くなってる分にはいいのですが)。


もしも、普段の仕事の中で自分は力を最大限に発揮できていないと思うのであれば、それはおそらく正しい感覚です。なぜなら前述の通り、在職中ずっと持続的・継続的に力を最大限に発揮して、100%の意欲を継続して持つ続けている人などまず存在していないからです。

ですから、そこにストレスを感じる必要はありません。

冒頭でも述べましたが、力を最大限に発揮できていると思うような人がいたならば、それは殆どのケースにおいておそらく誤りであると言い切れます。自分の能力やパフォーマンスに関する自己判断と実際に上げる成果とは一般的にほとんど一致しないのが普通なのです。

しかし、それでも後で振り返ってみると「最大限」「いつも以上に」発揮できたと思うワンシーンというのはあると思います。同じことを意図的に行おうとしても同じパフォーマンスになることはなかなか無いのですが、そう言ったケースが稀に起こりうるのは確かです。

ですが、そうした機会に恵まれるのは非常に稀なケースで、そうそう「最大限発揮できている」と認識できるようなものではありません。

事実、業績優秀な人ほど自身のパフォーマンスを批判的に厳しく評価するのに対し、業績の低い人や失敗の多い人は自分が会社に素晴らしい貢献をしていると考えるというケースは、世界中でもよくあることです。

自己認識力において、「絶対評価ができるか」「相対評価しかできないか」はその人自身の『能力』そのものに直結する重要な要素です。

実際にはほとんどの人が、おおよそ入社後6ヵ月間を超えた後はベストを尽くそうという試みすらしなくなります。多くの場合、配属される現場環境にも大きく影響を受けるものではありますが、よくある理由としては次のようなものがあります。

職務とのミスマッチ

能力とは主に適所でのみ発揮される個性のことを指します。

不適所ではパフォーマンスの最大値は発揮できません。ほとんどの人が、ある特定の仕事、文化、状況で、他の場合よりも力を発揮するのはこれが理由です。

みなさんが会社に入る際に、SPIなどの適正テストを受けてみると、テストによっては個人と職務との相性などを教えてくれるサービスがありますよね(そのサービスを採用している企業かどうかは知りませんが)。IT系だとCABが有名ではないでしょうか。

ここでの問題として、組織は個人に対して正しく評価できたとしても、自社に対する評価はそれほど正確にできていないことが多いです。実際、非常に多くの組織が自社を実際以上に包摂的で、多様性に富み、革新的で、向社会的であると見なしていますが、たいていの場合は「悪くは言えない」から、無理やりいい点と思えるところを挙げつらねているにすぎません。全く客観的ではありません。

言い換えれば『事実ではない』のです。

このことは、個々人の認識に明らかに影響を与えます。この問題に対して個人ができることはその組織を入念に調べて当該職務について自分がよく理解し、万全を期すこと以外ありません。

たとえば、私は現在「(私一人しかいない)品質保証」の「部長」職を担っていますが、

 ・対外的に「品質保証」があると体裁が良いだけ
 ・開発チームが属人的で、品質保証の介入を許さない
 ・開発チームにて問題が起きても、上司は実務能力が無いため、
  彼らの責任を品質保証の責任と言って、丸投げしてくる

こんな役割しかありません。それだけだと暇を持て余すから、

 ・全部署の、全スキル・全業務に対する教育および教育推進の統括
 ・内部統制関連の仕組み作り
 ・法務関連の情報整理や啓蒙、対外説明
 ・対外的に体裁のいい国内外規格の取得推進および事務局
 ・技術、営業、人事、育成、経営、他、さまざまな業務の支援
 ・役員秘書的な作業

など多岐にわたる雑務を実施しています。おかげで今いる会社の中では、新人から経営層までのすべての仕事内容を概ね把握し、かつ実践できます(できないとしたら、会計経理関連くらいかな…さすがに見ることができないし)。

このように、個人が認識している職務と実際に企業が認識している職務(その建前と本音)は全く異なっていることがままあります。

幸いなことに、学生であれば口コミサイトなどを活用することが可能でしょうし、社員になってしまえば、他部門を知ろうと少し努力すれば大抵の情報は入手できます。

もちろん企業側の本音を知ったからと言って、それが「個人のやりたいこと」に合致しない企業しかこの世に存在しないとしたら、『働かない』と言う選択肢を取るか?…と言うとまた別ですよね。合致しないがゆえに、組織における思考の多様性というメリットにつながるものでもあるので、そこはある程度は割り切って経験してみるのは良いことだと思います。

私もほぼすべての部署の、ほぼすべての仕事内容を把握し、かつ実践できるレベルまで身につけられたのはある意味でよかったことだと思っています。

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100を「一般的に"必要十分"を満たしている」と呼べるレベルと仮定すると、あくまで自己分析ですが、今の会社で担ってきた雑務によって、こんな感じに知識習得や経験修得していると思います。

法務系につよいのは、エンジニア時代に公共関連の開発に就くことが多かったからでしょうか。法改正に伴うシステム改修など、法律をじっくり読んで理解する癖がついていて、且つあのやたらと堅苦しい文面に慣れているせいですんなり理解できることが多いんですよね。


意欲の欠如

個人と職務とのミスマッチには、エンゲージメント(仕事や組織への意欲や愛着)の欠如がしばしば副作用としてつきまといます。しかし、一般的な職場で見られる熱意とモチベーションの欠如の蔓延には、他の複数の理由も潜んでいることを留意すべきです。

一番多いのは貧弱なリーダーシップではないでしょうか。

端的に言えば、

 「上司が敬意を払うに値しない」
 「むしろ上司がお荷物」

と言うケースです。実際に有能な社員が脱落していく理由は、上司や経営陣に失望したから…と言うのは少なくありません。私が、今まさに退職をしようとしているのも本質的に言えばこの理由に該当します。

上司が能力(技術的なものだけでなく、責任感や判断力など)として劣っている場合、往々にして部下がその実力を発揮できないことがあります。特に、判断や決断においては上司のそれがキャップ(上限)となって、それ以上のことができなくなってしまう恐れも出てきます。

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この問題の解決は非常に難解です。

なぜなら、経営陣や上司あるいは彼らの考え方が変わらない限り、状況は好転しないうえに、その経営陣や上司自体が自主的に変わろうとすることはまず無いからです。部下が変えるわけにもいきませんし、基本的には八方塞がりな状態です。

そして、たとえ自分の上司がとても優秀であったとしても、その上司自身に意欲がない可能性もあります。その理由はおそらく当人のさらに上の人間が無能、あるいは意欲がないからです。そういった場合には、優れた上司であっても優れたパフォーマンスを出せるとは限りません。


社内政治

一般的な職場における人材マネジメントの慣行は、総じて昔よりも公平となりつつあります。しかし、改善すべき点は依然として数多くあるのが実状で、完璧なデータ重視となっている業界はさほど多くありません。

もしも、「役割」「権限」「責任」の3要素がバランスよく配置され、それらに対して適正に評価されていれば、このような不祥事を働くような人物が会社の要職に就くなんてことは絶対にないはずだからです。

能力主義で人材を引きつけていると考えているリーダーがいたとしても、現実にはたとえ高い能力の人材を引き寄せられたとしても、それら有能な人材は組織文化につきまとう有害で身内びいきの側面に対処していく方法を学ばなければなりません。

実際、組織文化の汚染と腐敗が進んでいるほど取り入るのが上手な人が出世する傾向が強いデータがあります。バクテリアが汚染環境で繁殖するのと同じ理屈です。どんな組織であっても、個人のキャリアの成功と当人の実際のパフォーマンスや能力との間に明白な開きがある場合、この状態が顕在化していると言っても過言ではないでしょう。

これに対処するには、社内政治の存在を意識しそれに加わるしかないのですが、自分の魂を売ることはないようにしましょう。

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こんなロジックツリーがあるほどです。
無理に社内政治に付き合う必要性はありません。

いずれにせよ、能力さえあれば自分が認められるなどと考えるのは甘いのが企業と言うモノです。むしろ有能な人ほど敵も多くできることでしょう(有害な組織では特に)。面白いことにこれはどの国、どの企業、どの業界関係なく、どのような組織であっても似たような結果となることが世界中の報告で判明しているということです。

もしもどうにもならない事態に直面したら、最善策は他の組織に移ることです。

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